夜更けの未練
三人分のメイド服を調達するべく、アリスが向かうのは本邸の洗濯室だ。
そこなら予備がいくつか置いてあるはずだから、少しくらいちょろまかしても大事にはならないはず。
本邸には王子が宿泊している為、夜は厳重に騎士たちが入り口を警護している。だから忍び込むのにマスターキーが必要というわけだ。
王室の管理にある屋敷で、抜け道がないとは思えないが、湖で解散してからアリスは一人、本邸のあちこちを散策して回った。
豪華な屋敷が珍しいからか、他にも何人か見学者がいて特別アリスが目立った様子もない。
下準備はした。あとは見つからないようにうまくやるだけ。気合を入れていざ。
ゲストハウスの中にある入り口から隠し通路に入り込み、アリスは本邸の方へあたりをつけランプをかざすと少し速足で歩き始めた。
隠し通路は迷路のようになっているわけではないが、案内図が書いてあるわけでもない。方角を間違えるとどこにでるか分からない。ぶっつけ本番だが、幸いにも本邸までは一本道のようで、無事にたどり着くことができた。
出口は最上階から一つ下の階の階段の傍だ。
鍵を回し押して、扉の外の様子を伺う。
誰もいないことを確認してからアリスは静かに身体を扉の外へ滑り込ませた。
明かりをつけていては、見つかってしまう可能性があるので、ここで火を落としてしまう。盗んだ服を入れるようの袋に、火の消えたランタンをしまい込むと、肩ひもを動かして鞄を背に流した。
洗濯室はおそらく勝手口の傍だ。そういったところは使用人専用のスペースだから普通の令嬢が足を踏み入れることはないが、アリスはメイドたちと仲良くしていたから、屋敷の中は大体把握している。どこも家の造りは似たようなものだろう。
そろそろと手すりにつかまってアリスは階段を降り始めた。
一歩一歩、大きな音を立てないように慎重に下っていく。
シン、と静まり返った屋敷の中では、やけに自分の足音が耳に伝わってきて背筋がぞわぞわする。明かりもないせいで、一歩後ろを振り向いたら誰かがいそうな、そんな嫌な想像をしてしまう。
(自分の方がよっぽどお化けみたいなものなのに今更怖いだなんて……)
無意識に胸元に手が伸びていた。そこにはアリスのお守りがぶら下がっている。
魔女によく効くお守りなんだったら、魔女のことを愛してやまないアリスにも何かしら加護があるかもしれない。
きゅっと握りこむと心が落ち着く気がした。
3階分階段を降りる頃にはドッと疲れがたまっていた。
変に気を尖らせているせいで無駄に疲労している。
いつ人がくるかも分からないから、悠長にしている時間はない。アリスはさっさと目当てのものを回収するべく昼間見つけた使用人室の方へと向かった。
*
「一つ、二つ、三つ……、これで全部ね」
幸い、誰にも会わずに洗濯室までたどり着け、目当てのものを入手することができた。
手早く袋にしまい込んでから、ひとまず息をつく。これで目的の半分は達成した。後は見つからずに元来た道を戻るだけだ。
アリスは階段を階段を一段一段静かに上り始めた。
暗さにも慣れて、相変わらず人の気配も感じないから油断していたのかもしれない。
踊り場で、雲の合間から顔を出した月の光が差し込んでくるのに見惚れてしまった。ふと顔を上げる。
その時―――――、
「誰だ」
足音もなく、本当に突然の出来事。
何者かがアリスの背後に立ちその腕をひねり上げた。
「っ!」
慌てて逃げようと足を踏み出すも、がっちりと取られた手に一歩も動けない。
「こんなところで何をしている」
ぐっと手を引かれアリスは無理矢理に声の主の方へと顔を向けさせられた。
暗がりで、わずかに窓から零れる銀色の光がその姿を浮かび上がらせた。
雲一つない澄み切った日の空のような目が、鋭く引き絞られている。
アリスははっと目を見張る。それは相手も同じようだった。
交錯した青と琥珀の瞳が同じように困惑の色を宿す。
「アリス……? どうしてこんなところに」
「ノア…っ」
「あっ、ごめん!」
口を開いて零れた呻きに咄嗟に反応してノアは手を放した。しかしアリスが走り出してしまわないようにしっかりと腕を真っすぐにつかみなおす。
「ごめん…ちょっと、混乱してるんだけど、このまま帰すわけにはいかないから。来てくれる?」
拒否権は無い。アリスは神妙な顔をして頷いた。
ノアの部屋は階段に一番近いところにあった。手を引かれ階段を昇りきると、すぐに室内へと迎え入れられる。
いくら友人とはいえノアは男性だ。普通であれば個室に、しかもこんな夜中に、二人きりになるなんて断固拒否していたが、アリスの頭はそれどころではなかった。
(どうやって誤魔化そう……あぁ、やっぱり地味な恰好をしてきていて良かった)
緊張で青白い顔をしているアリスを自分の前に座らせて、気遣う様子もなくノアは頭を抱えて大きなため息をつく。
「率直に聞くけど、君はどうしてここへ?」
しばらくの無言の後、ノアはそう口を開いた。
スカートの裾をぎゅっと握りしめた。大丈夫、まだアリスの嘘がバレると決まったわけではない。
「貴族のお屋敷にお仕えしているっていう話をしたでしょ。あれ、実は王立学院…貴族舎の女子寮のことなの。お屋敷の旅行っていうのがこれのことで…」
「僕が聞いているのはこんな真夜中にこっちの棟にいるのはどうしてかってこと」
アリスの身体がびくりと強張る。それくらいにノアの声は厳しかった。
苛立ったように組まれた足も、落ちる髪をだるそうにかき上げる様子も、その髪の間からのぞく冷ややかな目も、何もかもがアリスの知るノアではない。
「怒ってる…?」
「当たり前だろ? 危なっかしいとは思ってたけどまさかここまで危機感ないとは思ってなかった。こんな時間に男だらけの場所にやってきて何してるの」
「誰にも会わなかったわ。皆もう寝てる時間じゃない」
「現に僕とこうして会ってるけど? というか、そういう問題じゃない。この時間に出歩くのがそもそもおかしい」
怒られている中不謹慎だが、こうして怒られていると妙に既視感がある。誰だっけ、と考えている内にアリスがちゃんと話を聞いていないことに気付いたのか、ノアが声音を下げた。
「聞いてる?」
「え、ええ。心配をかけてごめんなさい。でも私にも事情があって」
「こんな危ないことする事情って何? それにその大荷物は? まさか何か危ないことしてないだろうな」
ノアはずいっと顔を寄せてくる。
それを両手で押し返しながらアリスは言う。
「聞かれたくないことは聞かないんじゃないの?」
「アリスの聞かれたくないことは今こうしてバレてるんじゃないの? それに今回は話が別」
(本当はバレてないけど……)
ノアは何の疑いもなくアリスが貴族舎の女子寮のメイドであることを信じたらしい。
それならばもう少し嘘をついても信じてくれるだろう。
「ここの屋敷で使う為の服を洗濯室に忘れてきてしまって。明日は朝早くから色々と仕事があるからどうしても今夜のうちに必要だったの」
「洗濯室は一階じゃないの」
「屋根裏部屋で休んでいる友達から鍵を借りたの。今はその帰りよ」
ノアは不審げな顔をしているが、アリスが袋の中身を見せると一応は納得してくれたようだった。
「ね、ちゃんと事情があるでしょう?」
「事情があったってこんな時間に出歩くのは絶対にダメだ。もう二度としないと誓ってくれ」
「はいはい、誓うわ」
「本当に?」
念を押すノアの勢いに呆れながらアリスは言葉を重ねる。どうしてこんなに自分のことを心配してくれるのかは分からないが、悪い気はしない。だからつい口が滑って。
「私だって怖いんだから好き好んでこんな時間に出歩かないわよ」
ぽろりと本音が出る。ノアは顔をしかめた。
アリスは誤魔化すようにそっぽを向いた。
*
その後ノアの協力でアリスは勝手口を出て、騎士に見つかることなくゲストハウスへと帰りついた。送ると言って聞かないノアも一緒である。
ゲストハウスの裏口に近付くと、ノアはそれまで繋いでいた手を放して立ち止まった。
「ここで見てるから早めに屋敷の中に入って」
「あなたが見つかると大変だものね。あの、送ってくれてありがとう。……それから、貴族舎で働いていること、ちゃんと言わなくてごめんなさい…。言うタイミングを逃しちゃって…」
嘘だ。できることなら貴族舎に関わっていることすら知られたくなかった。
「いきなりあれだけ会いたいなんて言ったら引かれるのも当然だからいいよ。そこは僕が悪かったって思ってるし。それに、郵便よりアークの方が早いから結果オーライ?」
「なにそれ」
ふふっと、アリスがほほ笑む。
ノアもようやく怒りを収めて、放したばかりのアリスの手をすくいあげると、ふわりと花がほころぶように笑った。
「またこうして会える?」
時々こうしてアリスの心をざわめかせるようなことを言う。繋がれた手から伝わる温度にドギマギとしながらアリスは平静を装って首を横に振る。
「そうね…、仕事が忙しくて旅行中は無理かも。学園街に戻ってから会いましょう」
「そっか、残念」
「でもちゃんと、あなたが活躍しているところを見てはいるから。大人気じゃない。ご令嬢たちが皆あなたを見て騒いでいたわよ」
冷やかすようにアリスがそう言うとノアは苦い顔をした。
「嬉しくないの? 皆ここには結婚相手探しにくるものなんじゃないの?」
アリスは今日ミュリエッタに聞いた話をした。この旅行はいわば婚活なのだと。ノアも平民舎の生徒であるからには多少なりとも将来の嫁探しに来ているものだと思ったのだが。
全力で首を振って否定していた。
「何それ、そんな話今まで一回も聞いたことない! やけに話しかけられると思ってたけどそういうことなのか……。言ったろ、僕は負けず嫌いの友人に、半分無理矢理連れてこられてるんだって」
「そうなのね…、貴族の嫁を貰えば将来安泰なのに。あなた優秀そうだし引く手あまたでしょう」
「卒業したら雇ってくれるって人はもういるんだ」
その言葉にアリスはほっとする。
それから、ほっとした自分に対して冷や水を浴びせられたような気がする。
(私今なんて思った…?)
さっと顔を地面に向ける。
今回は物語とは違う自分も楽しもうと決めた。でも自分の未来は決まっているのだから、未練が生まれるようなことはできない。
(近付きすぎたのかも……)
「そろそろ行くね、送ってくれてありがとう」
「え、あ、うん。何度も言うけど、もう二度とこんなことしないように」
「分かってるって。それじゃあおやすみなさい」
今すぐにでも走り出してしまいたいくらいだったが、なんとか気持ちを抑えていつも以上にゆっくりと歩いた。
はじめてエレオノーラではなくて自分の未来が疎ましく思った。




