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偶然、もしくは必然


 アリスは珍しく途方にくれていた。自分の周囲をガッチリと固める灰色の集団の前に、一歩も動けずにいた。

 クルルポッと特徴的な声で鳴く集団は、いいカモを見つけたといわんばかりの表情で一人の少女を取り囲んでいた。彼らの狙いはただひとつ、彼女が膝に抱える包みである。

 くちばしでつついてみたり、羽をひろげて威嚇してくるわけではない。しかし彼らの目は狩る(・・)側のものだった。


(困ったわ…こんなに鳩がたくましい生き物だったなんて)


 隣接する宗教国家では彼らは平和の象徴として丁重に扱われていたはず。この国でも入信者が多く、結婚式の時には教会からたくさんの白い鳩を飛び立たせるのは恒例行事だ。しかしこれでは平和の使者というよりまるで恐喝を行う貧民街のチンピラである。


 愛くるしいとはいえないがまんまるとした目の絶妙なとぼけ具合につられてひとかけパンを転がしてやった途端、アリスが座るベンチの周辺は瞬く間に包囲されてしまった。遠い目をしている今この間にも、続々と灰色の侵略者は集結している。


 アリスはお手上げだとでも言いたげな様子で空を仰ぎ見た。

 その顔に影が落ちる。


「助けて欲しい?」


 突き抜けるような青空の色、みとれる程美しいそれに息が止まった。


「わっ」


 次の瞬間には()の出す声に驚いて平和の徴がバサバサと地面から一斉に空に駆け上がる。息を吹き返すより先に心臓がどくんと鼓動する。

 ゆったりとした足取りで自分の前へと回り込んでくる青年にくぎ付けになる。


「あなたは…」

「あぁ、突然で驚かせた? ごめん、困ってる姿がおかしくてつい後ろから声かけちゃった」


 きゅっと細められる目にまた胸が跳ねた。

 抜けるような空色の瞳、この世のものとは思えない程美しい顔立ちは強烈に誰か(・・)を連想させた。


(男性版エレオノーラ様…!)


 そう、アリスが主人として忠誠を尽くすただ一人のご令嬢である。

 しかし彼女に一人の兄弟もいないことは他でもない自分がよく知っている。それに、あの特徴的な白金の髪は目の前の青年にはなく、この国ではごくありふれた栗色が風に揺れている。


「そんなにこの顔が気に入った?」


 あまりにもアリスがまじまじと見つめるものだから、青年は恥ずかしがるように頬をかいた。その言葉にはっと我に返って慌てて頭を下げる。


「も、申し訳ありません! 知人にそっくりでしたから気になってしまって…。先ほどは助けていただきありがとうございます。鳩があんなに恐ろしい生き物だとは思っていなくて」

「ふっ、あはははは! そう、そうか、鳩は恐ろしかったんだ」


 楽しそうな笑い声をあげる彼に、またなにか失敗してしまったのだろうかと困惑しながらも、恥ずかしいことを言ってしまったような気がして、頬が朱に染まる。

 こんな風に異性から気さくに話しかけられることなんて初めてで、どういう風に接したらいいのか分からない。


「ふふふ、いや、バカにしているわけではないんだ、ごめんね。もしかして貴族舎の子?」

「いえ…、北の方から奉公に出てきました」


 するすると口からは出まかせが出た。

 アリスは脇役だが、物語の中心に近いところにいる。この秘密のお楽しみはできるだけ物語から離れたところでされなければならない。だからできることなら自らの素性は明かさない方がいい。


 昨晩そんな風に結論付けて、もしも誰かに素性を尋ねられた時には軽く答えられるように用意していた。

 万が一普段の姿を見られてもよっぽど正面からじっくりと眺められない限り気付かれはしないだろうと思う。


「そうか、じゃあようこそルシアンへ。僕はノア。一人も心細いだろうしよかったら街を案内しようか? 実は今日予定をすっぽかされて…いや、あてが外れてね。正直に言うと暇なんだ」


 どうしよう、と今度はためらう。

 あまり長いこと一緒にいてボロが出たら嘘をついた元も子もないし、こうして誰かと関わってしまうこと自体が怖い。しかし特に断る理由もないし、心細かったので案内が欲しかったのは確かだ。

 そこへ追い打ちをかけるようにこの顔だ。


「ね、お願い」

「う…分かりました。よろしくお願いします」


 自分の魅力を自覚している者の笑顔はタチが悪い。



 再び集まり出した鳩を横目に「とにかくまずは移動しようかと」ノアはアリスの荷物を持った。

 エスコートには荷物持ちも含まれるのが常識だから、というノアに、果たしてそれが本当なのかアリスは分からないまま、今回は素直に好意に甘えることにした。


 先ほど訪れた時はまばらにしか開いていなかった大通りの店舗は、ようやく全て出揃ったようだ。

 まず初めにノアが向かったのは中央広場だった。

 こちらもいつの間にかたくさんの出店ができており、軽いマーケット状態になっている。閑散とした朝の雰囲気はどこにいったのか、すっかり人でいっぱいになっていた。

 広場の中心にある時計の長針はもうそろそろ真上をさしそうだ。


 そんなに時間がたっていたのね、とアリスは目を丸くする。

 いつもよりはるかに早い時間に起きたのが災いして、公園では少しうとうととしてしまっていたが、こんなに時間が経過しているとは思っていなかった。

 朝にパンを食べたはずなのにもう空き始めたお腹に首を傾げていたのだが、自分の体内時計はよっぽど正確だったらしい。


「すごい人混みでしょ? でもこれからもっと増えるからはぐれないようにね」


 初めて見た人混みと活気にあちこちと目をやっていると隣からそう注意された。確かにこの場ではぐれてしまっては、再会するのに相当苦労することになるだろう。


「まだ増えるのですか…? 随分多いなと思ったのですが」

「来週までの間は貴族舎が休みだからね。今日なんかまだマシで、週末は平民舎の方も休みになるからね。これよりひどいよ。入学したての貴族と金持ちがたくさん市場見学という名の物見遊山にくるからいつもより出店も多いんだよね」


 あぁほらあれ、とノアがこっそりと指さした先には確かに身なりのいい青年が興味津々といった様子で広場を遠巻きにして眺めていた。


「ただ、良心的な店ばっかりじゃないから気をつけた方がいいよ。かなりグレーなところをついてはくるけど割高なことに変わりはないし。いい授業料だって笑ってるヤツも多いけどそれはほんの一部の金持ちばっかりだしね」


 と、またノアの視線の先には店主とおぼしき人物の話を熱心に聞く一人の青年がいる。その手には見たことがないほど鮮やかな色の布がのせられている。


「お金を持ち歩いて自分が選んだ物を買うのが新鮮で楽しいんだってさ。といってもガラクタが買われるのは最初の一ヶ月くらいで、後はさすがにちゃんと身の丈に合ったものを選ぶみたいだけど。カモ(・・)は毎年くるって感じ?」


 曲がりなりにも貴族に対してカモと言い切ってしまう青年に苦笑する。


「お詳しいんですね。ここに住まれているんですか?」


「ん? あぁそっか言ってなかったっけ。そうだよ、平民舎に通ってるんだ。だからこの光景も今年で4年目かな?」


 やっぱり、と内心アリスは納得していた。北に移送されている時に出会った平民の男性たちと比べてノアの居住まいはどこか凛とした気品がある。

 貴族社会の中で今後働く可能性のある平民舎の生徒は入学当初から徹底的なマナー講習を受けるらしいから、もしかして、と思っていたのだ。貴族の子息にしては初対面の自分に対して砕けすぎているような気もするし、大方裕福な商家の息子だろうと。


 予想はしていたが、これから先出くわす可能性のある者にこんな風に案内されていていいのだろうか、と今更じんわりと後悔が顔を出していた。


 そしてそのわずかに曇った表情をノアは見逃していなかった。

 だがここでそれを暴いても得にならにどころか損することも理解している。だから何にも触れずに彼女の意識をそらすものを探す。


 露店で一番よくみるのはやはり飲食物を出しているものだ。その他は他国の装飾品や布地、学生をターゲットにしているだけあって筆記具なんかも珍しそうなものが置いてある。少女たちが多く集まっているのは香水や爪紅なんかの店だ。その場で爪は塗ってくれるサービスにはずらりと長い行列ができていた。


 さて、この中で何が彼女の興味を引くだろうか、とノアは再びぐるりと広い市場を見渡す。

 少なくとも女の子らしいものに彼女が興味を示さないのはたったここにくるまでの短い間でなんとなく分かっていた。


 食事にはまだ少し早いだろうしとにかく端から見て回ることにした。


 時々、彼女が知らなさそうなものに説明をはさみながら、くるくるとよく動き回るその蜂蜜色の瞳を観察する。そこには知らない世界を知る喜びがあふれていた。

 その様子や仕草、口調は、少なくとも彼女が田舎から奉公に出るような身分ではないと物語っているのだが、何かごまかさなければならない事情があるらしい。

 シンプルだが上等な生地のワンピースもいかにも(・・・・)らしさがあってノアはくすりとほほ笑む。


 あぁ、いけない、気を抜くとだらしなく頬が緩んでしまう。

 そっと口元を手で覆いながらなんとか普通の顔を作ろうと努力する。


 ようやく会えた嬉しさで、柄にもなく自分が舞い上がっているのがおかしくて少々恥ずかしい。


 少年と少女の出会いがいつだって偶然であるわけではない。現にこうしてノアがアリスの目の前に現れたのは意図してのことだ。

 アリスは自分の素性を隠したそうだが、実のところノアはアリスのことを知っていた。

 それにしても出会いの機会がこんなに早く訪れたのは幸運だったとノアはしみじみ思う。

 警戒をといてもらうには時間が必要だから、早いにこしたことはないのだ。


 爽やかな笑顔の下に隠された青年の意図など気付かずに、アリスはたまたま目に飛び込んできた文字にくぎ付けになっていた。


(≪魔女の店≫…! 魔女!!)


 すぐに隣を歩くノアに声をかける。その声は少し上ずっていた。


「あ、あの! あの店へ行きたいです…!」


 アリスが指さした先は、にぎやかしい広場の中心からは少し離れた街路樹の陰に敷布を広げた怪しげな店だった。適当に筆で書いたような≪魔女の店≫という看板にノアは一瞬眉をひそめる。


 店の主人とおぼしき女性は荷物が入っているであろう箱に肘をつきながらのんびりと煙管(キセル)をふかしていた。

 やる気のない様子のせいか、見たこともない衣装のせいか、彼女が持つ珍しい黒髪のせいか、あるいはその全てか、とにかくお世辞にも盛況とはいえない様子だった。


 きっとろくな店ではない。

 まさかこんなものに興味を示すとは思っていなかった。


 しかしノアが止める間もなくアリスは足早にそちらへ向かっているところだった。


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