深い森の陰謀
ジャックはここのところで一番のいら立ちを覚えていた。
理由は勿論一人しかいない。
ノアがいると会場の空気は全てノアに持っていかれてしまうのだ。
昨晩のパーティーでは、ガーデンパーティーの時ジャックを無視した貴族たちが、こぞってノアに話しかけに行く。今日だって少し離れたところでたむろしてこちらの様子を伺っている令嬢たちはノアの一挙手一投足に色めきだつのだ。
自分より誰かがこれだけ目立つことに反感を覚えない者はいない。しかも相手はかつて自分が見下していた孤児風情なのだから。
「いっそこの銃で撃ち殺してやりたいくらいだよ…」
ジャックは親指の爪を噛みながらイライラと呟いた。
それからもう一つジャックを苛立たせる原因がある。
協力者、キリクだ。やっと連絡が来たかと思ったら旅行に参加しろだなんて言って、そこであれこれとジャックに危険なことをやらせようとする。
その上自分の手ごまであるバルトロとドルジにも何かアプローチをかけているようで、二人は最近ジャックのことをあまり敬わなくなった。
本当に頼れるものは自分一人しかいないのだとジャックは強く実感していた。
ドオンッと空に向かって大会開始の空砲が鳴らされる。ジャックは手に持った銃をぎゅっと握りしめた。
*
キリクはジャックの様子を注意深く観察していた。
神経質そうな目をさらに尖らせて、まるで何かに怯えているようにあちこちに荒んだ視線を動かしている。右手は落ち着きなく机を叩いている。左手は握りしめた銃から少しも手を離さない。
何かしらキリクに対して疑念を抱いていることは間違いないだろう。
プライドが高くて傲慢な性格をしているが決して馬鹿ではない。
だがそのぐらいの方が勝手に暴走して場をかき回してくれそうなので何も問題はない。
この話に加担した以上ジャックの破滅は逃れようのないことなのだ。それならばせいぜい思い通りに暴れてもらわなくては勿体ない。
だからあえてキリクは自分にかけられた疑念が深まるように差し向けるのだ。
「お前が、あのいけすかない赤髪の女の部屋だと言ったから危険をおかして二人をやったんだ。今更人違いだと? ふざけるな!」
「そういきり立ってもしょうがないじゃないですか。たまたま部屋の配置が直前で入れ替わったようなんです。それでも彼女と仲の良い令嬢のものだったので少なからず彼女にも恐怖は与えられたはずですよ」
「そもそもそんなものではオレの気は晴れない…! ノアもあの女も二度と立ち直れなくなるくらい痛めつけてやりたいって最初からそう言ってるだろう!!」
「それならちゃんと今まで通り私の指示には従ってください。そうじゃないとあなたが令嬢たちの部屋を荒らしたと王子に突き出しますよ?」
嘘をついてジャックたちに荒らすよう言ったのは王子のお気に入りの令嬢の部屋だ。狙い通り王子たちは今必死になって犯人を捜している。運が良ければキリクの仕込みが見つかるのにそう時間はかからないはずだ。
「お前、オレを脅しているのか? お前がオレに指示を出したと道連れにすることだってできるんだぞ?」
「一介の商家の出に過ぎないジャック殿と、きちんとした家門で長年国にお仕えしてきた私、はたして世間的にどちらの信頼が高いのでしょうね。試してみたいと言うのであればやぶさかではありませんが」
「貴様ッ!」
ジャックは椅子を蹴って立ち上がりこぶしを振り上げる。
勢いよく振り下ろしたそれはキリクに届く前に他でもないジャックの手下の手によって止められた。
「バルトロ…! 俺を裏切るのか?」
「いやっ、そんなんじゃねぇです! ですが……」
力ばかりで頭の働かないバルトロはすぐにたじろいでしまう。代わりにジャックをいさめるのはドルジの役目だ。
「ジャック様、キリク様はお貴族様だから手を上げちゃまずいですぜ。ますますジャック様の立場が悪くなっちまう。それにあの女の動向を探るのにキリク様の協力は欠かせない。そうでしょ?」
ちっと腹立たし気にジャックが舌打ちする。
「とにかく、次ヘマしたら許さないからな! オレが破滅するときはどんな手を使ってもお前も道連れにしてやる!!」
そう吐き捨ててズカズカと足音を立てジャックは小屋を出てしまった。
二人は慌ててその後を追おうとするが、ちらちらとキリクのことを見ている。物欲しげなその様子にキリクはにこりと笑みを作ると懐から袋を二つ用意して差し出された無骨な手の上に乗せた。
「二人ともありがとうございます。それで、私がお願いしたことは実行できましたか?」
「勿論です、キリクの旦那! 言われたとおりにあれを部屋の隅に置いてきました」
「こっちも、ほら! こうして持ってきましたぜ!!」
バルトロはズボンのポケットに無造作に入れていた大きな青色の宝石をキリクに差し出す。キリクはそれを一度受け取ってから軽く確認するようなそぶりを見せると頷いた。
「えぇ、確かに受け取りました。これでいいですよ。それでは報酬を上乗せしましょう」
キリクはずしりと重たい袋をさらに二人の手に重ねておいた。
二人の目は喜びで輝いている。
「引き続きよろしくお願いしますね」
「勿論です!」
タイミングよく外からジャックが大声で二人の名を呼ぶ。
キリクにぺこぺこと頭を下げて二人は小屋の外へと駆けだしていった。
三人がいなくなり、小屋にはまた静けさが戻る。
そこにコンコン、とノックの音が響いた。
「坊ちゃん、ヨハンです」
「入れ」
ぬっと滑り込むようにして音もなくヨハンが小屋の中に入ってくる。
「終わったか?」
「はい、ご命令通りそこそこの獲物を2、3仕留めてきました」
「ご苦労。本当にお前は万能だなぁ」
「坊ちゃんよりは狩りは得意ですね」
「コラコラ言葉を慎みなさい」
ヨハンはシレっとした顔でキリクの前の席に腰掛けている。どこに主人の許可なく同じ席につく執事がいるというのだ。キリクは苦笑した。
「それは?」
ヨハンはキリクが手元でいじっていた石を見て尋ねた。
「あぁ、ちゃんと偽物だよ」
言いながらキリクは手元の宝石を足元に転がしブーツの底で踏みつけた。パキッと音を立ててそれが砕け散る。これはただのガラスを加工したものだ。
「お遣いもまともにできないとは……やはり主人が低能だと従者も低能ですね」
やれやれとヨハンは頭を振った。
「狙い通りに動いてくれるからかえってやりやすくて良いじゃないか」
キリクはバルトロに部屋を荒らす際、青色の石がついたネックレスがあったら、石だけでも持って来いと指示を出した。それはミュリエッタが王子からもらったものである。
王子は自分の側近たちに特別な青色の宝石を与えて身に着けさせる。これは自分の手の者だと牽制しているのだ。ぱっと見はそこらの行商店でも似たような石は売っている。だが近くで明かりにかざすとその石は上質なウィスキーのように琥珀色に姿を変えるのだ。それに恐ろしく硬い。ちょっとやそっとのことでは傷すらつかない。ブーツのかかとでつぶしたくらいで簡単に割れるものではない。
強欲な二人がどこにでもありそうな宝石をすり替えてキリクに持ってくることなんて簡単に予想がついた。わざわざ似たような石を用意して、昨晩街の行商人に与えまでしたのだから。
キリクの望み通りバルトロとドルジの二人はキリクには偽物を渡し、本物は旅行から帰ったらどこかで売り払うつもりなのだろう。バレていないと確信したときの喜びを隠せない瞳はいっそ滑稽で、キリクは笑いをこらえるのに一生懸命だった。
あんなものを持っていては王子に見つからないはずがないのに。
おそらくドルジの悪知恵なんだろうが考えが浅い。二人がもう少し主人を信頼していたらきっと本物がこの手にはあったはずだ。
ジャックなら危険だと気付いたかもしれない。手下の教育を怠ったせいでジャックはますます追い込まれていくだろう。
「まったく、全部こうやってサクサク進めば苦労することなんてないんだがね」
やれやれと頭を振った。
*
男子たちが揃って森に入ってしまうと、たちまち令嬢たちはやることを失ってぽつぽつと散らばり始める。
バカルディの街にショッピングに出たり、ボート遊びをしたり、庭園を散策したり、今度こそ皆それぞれ夕方まで気ままに過ごすのだ。
ミュリエッタの望みは叶えたのだからもう用はないだろう、とアリスは腰を上げた。
「どこに行かれるんですか?」
「どこでもいいでしょう?」
「ご一緒させてください!」
「嫌です」
自分は何度この娘に向かって「嫌です」と言わなければいけないのだろう、とそろそろ嫌気が差す。
アリスの拒否にもめげずに後ろに張り付くミュリエッタに厳しい口を聞こうと振り返った。
「シュキアス様」
だが、そこにいたのはミュリエッタではなかった。
泣きはらしたような目をして、不安そうに日傘を握りしめているクラリッサが縋るようにアリスを見上げる。
「折り入ってご相談したいことがあるんです。……お時間を頂戴しても?」
(どうして、誰も彼も私に厄介ごとを持ち込むのよ!)
大声で叫びを上げそうになった。




