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対面


 朝が来た。いつも通り日が昇りきる前に目が覚める。朝には弱かったのだが、近頃は眠れない日々が続いているからか嫌でも眠りが浅くなっている。


 もぞもぞとアリスは体を起こし、髪を縛っていた細紐をほどく。昨晩から降っている雨の湿気にあてられてうねりを増した髪を何とかするところから始めなければならない。今日はエレオノーラに会いに行く日だから入念に準備しなければ。

 いつもなら楽しみのはずのそれも何だか今日に限って憂鬱だ。


 それもこれも。


 隣のベッドに目を移す。

 ミュリエッタはいつも通りよく眠っていた。昨日のやり取りで彼女が約束を確かに守ったのが分かった。前回までもミュリエッタがこちらに牙をむいたのは、オルデン子爵夫婦に対して被害が及びそうになってからである。


 今はまだアリスにこうして好意のような何かを向けているがそれは一時のイレギュラーだ。

 もう少し物語が進めば、こんなに悠長に悪役の隣でなんか眠っていられない。


 今回エレオノーラの件は黙っていると決めたのはミュリエッタ自身のはずなのに。

 変に胸が痛むのは敵に情けをかけられたようで悔しいから。


(罪悪感なんてないわ……だって私たちお互い様でしょう?)


 アリスはミュリエッタを傷つけ、ミュリエッタはアリスたちを破滅という死に追い込む。だから何にも気にすることなんてないのに。


 嫌いな朝だからこんなに思考があちこちへと散らばっているのだ。頬を軽くパンパンと両手で叩いた。


 準備にとりかかろう。



 アリスはくたくたのシャツを着た御者の手を借りて馬車に乗り込む。泥水が大切な服にはねないように慎重にステップに足をかけてほっと息をついた。

 座席にまで乗り込んでいざ扉を閉めるとなった時、御者は恐る恐るアリスに声をかけた。


「本当に行くんですかい?」


 不安そうな声で初老の男は再度確認を繰り返す。今日何回それに対して返事を返せばいいのかとアリスはため息をつきたくなった。


「えぇ、お願い。報酬は弾んだでしょう? それともまだ足りないの?」


 仕方なく財布を取りだそうと鞄に手をかけるふりをすると慌てた調子で男はそれを制止した。


「いえ! 十分です!! もらいすぎなくらいでぇ。ですが、お嬢様を送り届けたら約束通り帰りますよ?」

「えぇ。帰りはどうにかするから大丈夫」

「それなら……門が開いていたら中までお連れします」

「頼んだわね」

「へい」


 御者はびくびくと馬車の戸を閉めた。

 しばらくしてガタガタと音を立てて馬車は動き始めた。


 アリスは馬車の中に捕まれるところを見つけるとそこを掴んでため息をついた。この十数年は貴族令嬢としてふかふかの馬車にしか乗ってこなかったのでここまで酷いものは久しぶりだ。だが断罪の後北に送られる時は屋根もないような荷馬車だったのであれを思えばまだ我慢できる。


 街でギリギリ馬車に乗れるくらいの小金持ちを相手にしている御者をわざわざ選んだのには理由がある。


 今から向かう屋敷は夏の間立ち入りを禁止しており、避暑に来た貴族たちが馬車で向かわないように、御者たちには貴族向けに馬車を出すなという規則があるのだ。規則を破ると厳罰が下されるので、貴族を相手にするような比較的裕福な者たちは進んで危ない橋を渡ろうとはしない。何度も断られてようやく見つけたのがこの初老の男だった。


 どうやら金に困っているようで、それなりに金を積めば馬車を出してくれることになったのだが、いざ行くとなると引け目を感じている様子だった。これだけ小心者ならもし何かあっても巻き込まれることを恐れてみだりには話を言いふらしたりしないはずだ。


 エレオノーラが回りくどい手段で居場所を伝えてきた以上、どこにいるのか知られたくないのだろう、とアリスはあくまで主人の意向を守るつもりでいた。


 目的地である館は、滞在している屋敷の敷地内にあるが、屋敷側の入り口は狩場となっている森の中にあるので今から向かうのは街から行ける裏口の方だ。


 そちらは門で封鎖されているとの話だったが、今日アリスが来ると知っていれば開けておいてくれているはず。もし開いていなければ最悪歩いて行けばいい。


 曇ったガラスの向こうにうっすらと流れていく街並みが見える。昨日のようにどしゃぶりではなかったがパラパラと小雨が降っていた。


 今日は狩猟大会の最終日でもある。ぬかるんだ森の中でノアが怪我でもしなければいけど、とアリスはノアのことを思い出す。


 本当に律儀に銃をもっていなかった。ノアもミュリエッタと同じく約束は守る人物のようだ。そんなノアは、アリスが人に酷いことをしていると知ったらどう思うんだろうか。

 軽蔑するだろうか。


 あまり考えたくないことだ。


 今はとにかくエレオノーラのことを第一に考えよう。きゅっと胸元のネックレスを握りしめて深呼吸した。



 門はやはり開いていた。おかげで険しい上り坂を自分で上る羽目にならなくて良かった。

 再び御者の手を借りながらゆっくりと馬車を降りると鞄をまさぐる。


「ここまでありがとう。分かっていると思うけどこのことは内密に。いいわね」

「勿論です」


 おずおずと躊躇う御者の手に追加で報酬を握らせた。ここまですれば大丈夫だろう。


 さて、と目の前にそびえる館を見上げた。

 夏の間出入りが禁じられているのは本当のようで、あたりは雨降りで薄暗いのに、館にはほとんど光がついていない。


 二階の奥でぼんやりと一つだけ部屋に明かりが灯っている。

 エレオノーラの部屋はきっとあそこだろう。


 胸を押さえて息を整える。


 正直に言うと怖い。どんな顔をしてエレオノーラに会えばいいのか分からないから。


 怖気づく心を叱咤してアリスは館の方へと歩を進めた。


 ドンドンっとドアノックを二回打ち鳴らす。

 しばらく待ってみても誰も顔を出さない。


(あれ……)


 もしかして人が少ないのか、ともう一度。今度はもう少しゆっくりと大きな音が出るように。


 それでも誰も出てこない。


 首を傾げた。しょうがないのでノブに手をかけ、ゆっくり押すとギィッと木が軋む音がして、扉が開いていく。


「誰かいないの?」


 エントランスホールは無人だった。それどころかアリスが足を踏み入れるとほこりが舞う。

 明らかに長期間手入れされていないのが分かる。

 本当にこんなところに人を泊めているのか。


 それまでの不安に変わってアリスには怒りがこみあげていた。


 公爵家の家令から手紙が届いたということは、ここを今管理しなければならないのは公爵家の使用人のはず。自家のご令嬢を数日とはいえ、こんなところに滞在させているなんて信じられない。


 もう一度アリスが大声で誰かを呼ぼうと息を吸うと、タイミングよく正面の階段からランプを片手に一人の男が降りてくる。


「お待ちしておりました、お嬢様」


 若く、あまりパッとしない顔立ちだがそつがない。胸元にはちゃんと例のバッチが留められている。服装からしておそらく執事だ。


 アリスは腕を組み不満をあらわにした。


「この館を管理しているのは誰? ノックをしても誰も出てこないなんてどうなっているの」

「申し訳ありません。責任者は(わたくし)でございます。何分一人で回していますのでどうしても人手が足りず、ご不快にさせてしまったのならお詫び申し上げます」


 今聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「あなた一人? 他に人はいないの?」

「はい、私一人でございます。お屋敷から派遣されたのが私のみで、自家以外の者はこの館に立ち入らせてはならないとのことでしたので人も雇っておりません」

「ハミルトン家は何を考えているのかしら」


 つい口から本音が転がり出る。しかし目の前の執事の気に障った様子はなく、平然とした顔をしていた。


 エレオノーラとハミルトン家の間柄が悪かった覚えはないが、これはさすがに酷いのではないだろうか。


 アリスを頼ってくれたらもっとマシな場所を用意するのに。


 もう何度目かも分からないもどかしさにアリスは咳払いした。


「お嬢様には快適にお過ごしいただけるよう最善を尽くしていますのでどうかご心配なきよう。その分お客様に不自由をおかけして大変心苦しいところではあるのですが、なにとぞご寛恕いただけると幸いでございます」


 慇懃な言葉にアリスは頷いた。


「構わないわ」

「ありがとうございます。それではこちらへどうぞ」


 執事は二回に続く階段を手で示して案内するようにアリスの先を歩いた。

 外から見た時一番奥の部屋に人影が見えた。エレオノーラはやはりそこにいるんだろう。


 アリスは黙って男の後をついていった。


「準備を整えて参りますので、こちらでしばらくお待ち願えますか?」


 そう言って執事は最奥から二つ手前の扉の前に立った。


「準備?」

「はい。もうすぐ昼食の時間ですから。一緒に召し上がっていただいた方がお嬢様の気も晴れるかと思いまして」

「そう……」


 それより早くエレオノーラに会いたいのだが。

 焦ってもしょうがない。


 大人しく執事の言葉に従い開けられた部屋に入る。


「また呼びに参りますので、それまでどうぞごゆっくり」



 イライラとアリスは部屋の中を立って歩き回っていた。


「遅い。遅すぎる」


 待てども待てども執事はやってこない。部屋の時計を確認すると、もうとうに昼の時間は過ぎて、アフタヌーンティーにも遅いくらいだ。


 いくら何でもおかしい。


 この間のメイドといい、どうも最近何者かのせいでエレオノーラに会うことを阻止されているような気さえする。


 このままでは埒が明かない。


 アリスは部屋を出て自分から向かうことにした。


 廊下には明かりがついていなかったのでランプを持って部屋を出る。

 一度わずかにドアを開けて外をのぞいたが誰もいない。


 相変わらずこの館の中には一切の人気を感じない。執事一人が管理しているというにしてもここまで静まり返っていると不気味だ。


 静かに閉めたはずなのにやけに響き渡って聞こえるのも背筋が粟立つような気がした。

 忍び足で向かう先は二つ先の明かりのついた部屋だ。


 ごくりと生唾を飲む。いよいよだ。


 たった数日会っていないだけでこんなに緊張するようになってしまうなんて。


 前回はエレオノーラの部屋はもぬけの殻だった。


 今度こそ――――――。



 ノックなしにアリスは扉を開けた。

 中で誰かがさっと弾かれたように立ち上がる。


(そんな……)


 きっと今自分の顔には失望が浮かんでいるのだろう。


「どうしてなのですか、エレオノーラ様…」

「シュキアス様…?」


 まんまると開かれる目。


 そこにあったのは抜けるような青空の色ではなくここ数日ですっかり見慣れた菫色だった。


シリアスパートは書いていて心が辛くなってきますね。

はやくほのぼのさせてあげたい……

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