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劣等感

※暴力表現あります


 天地がひっくり返る感覚ってこんな感じなんだろうか。

 どっちが上か下かも分からない。白い光が頭の中で火花を散らして爆ぜた。


 無防備なアリスの体は背後から加わる力のままに前方へ弾き飛ばされた。


「っっっっ!!!」


 続けてズタ袋でも扱うかのように転がるアリスの体を一本の足が真上から踏みつけて止める。


「シュキアス様ぁっ!」


 もう一度ミュリエッタから悲鳴が上がる。頭を強打されたのか、アリスはぐらぐらと脳が揺れるのを感じた。


「は、はは、ハハハハハ……やった、やってやったぞ…!」


 アリスの背を蹴っ飛ばして男は笑っていた。

 ズキズキと痛む頭のせいで他の痛みなんて感じてないはずなのに、生理的な嗚咽がアリスの口から洩れる。

 ミュリエッタは初めて見る光景に何もできずへたり込んでしまった。


「なーんだ、簡単なことだったんじゃないか……チッ、わざわざ遠回りさせやがって」


 蹴っ飛ばして仰向けになったアリスの腹を思いっきり上から踏みつける。アリスはされるがまま、必死で頭を働かせようとしていた。


(もう一人いたなんて…!)


 もっとしっかり周りを確認するべきだった。

 気絶できなかったのは幸か不幸か、口の中に広がる鉄錆のような味に急速に頭が冷えていく。


(あの子じゃなくて良かったと思うべき?)


 もしミュリエッタがこんな目に合っていたらこの男は王子に血祭りにあげられるに違いない。

 それでもアリスだって生粋の貴族令嬢だ。生まれてこの方こんな目にはあったことがない。自分で首を切って死ぬ方がまだましだ。


「ゴホッゴホッ!」


 息がうまくできずに咳き込むのを男は血走った目に焼き付けるようにして見下ろしていた。


「あァすっきりする……なぁおいお前、オレのことを覚えているか?」


(こんな以上性癖者知ってるわけないじゃない)


 暗闇の中、突然背後から女の頭を蹴とばすような知り合いなんて生憎持ち合わせていない。

 それにまだ目が瞬いているせいで顔すらはっきり見えない。もしこれで視力でも失ったら残りの半年を不自由なまま過ごさなくてはならない。どうせ死ねばリセットされることだとしてもアリスは怒りを覚えずにはいられなかった。


 しかし怒りに任せていつものような憎まれ口をきけないのはアリスにとって幸いだった。今相手を煽ってもプラスに働くことは何もない。


「おい、覚えてるかって聞いてるだろうが!」

「っ!」


 男は足を話すとアリスの前髪を無造作に鷲掴み、顔を無理やりに近付けた。生ぬるい息が頬に当たり、嫌悪感にアリスは顔をしかめる。この身震いするような嫌悪には覚えがある。

 あれは確か。


「みなしごなんかを侍らせやがって…、あいつが生意気なのはお前のせいだろ!?」


(あいつ…みなしご……この男は!)


 すっかり忘れ去っていた記憶が呼び戻される。


 みるみると開かれる目に男―――ジャックはようやくかと鼻を鳴らし、アリスを突き飛ばした。


 足元のおぼつかないアリスは再度無様に床に這いつくばるしかない。


「あの時はよくもオレをコケにしてくれたな」

「あなたは……」


 間違いない、ノアに失礼なことを言った三人組の内の一人だ。後ろでのびている男もそういえばあの時似たような体格の男がいた気がする。


(でもあれ(・・)の報復にしたってこれはやりすぎでしょう……)


 苦々しく蘇ってくるのは水をお見舞いしたことくらいだ。ここまで憎しみを買うような真似はしていない。


(それに……)


「……して、ここにあなたが来るんですかっ、ゴホッ」


 かすれるような声が出た。喉がやけるように熱い。

 口の端からたらりと口内にたまっていた血がこぼれた。


「なーんにも分かっちゃいないんだな」


 けらけらとジャックは心底愉しそうに笑っている。ころころと気分が変わっていく様子は気味が悪いったらない。


「今までのことはぜーんぶ、こうしてここにお前を呼び出すために仕組んだことだ」

「私……?」


 ミュリエッタではなくアリス。そのことに違和感を覚えないはずがない。不審そうな声を上げるアリスに男は口を滑らす。


「あいつらの都合は知らないけど、オレは最初からお前にしか用はない」


(あいつら? 指示を出した人間は別にいるってこと? 昨日捕まったのは多分この男の仲間、じゃあ黒幕は?)


「それは…」


 アリスが質問を重ねようとすると、ジャックの手がぱんっとアリスの頬を叩いた。

 ただでさえガンガンと痛む頭に、それがやけに響いて、アリスはひゅっと喉を鳴らした。


(女相手でも容赦無しってことね)


 本当に。なんてついてない日だ。


「ぺらぺらおしゃべりがしたくてここに来たんじゃないんだよ。なぁ、オレはお前をどういう風に殺したらいいと思う?」


 ぎょろりと怪物のような目がこちらを向く。その目は確かにアリスを見ているのに、アリスじゃないどこかに向けられていた。アリスを通して誰かに向けられた殺意に、アリスは一つだけ心当たりがある。


 殺す、という言葉にジャックの後ろで震えていたミュリエッタが顔を青くした。自分が何とかしなければ、と我に返ったのか震える手でポケットをまさぐりアリスに渡された瓶を手に取る。武器(フライパン)はジャックのすぐそばに転がっている。あれを取る暇はない。


 ミュリエッタが瓶のふたを開けようとするのを、アリスは目で制した。ミュリエッタのことを完全に忘れている今もう少し自分に注目させれば武器を拾えるはずだ。

 伝わったのかミュリエッタはぴくりと止まり頷いた。


「殺すほど恨まれるようなことをした覚えがないんですが。それに貴族を殺す罪の重さは分かっていますよね?」


 こんな時でもアリスの声は冷静だった。

 痛いのは嫌いだけどアリスにとって死とはそんなに重いものではない。今まさに自分を殺そうとしている者より、気楽なものだった。まるで他人事のその様はジャックをたじろがせる。


「つ、罪も何もあったものか! オレたちは王子のお気に入りに手を出したんだぞ? 全部他の誰かのせいになるからって言われたってドルジの奴が捕まったら全部おじゃんだ!! どうせ殺されるんならあいつに一泡吹かせてやる!」


 王子を暗殺しようとしたわけでもないのに殺されるような刑が下されるはずがないのだが。興奮した人間に何を言っても伝わる気がしない。それに別に落ち着かせるつもりもない。わざと神経を逆なでしそうなところを選んで会話を続けるのだ。


「あいつ?」


 白々しい顔でアリスは首をかしげる。


「ノアの野郎さ! お前はあいつの恋人だろう!?」


(はぁ!?)


 盛大な勘違いにこんな時なのにアリスは噴き出してしまいそうになった。

 それからもしかしてこれは盛大な勘違いの末のとばっちりなのでは?と。


 確かに辱めるようなことはしたけど命で償うにはおつりがいくらあっても足りないくらいだ。いくら何でもそんなにアリスの命は安くない。


 ジャックが狂気を向ける先は自分じゃない、ノアだ。

 それが分かれば後はいつものように悪役じみた高慢な顔をして、見下してやればいい。


「ノアに嫉妬しているんですか?」

「何だと?」


 食いつきから言って大正解。この方向で行こう。アリスはちらりとミュリエッタに合図した。


「もしかして、見下していた孤児に負けて恥ずかしくなってしまったんですか?」

「お前!」


 ジャックはアリスの胸倉をつかむ。びりっと繊細な生地が破れる音がした。


「自分より弱い女に手を上げて悦に浸っているなんて本当に哀れですね」

「黙れ」

「品性の欠片もない方に何を言っても無駄でしょうが、女性への態度は最初から最低でしたしね」

「黙れ……」

「そんなんだから負けちゃうんですよ」

「黙れ黙れ黙れ! お前に何が分かるッ!! 生まれたときから爵位がある人間は皆そうしてオレたちを馬鹿にする!あいつは貴族(おまえ)の力でズルしてるだけだろう!? そうじゃなかったらオレがあんな奴に負けるはずがない!! オレだって認めてくれる貴族さえいれば!!」

「誰があなたみたいな能無しを支援すると思っているんですか? 現実を見た方が良いですよ」


 悪意たっぷりの嘲りはジャックの切れかかっていた正気の糸を絶つには十分すぎる程だった。


「うるさいっっっっ!!!」


 振りかぶられた拳にアリスの体は動こうとしない。指先の一つもロクに動かせないからだ。

 でも目を開いたまましっかりとそれを見ている。


 黒い円形が男の頭上に天高くかざされた。


「えいっ!!!」


 妙に気の抜けた掛け声とともにガコンッ!と今日一番の銅鑼が打ち鳴らされた。


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