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決行


 キリクが部屋を出て行ってからしばらく後、きょろきょろと周囲の様子を警戒するようにしながらバルトロは主人の部屋へと戻ってきていた。


 自分が出た時より数倍荒れ果てた部屋にぎょっと小さい目をめいっぱいに大きく広げる。

 床一面に広がるなにがしかの残骸を避けようとしても大きな足ではそれも難しく。カチャリと破片がこすれあう音に反応してベッドの方から妄執に取りつかれたような視線がバルトロを睨みつける。


「何か見つけてきたんだろうな」


 感情のこもっていない無機質な声だ。昔から、ジャックの耳障りな怒声が嫌でたまらなかったのに、この声よりは百倍もマシだ。今のジャックは突然豹変する爆弾のようなもので、バルトロはびくびくと大きな体を柄にもなく縮こまらせることしかできない。


 何を考えているのか分からない濁った双眸にさらされるとたまらなく不安になるのだ。


「いえ…言われていたようなものは何も」


 ジャックは自分がキリクを引き付けている間屋敷を探って、少しでもキリクの弱点になりそうなものを探して来いと命令していた。

 ドルジに対する対応で自分たちがそう遠くない内にキリクから切り離されるのではと警戒してのことだ。


 この屋敷にいれば安全だなんて白々しいことを言って、この屋敷にいればいずれ全てを押し付けられて奴らの身代わりにされるに決まっている。ジャックはそう思い込んでいた。


 舌打ちと共にバルトロの頭に鈍い痛みが走った。ごとん、と足元に転がったのは真鍮製の花瓶だ。

 たらりと何かが額から頬を伝って部屋のカーペットに小さなシミを作る。


「愚図が」

「でっですが!良い話を聞きました!!」


 震えそうになる体を叱咤してジャックの傍へ駆け寄ると、床に膝をつき縋りつくように声を上げた。そして盗み聞いた話を要領を得ない口ぶりでつぶさに語って聞かせる。


 人形のような顔でそれを聞いていたジャックの顔に久しぶりの笑顔が見えて、バルトロは一人ほっと息を吐いた。


「やればできるじゃないか。そうか、あいつはあそこにいるんだな」


 ぶつぶつと考え込むように独り言ち始めた。ようやく満足のいく考えが浮かんだのか、ジャックは頷きバルトロを見下ろす。


「おい、準備しろ。もう少ししたら抜け出すぞ」


 ギラギラと嗜虐に満ちた目を輝かせてジャックはそう言う。

 訳が分からず混乱するバルトロに、そういえばこいつは馬鹿(バルトロ)の方だったと思い至ってジャックは手短に説明してやる。


 馬鹿は馬鹿でもバルトロには恵まれた体格と力がある。それに馬鹿の方が扱いやすくてこういう時には役に立つ。

 ジャックなんかバルトロが本気を出せば一ひねりなのに長年沁みついた下っ端根性はちょっとやそっとのことでは崩れない。


 ジャックを裏切ってうまい蜜を吸おうとしたせいで相方のドルジが捕まってから一層バルトロは従順になった。


「もう少ししたら滞在している屋敷にキリクたちは戻る。そしたらここを出てオレたちも例の館に向かうんだ。どうせいずれ捕まるんだ。絶対にタダでは終わらない……」


 狂気のにじむ表情にバルトロは逆らえずコクコクと頷く。


「それから、お前に一つ頼みがあるんだが」


 痩せて骨ばった手がバルトロへ延ばされる。

 死神が首筋に鎌をかけるように、ジャックはバルトロの首を少し力を込めて握り、洗脳するように囁いた。訳も分からず全身から嫌な汗が噴き出す。


 下された命令はごく単純なことだ。バルトロは深く考えず出された命令に再び首を縦にした。



 テーブルの下から這い出して、アリスとミュリエッタは息を殺して侵入者を待ち構えていた。決行場所は勝手口から真っすぐに入って一番最初の曲がり角があるところ。その両側に分かれて二人は待機していた。


 すっかりと暗闇に慣れた目が勝手口から侵入する大きな影を捉える。先ほどの執事とはまた違う人物がやってきたようだ。


 ミュリエッタはふるふると小刻みに震える手をぐっと抑えて、アリスの方を伺い見た。真剣な表情をしているがアリスに恐怖の色は見えない。今更ミュリエッタは怖くて仕方がないと言うのに、どうしてそんなに気を強く保っていられるのだろう。


 こんな弱気じゃダメだ、とミュリエッタは自分の手に爪を立てた。


 どしどしと重たい足音がゆっくりとこちらへ近づいてくる。


 チャンスは一回きり。不意を突いて意識を刈り取り、素早く鍵を奪ったら起き上がる前に館を抜け出す。最初にアリスが唐辛子の水を顔にかけて、その後ミュリエッタがフライパンで思いっきり頭を叩くというシンプルな計画だ。


 シンプルだけど失敗したらどんな目にあわされるか分からない。


(もうすぐ。でも焦ったらダメ。まずはシュキアス様が……)


 一歩、また一歩、どんどんと近付く。

 大きな影がアリスとミュリエッタのひそむ角に差し掛かる寸前、二人は目を合わせ武器を構えた。


(今だっ!)


 素早くアリスが身体を通路に出し唐辛子スプレーを噴射する。


「!!  ゲホッゴホッッ!!」


 咄嗟の出来事に避けられなかった男は正面からスプレーを受け、焼けつくような熱さに大きく咳き込んで体勢を崩す。

 ミュリエッタは両手でフライパンの柄を持ち大きく振りかぶった。


「っっ!!!」


 ガンッと大きな音がした。ミュリエッタの手がびりびりとしびれてしまうくらいの振動が手に伝わる。

 しかし男の意識を奪うことはできず、かえってやみくもに手を伸ばしてミュリエッタの方へとつかみかかろうとした。


「危ないっ!」


 アリウスの口から悲鳴が漏れる。

 アリスはすかさず自分のフライパンを高く持ち上げ、思いっきりその顔面に叩きつけた。


「このっ!」

「ぐがっ!」


 鉄の鈍器が脳天を直撃した。びくりと体が硬直したかと思うと、真ん前に向かって男の体は真っすぐに倒れこんだ。


 アリスとミュリエッタは両手で強く柄を握りこんだまま倒れた男の身体を凝視している。起き上がってきたらもう一度だ。何度だってやってやる。


 そんな令嬢たちの決意とは別に、男が起き上がる様子は無かった。

 慎重に距離を詰めながらアリスは男の身体を足で軽く踏む。


「やりましたか?」

「多分」


 荒ぶる息を整えて、二人はようやく息をついた。

 ミュリエッタは男の首筋に手を当てて脈があることを確認する。


 大丈夫だ、殺してはいない。


「気絶、しています」

「急いで鍵を…」


 とりあえずは成功だ。

 うなずき、ミュリエッタは男の上着をあさるべくその体の横にしゃがみ込む。


 上着のポケットのボタンを外そうとしているのに小刻みに震える手が言うことを聞いてくれない。


 初めて人を殴った衝撃で、心臓がやかましく鼓動している。のぼせてしまったかのように頭がふわふわと浮いているような心地がする。顔からは火が出そうなくらい頬がほてっている。それなのに手だけは氷のように冷たくて、ジンとしびれた感覚だけが残っていた。


 自分が今混乱しているのが分かっている。少し落ち着かなければ、


 ミュリエッタはもう一度息を吐いて吸った。そうすると少しだけ視界がクリアになる。

 何度も何度も、心が平静を取り戻すまで深呼吸を続ける。

 急がなければと焦るほどに体は言うことを聞いてくれないものだ。


 ようやく指先に少し感覚が戻ってくる頃には、ミュリエッタの頭は随分と落ち着きを取り戻していた。


 だから、アリスに接近するそれ(・・)に一足早く気が付いた。


「シュキアスさまっ――――!!」


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