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のぞく素顔に


 最後の扉を開ける。そこも他と同じ、ほこりかぶったがらんとした部屋があるだけだった。


「これで最後…、やっぱりあの男はもういませんね」

「そんな……」


 分かってはいたことだが、いざ現実になると嫌でも気が滅入ってしまう。

 使用人の部屋を全てあらためた後で二人は勝手口のある厨房まで戻ってきた。


 出入りができそうなところは全て固く閉ざされ、館の中には非力な娘が二人だけ。ご丁寧にもいつのまにか館の窓には全て雨戸が下ろされている。外側から鍵がかけたれているようで雨戸が動く様子もない。物音を全然感じなかった。アリスとミュリエッタが大人しく部屋で待機している間に随分と用意周到だ。マスターキーを使うにも館中が暗いせいで鍵穴の場所が分からない。

 八方塞がりだ。


 難しい顔をしてアリスが下を向いた瞬間、どんっ!と激しい音がした。

 ミュリエッタが勝手口に向かって体当たりをしてはじき返された音だ。


 突拍子もないその行動にアリスは目を丸くした。


「私たちの力でどうにかなる扉ではありませんよ」

「いたた……そうみたいですね」


 しかめっ面で床に打ち付けられたお尻と、ぶつけた肩をさすっている。


 アリスはやれやれと嘆息すると膝をついて怪我の具合を確認するべくそっと肩に触れる。

 指先がほんの少し触れただけでミュリエッタは息をひきつらせた。


「…無茶をして怪我をしたら元も子もないでしょう」


 またお前の仕業かと疑われる方の身にもなってほしい。


「うちの納屋だとこれで何とかなったんですけどね。さすがにこんな立派な家じゃ無理がありましたか」


 おや、とアリスは不意をつかれる。


「納屋に閉じ込められた経験がおありなんですね」


 あ、と自分の失言に気付いたのかミュリエッタが濁すような笑みを浮かべる。片頬をかいて誤魔化すようにして言った。


「昔のことです」


 別に気にしていないとでもいうような笑い顔でからっとした態度をとっている。でもその笑顔がアリスには不自然に思えて、それがミュリエッタという個人への興味を引いた。


 主人公らしい純粋無垢で清廉潔白、鈍感で抜けているけど人を憎めない懐の深い人物。

 アリスの考えるミュリエッタの設定(・・)はそんなところだ。


 しかし自分はいささか全てを物語に落とし込みすぎるきらいがある。

 だからわずかに見えたミュリエッタという人間に対する興味を抑えきることができなかった。興味本位で問いを重ねる。


「その方のことを恨めしく思いましたか」

「そうですね…恐ろしいとは思いました。何でも許してくれる姉のような存在だと思っていたので裏切られたような。どうしてこんなことするの? って」


 記憶の糸をより合わせるような遠い目をして、ミュリエッタはぽつぽつと口を開く。


「幼い頃から薄々とお父さまやお母さまがわたしの本当の両親じゃないんじゃないか、という気はしていたんです。だってあまりにもわたし似ていないですから。それでも二人の愛情をたくさん受けて十分に幸せでした。……それが気に入らなかったのでしょうね」


 ミュリエッタの出自についてアリスは知っているのではないかと思っていたが、予想通りアリスからはミュリエッタの言葉に疑問を抱いた様子はない。それに言及することなくミュリエッタは続ける。


「幼い頃からお屋敷で働いていて、お父さまとお母さまからとても可愛がられていたメイドがいました。わたしより五つくらい年上だったでしょうか? いつも遊んでくれていたのですが、ある時かくれんぼ中にわたしが納屋に隠れていると知って、外から納屋に鍵をかけたんです」


 菫色の瞳には当時の光景がありありと思い出されているのだろう。ミュリエッタらしからぬ影を帯びた声色がアリスの耳に流れ込んでいく。


「しばらく声を上げても誰も来ませんでした。それはそうですよね。仕事の邪魔にならないように普段使われていない場所を選んだんですから。とにかくわたしは半分パニックになっていて、一時間もたたないうちに、今度はだんだんと腹が立ってきたんです。最後に鍵をかけながら彼女笑っていたから……、それが何度も思い出されて」


 ぎゅっと震える手が胸元で重ね合わされる。ミュリエッタにとってはそれほど後悔の残る思い出なのだ。


「腹が立ったわたしはさっきみたいに納屋の扉に思い切り体当たりしました。扉が開かなくても、これで骨折すればあの子の悪さを糾弾できると心の中で思っていたんでしょうね。幸か不幸かあっさりと扉は壊れました。転がり出た先でわたしはうずくまって泣いている彼女を見たんです。それで『ごめんなさい、あなたが羨ましくて』って後悔しているみたいでした」

「自分でしかけておいてですか? 随分勝手ですね」


 悪事を働くにはそれなりの覚悟を要する。人を傷つける覚悟と裁かれる時はその責を負う覚悟だ。アリスはいつもエレオノーラの為に悪事を働くが、それはエレオノーラの責ではない。

 アリスがやりたくてやっていることだ。

 物語という決められた筋の中で、少しでも彼女に幸を感じてもらえるように、少なくとも自分だけはずっと味方であると示すために、アリス自身が決定している。


「やっぱりそう思いますか? わたしもその時そう思いました。なんて勝手なんだ! って。その子は『言わないで』と言いましたが、わたしは包み隠さず全てを両親に語って聞かせたんです。するとどうなると思いますか? あの優しい二人は大層起こって、彼女を屋敷から追い出してしまいました」

「当然ですね。一度の過ちでもやっていいことといけないことがあります。それを許しては他の使用人に示しがつきませんから。何であれ仕える主人の身を危険にさらすなんて一番許してはなりません」


 ミュリエッタは頷く。どうやら子爵夫妻にも同じようなことを言われたのだろう。

 孤児を拾って養子にするぐらい慈愛の心を持っていても、貴族と使用人の別はちゃんとわきまえているのだ。片田舎の貧乏貴族と侮ってはいけないかもしれない。

 しかしミュリエッタはその結果に納得できなかったのだろう。


「わたしもはじめ自分は被害者だと思っていたし、同じ家で暮らすのも恐ろしいので良かったと思っていました。ですがしばらくして彼女のことを思い出すようになったのです。その顔はいつもあの後悔したような泣き顔。わたし何しちゃったんだろう! っていうような顔が胸を締め付けるんです。その度に本当にわたしはこうすることが正解だったのかなって。彼女は彼女なりに思うことがあって咄嗟に行動に移しちゃっただけで、わたしさえあれを無かったことにすれば、彼女は今でもいい姉でいてくれたんじゃないかなって、そう思ったんです」


 ぎゅっとミュリエッタは膝を立てて体を丸め込む。両腕で自分を抱くようにして目を閉じた。

 今でもあの時の後悔は忘れられない。偽善だと言われればそうかもしれない。それどころか独善的だと言われてもしょうがない。それでも自分さえ我慢すればこんなに心が締め付けられることもないんじゃないかと思った。


 それからは何かをやる側にはそれなりの理由があるのだとミュリエッタは思うことにしている。自分が傷つけられる分には構わない。鈍いから理由が分からないこともたくさんあるけど、その多くが自分に原因のあることなら、まずは話し合って改善できるものならしたいと、そう決めていた。


「ハミルトン様のことも、わたしに責任があることだから一人で片付けようって。全てを明かすことが最善じゃないってわたしは身をもって知りましたから」


 アリスはようやくそれが自分の問いに対する答えだと気付く。ミュリエッタが王子にピンバッチの件を黙っていると言った理由、敵地ともいえるこの館に一人でやってきた理由。


 ミュリエッタはミュリエッタなりに今回の件を大事にしたくなかった。

 それはエレオノーラのためでもあり、自分自身のためでもある。


 底抜けのお人よしの中に、ほのかな人間臭さを感じ取れた気がした。

 はりついた主人公というラベルがずれて、ミュリエッタの顔がおそるおそるこちらをのぞいている。


 全くの考えなしでもなければ、自分の利を考えないわけでもない。


 キャラクターとしてのミュリエッタが水面に映る月のように揺らいでいく。


 それが自分にとって良くない変化だと分かっているのに、アリスは耳をふさぐことができなかった。


「こんな話誰にもしたことないのに…内緒ですよ?」


 ミュリエッタは困ったように、あざとい笑みを見せた。

 この雰囲気にどう収拾をつけようか考えあぐねて、アリスに委ねることにしたらしい。アリスはいつもの調子で乗ってやることにした。


「そうやって何人の殿方を策にはめてきたのか考えると恐ろしい(ひと)ですね」

「言いがかりですっ!」


 つられるようにしてゆるく口元に弧を描いた。

 すぐに真一文字に引き絞られたが。


「さて、おしゃべりもここまでにしてそろそろ真面目に脱出の方法を考えましょうか。私の予想ではおそらく犯人は一度戻ってくるはずです。そこを狙いましょう」


 そう言ってアリスは腰を上げると暗がりに慣れた目であちこちをあさりだす。勝手口があるのは厨房だから色々と候補はあふれている。


「狙う?」

「ぼさっとしていないで武器になりそうなものを探してください。あ、でも刃物は駄目ですよ。殺してしまったら犯罪ですから」

「え、えぇーー……」


 あからさまにミュリエッタがドン引きしていた。


「相手は男性です。力では勝てませんから、もしもの時は道具に頼りましょう。あぁ、これなんか良さそうですね」


 そうしてアリスは調味料の棚から粉末になった唐辛子を取り出す。スパイスは貴重品だからこんな使い方をしたとバレたら料理人が卒倒しそうだが、こんなところに放置しているのが悪い。


「粉のままだと決め手に欠けますね……。あぁ、それなら」


 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら霧吹きを探す。中身が空のものを見つけるとその中に粉末を全て入れ、水を流し込む。


 それをかけられた時のことを想像してミュリエッタはすくみ上った。容赦のなさが恐ろしい。


「わたしはこれにしておきます」


 動作チェックを終えて満足げなアリスに怯えながらミュリエッタが手に取ったのは麺棒だ。ちゃっかり殺傷力の高そうな鈍器を選ぶあたりセンスは悪くない。アリスは頷くが、もっとその部類ならもっと良いものを知っている。


「それならこちらの方が良いでしょう」


 言いながら壁に掛けられていたフライパンを指さした。ついでに霧吹きの中身を小瓶に移して渡した。


「もしもの時はこれも躊躇わず使うように」


 ミュリエッタは何とも言えない複雑そうな顔をしていた。



 装備を整えたら後は敵を待つだけだ。

 アリスとミュリエッタは一緒になって食堂のテーブルの下に隠れていた。

 メインの出入り口が二つあるため、できるだけ二人で行動できるように間を取ってどちらの物音も聞こえるように食堂を選んだ。


 息を殺して二人はじっと耳をすましていた。


 それから数時間がたち、あたりが完全に闇に染まった頃のことだ。


 遠くで鍵が開く音、それから続いて木が軋むような音が二人の耳に届く。勝手口の方だ。


 パッとミュリエッタがアリスの顔を見る。

 アリスは頷き、囁くような声で「行きましょう」と言った。


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