不安と雨
アリスは一人自室のベッドの上にいた。部屋に帰ってきてから後、部屋のカーテンを下ろして締め切った暗い空間の中でうずくまっていた。
その傍らには一通の手紙がある。
ぐしゃぐしゃに乱れた髪をかき上げて、アリスはもう何度目かも分からないため息をついていた。手紙はハミルトン家の家令からアリスに宛てられたものだ。
中身はいたって簡潔で、エレオノーラからの伝言が短く書かれていた。
今日の昼間、アリスはエレオノーラの部屋を訪れた。しかしそこに主人の姿は無かった。
アリスは今日の一連の出来事を思い返した。
*
「どういうことなの…?」
決心して部屋に踏み込んだというのに、部屋は無人だった。それどころか部屋が使われた形跡はなく、荷物も置いていない。初日にアリスが見たままの光景がそこには広がっていた。
エレオノーラはここにはいない。メイドは最初からアリスに嘘をついていたのだ。
「どういうこと?」
今度ははっきりとメイドの方を向いて声を張り上げる。
「顔を上げなさい」
まずは頭を下げたままのメイドにそう声をかけた。
ゆっくりと彼女はその言葉に従う。冷静さを保とうとしている者の、焦りを隠しきれていない表情だった。
「説明しなさい」
知っているか、とは聞かない。三日もアリスをこの部屋から遠ざけておいて何も知らないはずがないからだ。顔を青くしたまま黙りこくっているメイドの目を下から睨み上げるようにしてアリスは腕を組み顔を斜め後ろに反らした。
「何を黙っているの? 説明しなさいと言っているでしょう」
「お、お嬢様は、この部屋に来られてすぐ、急用ができたからしばらく部屋を開けると……。最終日には戻るので、心配をかけないように誰も部屋には入れてはならない、と仰って行かれました」
「急用って?」
「そこまでは…」
「私にも何も話すなと?」
「はい」
どうして! と叫びそうになるのをぐっとこらえて近くにあった椅子に腰を下ろす。
少し落ち着こう。
アリスは深々と呼吸をした。
不安に負けて感情のコントロールが効かなくなっている。こんなことではいつ何を口走ってしまうか分からない。
こんなにもエレオノーラから遠ざけられる意味が分からない。今までと何も変わったことはしていない。アリスはいつも通り忠実なしもべであるとエレオノーラに伝えているし、仲だって良好すぎるくらいだ。
ここのところ様子のおかしいエレオノーラや、物語の存在に自分が振り回されていることは百も承知だ。結末を知っていることがプラスに働くどころか余計にアリスを混乱させる。
もう一度深呼吸をする。
努めて冷静な声でメイドに聞いた。
「何か伝言を預かったりはしていない? どんな些細なことでもいいの」
「何も……あ、いえ! 少々お待ちください」
メイドは速足でその場を去ると、すぐに何かを持って戻ってきた。
「宛名も差出人も書いていないので保管しておいたのですが……」
そう言って渡されたのは一通の手紙だ。メイドの言う通り何も書かれていない。が、封蝋に使われている印は紛れもなくハミルトン公爵家のものだった。
「これはどこで入手したの?」
「一昨日の晩に私の部屋に置いてありました。何か大事なものだったらと思い保管しておいたのですが、こうしてみると貴女様に宛てられたものだったのかと思い……」
「そう…、ありがとう」
アリスは差し出されたそれを受け取る。エレオノーラに繋がる手掛かりになるかもしれない。早くそれを開けようと足早にエレオノーラの部屋を立ち去った。
*
そうして部屋に戻って手紙を開けてみれば、予想通りエレオノーラからの伝言だった。あまり体調が優れないのは本当のようで、本人に代わって家令が代筆しているらしい。
内容としては、現在は同じ敷地内の別館にいること、話があるので明日その館へ来てほしいとのことだった。一緒に地図も同封されている。
エレオノーラがいるという館は敷地の外れの方、小高い山の上にある。冬の間に人気となる星見が楽しめるように高いところに作られたらしいが、雨が多い夏には地盤が緩むからと立ち入りが禁止されている。
馬車が通れるように一応の整備はしてあるらしいが、鬱蒼と茂る森の中なのですすんで行きたくない場所だ。
このタイミングで話があるとなれば十中八九ミュリエッタのことだろう。
ようやくアリスに全てを話す気になってくれたのだろうか。
そう納得すればいいのになぜだか心のもやは晴れてくれない。
手紙が来たことに尻尾を振って、うきうきと館へ向かう気にはなれないのだ。今回のエレオノーラの行動は色々と不可解な点が多くて、どう動くのが正解なのかもう分からない。
(一番エレオノーラ様のことを理解しているのは自分だと思っていたけど、蓋を開けてみればこんなものね)
もしかして、とエレオノーラを疑ってしまう自分が嫌でたまらなかった。
鬱陶しくまとわりつく髪を苛立たし気に後ろ手で払う。
換気でもして気持ちを入れ替えた方がいいかもしれない。
アリスはのろのろとベッドからおりると窓に向かい、カーテンを開ける。
窓の外はすっかりと日が落ち、雨が降っているようだった。
ここのところ毎日快晴だったのに。夏場は突然雨が降るというのは事実らしい。
でも澄み渡る青空を見てしまったらきっと彼女のことを思い出してしまうから、かえって何も見えない暗がりで良かった。
じとじとと降る雨に感謝をする日がくるなんて。
うっすらと窓に映る自分の姿に手を伸ばす。
ひどい顔をしていた。
アリスにとって死は恐ろしいものではない。何度も繰り返した冷たい感覚に嫌というほど慣れ切ってしまったから。どうせまたこの世界に戻ってくるのならば恐れる必要はない。
もしエレオノーラに裏切られたらどうしようか。エレオノーラに必要とされないならば、アリスがこの世界で果たすべき役割はもうなくなってしまう。
そうした時、自分は何を選ぶのだろうか。
少しくらい自分の結末が速まったって繰り返しの物語に支障はないだろう。
だったらきっとアリスは――――――。
コンコン、というノックの音がアリスの意識を呼び戻す。
返事を待たずに誰かが部屋の扉を開けた。
「シュキアス様ーーって、起きているなら明かりをつけて下さい!」
やかましい声と共にぼんやりと部屋に明かりが生まれる。
ミュリエッタが持っていたランプから部屋の燭台全てに火を移すころには、アリスはいつも通りの顔をしてベッドに腰掛けていた。
ミュリエッタはそんなアリスの前に小走りでやってくると弾んだ声で言う。
「朗報ですよ!」
何がそんなに嬉しいのかミュリエッタは満面の笑みを浮かべていた。その輝かんばかりの笑顔を見ているだけで精気を奪い取られる気がする。
「犯人が捕まりました!」
「犯人…?」
「ええ、わたしの部屋を荒らした犯人です! やはり夜な夜な抜け出している本邸の方でした」
一瞬ドキリとしたが実行犯の方だったことにほっとする。
今回裏で糸を引いているのはおそらくエレオノーラだろうから。
アリスは今日のことで半分確信していた。
「マクマホン様の疑いは晴れたのですか?」
「はい! そのことで殿下たちがお話があると。だからお時間よろしいですか?」
アリスは目に見えて面倒そうな顔をした。行きたくない、と目が雄弁に物語っている。
しかしミュリエッタは知っていてそれを無視した。
「クラリッサ様が絶対にシュキアス様がいないとダメだと仰っていましたので嫌でもついてきてもらいますよ!」
そう言ってアリスの手を取ろうとする。
アリスは反射的に手を引くがミュリエッタは追いかけてその手を掴んだ。
ぱしりと存外に強い力で手を取られ、にっこりと笑顔を向けられる。
「ね? いいでしょう?」
どうしてこんなに押しが強いんだ。
アリスは呆気に取られてつい頷いてしまった。




