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死神の天啓


 思い切りよく振り下ろされたフライパンはジャックの頭に直撃した。


「へぶっ!」


 体が硬直したタイミングで小瓶の中身を顔面目掛けてぶちまける。


「わぶっ何っだコレ? あ、ぁああぁあああ痛い!? 痛い痛い痛い!!」


 金切り声を上げて顔を抑えうずくまるジャックを横目に、ミュリエッタはアリスの腕を掴んで男に背を向け駆けだした。


 倒れた男の服をあさって鍵を探している暇はない。今はとにかく逃げなくては。


 ミュリエッタの両目からはぼろぼろと大粒の涙がこぼれている。わけもなく、ただアリスの凄惨な姿にショックを受けているのか、とにかく涙が堰を切ったようにあふれてくる。顔をぐちゃぐちゃにしてアリスを引っ張る。


「待てこのクソ女がぁぁぁっ!」


 背後からは獣のような咆哮が上がった。今度こそ捕まったらおしまいだ。

 でも閉じ込められた自分たちはどこに逃げればいいのか。恐怖に震えるミュリエッタはただ真っすぐに走った。


(誰か、誰か誰か! 誰でもいいから助けて!!)


 半狂乱になって走るミュリエッタの体はぐいっと後ろからの力によって引き止められようとした。


「ぃやぁっ!!」

「落ち着きなさい!!」


 アリスは腹の底から声を上げた。そのせいでズキリと痛みが全身に駆け巡る。


「あそこ、誰か入ってくるわ!」


 アリスは前方を警戒していた。二人が今いるのは丁度エントランスホールの真中。目の前には固く閉じられた玄関がある。その扉は今まさに何かによって無理矢理にこじ開けられようと何度も派手な音を立てていた。


 ドンッ、ドンッと何かがぶつかる音に体を硬くする。これがもし後ろの男の仲間ならば二人は絶体絶命、追い詰められた獲物だ。


 ぎゅっとミュリエッタは体を縮こまらせて縋りつくようにアリスを抱きしめた。


ドンッ! と一際大きい音と二人の間に風が吹き抜けた。


「ミュリエッタ!!」


(あ……)


 その声に震える程安堵した。壊された扉からたくさんの明かりがのぞく。それに目をくらませたミュリエッタを引き寄せた誰かは、彼女を強く自分の胸に抱いた。

 ぎゅうっと痛いくらいに締め付けるその腕に、涙は止まるどころか一層あふれ出した。


「っ探したぞ!」

「殿下……」


 主人公(ミュリエッタ)のピンチとあれば駆けつける人物は決まっている。

 アリスはようやく現れたその男に胸をなでおろした。


 王子の髪からは水がしたたり落ちている。全身を雨に打たれながら馬でやってきたのか、息も荒い。後ろには側近たちと騎士の姿も見える。


 その全員が目の前のドラマチックなシーンに目を奪われていた。

 水を差すようで申し訳ないが、アリスは一言くぎを刺す。


「逃げられますよ」


 アリスを追ってきていたはずの男の姿はエントランスホールにはない。唸り声もしない。


 ハッと我に返ったクリードは数名の騎士を引き連れて館の奥へ消えていった。

 きっとクリードなら一人でもあんなひょろっちい男をのして、首根っこを掴んで戻ってくるだろう。


 王子はミュリエッタに「怖い思いをさせてすまない」と切実な声で告げていた。

 今はアリスが口を出す場面ではないだろう。


 ほっとすると同時にじわじわと痛みがぶり返してきて、アリスはふらりとよろめいた。


「おっと…だいじょうぶ…ってえぇ!?」


 さっとその肩を抱きとめたレイノルドが素っ頓狂な声を上げた。

 頭にキーンと響いた声にアリスは顔をしかめ、手で声の主を押し退ける。


「大きな声を上げないでください…響きます」

「えっ…えー…アリス嬢、だよね? その、大丈夫…、じゃない、よね……」


 当たり前だ。

 手加減なしに男性に殴られて無事なほど荒事に慣れてはいない。口の中はまだ血の味がするし、叩かれた頬は腫れている。見えないところだが腹も背もズキズキと痛いし、服はあちこちが破れたり汚れたりでボロボロだ。


「大丈夫ですからお構いなく」


 アリスはみっともない姿をさらすのが嫌で顔を背けると、明かりの届かないところへ身を寄せた。


 王子とニコライはミュリエッタに必死な様で、まだアリスの惨状に気付いていない。できればそのまま気付くな、とアリスは息をつく。

 深手をおった猫がじっと身を隠すように、息をひそめてこらえているような姿に、レイノルドはおろおろと狼狽え、やがておずおずとアリスを頭から隠すように自分の上着をかけた。


「戻ったらすぐに医者を手配するから。遅くなってごめんね…」


 いけ好かない男だが見せてくれた気遣いは不快ではない。アリスは小さく礼を言った。



 間もなく、両手を後ろに縛られたジャックを連れて、クリードが戻ってきた。王子の前に跪かされ、頭を地につけた姿を見てミュリエッタがたじろぐ。

 それを感じ取ったのか、王子は素早く連れて行くように命じた。


「話は後だ。覚悟はできているだろうな」


 底冷えするような声にも、ジャックが反応することは無かった。その姿は魂が抜けた亡霊の様だった。


 こうしてあっさりと事件は片が付いた。


「大丈夫か? ……いや、大丈夫じゃないな」


 クリードは上着をかぶってできるだけ気配を消しているアリスの姿を見つけると、痛ましそうに顔をしかめた。レイノルドから聞いてはいたが、綺麗な肌につけられた生々しい跡にさすがに心が痛む。


 延ばされた手が顔に触れる直前に、アリスはすっと身を引いた。

 クリードは空を切る手に何とも言えない悲しそうな顔をした。


「…今のアリスの姿を見たらきっとマリーが怒り狂うな」

「……いい気味だと笑うと思いますよ」

「本当にか?」

「………」


 いっそのこと嘲笑ってくれた方がどんなに気が楽か。

 マリーやクリードとの関係はいつも記憶を取り戻す以前に築かれる。だから毎回毎回嫌でもアリスは二人と浅からぬ関係を持ってしまう。兄妹、姉妹同然の絆はいつもいつもアリスの心にしこりを残すのだ。


 アリスが本当はマリーを憎く思っていないことを、幼馴染の一人であるクリードは気付いている。昔のように仲の良い三人に戻りたい、戻ってほしいと、常々そう思っている。


「今回の一件はあの女の仕業だろう」


 あの女、というのはエレオノーラのことだ。自分たちから妹同然のアリスを奪ったエレオノーラをクリードとマリーは毛嫌いしている。別にエレオノーラが仲を切り裂いたのではなく、アリスが後々敵対しやすいように離れただけなのだが、そんなことを二人が知る由もない。


「違います」

「嘘だな。お前がそんな傷ついた顔をするのはあの女関係ばかりだ」


 いらぬ勘の良さを発揮するクリードに舌打ちしたい気分だった。


「いつか裏切られる日が来ると言っただろう。今からでも遅くない。俺たちに…」

「裏切られたなんて思っていません」


 クリードの言葉を遮ったのは硬い声だ。自分の心の暗いところを刺激する全てから耳をふさいでしまいたい。


「私がこう(・・)なることでお役に立てることがあったなら、それで構わないと思っています」

「お前な…」

「かわいそうだなんて思わないで。私自身がやりたくてやっていることなの。あなたが殿下を選んだように、私はエレオノーラ様を選んだ。それだけよ」


 震える声で告げられた拒絶にクリードは引き下がるしかなかった。


 まだ何か言いたそうにしていたものの、アリスはそれに背を向けて、一人誰もいない端の方へと、逃げるように場所を変えた。


 小雨がぽつぽつと肌を打つ。


 殴られてほてった患部にはその冷たさが心地良い。

 アリスはもやもやを全て吐き出すように息をつく。最悪な旅行だ。早く寮へ帰って日常に戻りたい。心からそう思った。



 暗がりに身をひそめて、バルトロは機を伺っていた。

 勝手口から逃がされ、「必ずやり遂げろ」と言ったあの亡霊のような目が頭から離れない。


 キリクの屋敷を出る直前、首に手をかけられながらバルトロは命令された。


『いいか、もしオレが失敗するようなことがあったら、お前は一旦隠れてあの女を必ず殺せ。できないなんて言うなよ? お前の家族の弱みをオレが握っていることを忘れるな』


 その言葉にぶるりと体が震えた。


 バルトロの一家はカーター商会に仕える前、資産家の家で下働きとして雇われていた。金に目がくらんだ両親が、主を殺すまでそれなりに平穏な毎日だった。金目の物を全て盗み、カーター商会に持ち込んだのは痛恨のミスだ。巷を騒がせた殺人犯だということがすぐにジャックの父親である商会長にバレたのだ。

 それ以来家族たちはカーター商会の後ろ暗い仕事を担わされ、たくさんの悪事を積み上げてきたのだ。


『あの時見逃して働かせてやってるのは一体誰だ? もしあの件がバレたらきっとお前たちは残らず縛り首だろうな』


 カーター商会が大きく成長できたのは、実のところその時持ち込まれた金品を元手に商売を広げたからで、この件に関して言えばジャックたち商会の人間は同罪なのだが、頭の悪いバルトロがそれに気付くことは無い。機転の利くドルジがいてはできない脅し方だった。


 後がない。バルトロは追い込まれていた。


 でも女を殺せるチャンスもない。がっちりと周囲を騎士で固められた令嬢をどうやって殺せと言うのか。武器の一つすら自分は持っていないのに。


 バルトロは考えた。小さな脳みそを精一杯に働かせて頭から湯気が出る程に考えた。

 それでも何にも浮かんでこない。


 ぐるぐると目を回して考え込んでいたその時。


 パラパラと自分の潜んでいる斜面から小石が転がり落ちていることに気が付く。

 それからミシミシと木の根元が悲鳴を上げる音も。


 この光景をバルトロは一度見たことがある。確かそこも雨が多く、毎年死人が出るような場所だった。


 はっと頭の中に天啓がおりた。


 馬車でも待っているのか、暢気に館の前でたむろしている連中は、誰もまだこれ(・・)に気付いていない。


 使える。これなら確実に殺せる。

 ごくりと生唾をのんだ。


 砂や小石はどんどんと量を増やしている。その音が少しずつ大きくなり、ゆっくりと地面が揺れ出した。


 この地に長く勤務する騎士の一人が不審げな顔で斜面を見て、かっと目をむき大声を上げた。


「門の方へ! 急いで! 崩れます!!!」


 ざわりと空気が揺れた。


 気付かれた! バルトロは冷や汗をかく。これでは女は逃げてしまう。


 その時背筋に凍えるような冷たさを感じる。

 ジャックがあの目で、死神のような目でバルトロに言っている。やれ、と。


 恐怖に背を押され、バルトロは飛び出した。がむしゃらに走って騎士たちを押し退け赤髪の女を掴むと、今まさに崩れようとする方向へ思いっきり突き飛ばした。


 大地が唸りを上げて振動する。目に見えて足元にぱっくりと大きな亀裂が入った。

 悲鳴が上がる。


「――――!!!」


 それすら飲み込むような轟音を立てて、一人の少女の体は深い森の奥へと引きずりこまれていった。


 死神が嗤っていた。


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