お買い物
王都に居を構えるとある店の優雅な昼下がりの出来事である。
のんびりとお茶をすすりながら手紙を開けていた女が突然奇声を上げた。
「チェルシーーーーっ!」
キーンっと鼓膜を突き破って迫ってくるような高音にたまらず手に持っていた紙を放り出してチェルシーは耳をふさいだ。
それから間もなくドタバタと激しい足音を立てて派手な髪色の女が部屋に走りこんでくる。
「チェルシー!」
「何ですかもう! そんなに大声あげなくたって聞こえていますよ!!」
「大変だよ!」
「だから何が!!」
「これ読んで!」
鼻先にぱっと広げられたのは上質な便箋の手紙である。短く簡潔にまとめられた手紙の中身はなんてことない、いつもと同じ出張サービスの依頼だった。
しかし要望は明日になっている。いくらなんでも急すぎやしないだろうか。
チェルシーの顔には不愉快そうなしわが寄った。
「無理を言う割には素っ気ない手紙ですね。差出人のところに名前がありませんが誰だかご存知なんですか? 勿論行きませんよねこんなの」
そうして手紙を女の胸に押し返す。
知名度がない時から客はそれなりに選んできた店だ。最近大口の仕事をこなしたのもあって有名になり、金にものを言わせた貴族からの依頼も増えたが、それでも店の矜持だけは失っていないつもりだ。それは当然店のオーナーもそうだと思っての判断だ。
「で? どこが大変だっていうんです? まさか行くわけで」
「行くよ」
「もあるまいし……っては!?」
さらりと返された言葉にチェルシーの顔が固まる。
「急いで支度してね。午後の便に何とか間に合うと思うから! 辻馬車で夜通しお尻を痛めつけたいっていうなら別だけど!」
「えっ?? えっ!? 行くんですか!?」
チェルシーは唖然とした。いやいや嘘だろ本当に行くのかよ、という視線が女に突き刺さる。
それもそうだ。だってあと一時間もたたないうちに予約の客が来店することになっている。明日だって朝から仕事はみっちりつまっている。どこぞの貴族一人のために客をないがしろにしていいことはない。
「さっき外の子を使いにやったから大丈夫。それに今日のお客さん優しいし」
「人の善意を悪用するんじゃありません!!」
「人聞き悪いなぁ」
女は口を尖らせるが、いつになく真剣な目でチェルシーに訴えた。
「あたしはこのチャンスを逃したくないの。ね、絶対に悪いことにはならないから」
「何がそんなに……」
「彼女、半端なく美人なんだ……職人としてあれ以上の素材見たことないよ……あぁ、一度でいいから好きに飾ってみたい」
「は、はぁ?」
*
アリスはそわそわとした面持ちで学院から広場に向けて大通りを下っていた。隣にはすました顔でエレオノーラが歩いている。彼女は決してきょろきょろとあちこちを見渡す田舎者のようなことはしない。
二人の間に会話は無かった。いつもは気にならないそれが、エレオノーラに僅かばかりでも疑念を持ってしまった罪悪感のせいで妙に重たく感じてしまう。
落ち着かない気持ちをなだめようとアリスは口火を切った。
「今向かっているのはエレオノーラ様のお知り合いのお店なんですよね?」
「えぇそうよ。この間王都に戻った時に王都のお店でお知り合いになってきたの」
知り合いになってきた、という言葉にひっかからないでもないがアリスは質問を重ねた。
「何というお店なんですか?」
「内緒。でもきっとシュキアス様も気にいるわ」
そうしてたどり着いたのはシロック区の一角である。シロック区は≪猫の尾≫のあるベルヴェデール区の北大通りを挟んだ向かい側にある。
ここは貴族舎と平民舎の丁度間にある区であり、主に服飾店や紙やペン、インクなどの学生たちの必需品や嗜好品を取り扱う店が多い。時々課外学習で訪れる劇場なんかもある。
エレオノーラが足を止めた店はまだ開店前なのか閉店中の看板が立っており、ウィンドウには布がたらされ中の様子を見ることはできない。
「こちらですわ」
エレオノーラは慣れた様子で店の横の脇道に入ると、地下に続く階段を下っていく。飾り気のない扉をコンコンとノックした。
ゆっくりと扉が開いて中から派手な髪色の女性が飛び出してきた。彼女はエレオノーラの顔を見てぱっと目を輝かせると満面の笑みで「いらっしゃいませ!」と言った。
「こんにちはニナ。無理を言ってごめんなさいね。来てくれて嬉しいわ」
「いーえいえこちらこそ! お嬢様に呼んでいただけるならたとえ火の中水の中! さぁさ、どうぞ中へ」
ニナと呼ばれた女性はルンルンとまるでスキップするように奥へと進んでいく。入り口は狭かったが、あれは勝手口らしい。案内される中でちらりと見えたウィンドウの向こう側であろうスペースにはトルソーが並んでいて内装も洒落ていた。
「そちらにおかけくださいな」
案内された部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかった。大きな作業机の上に所狭しと大量の布が重ねられ、床には丸められた紙屑が散らばっている。ちゃんと来客用のソファとテーブルが揃っているところ見ると少なくとも作業部屋では無さそうだが。
トルソーには作りかけのドレスが着せられている。
随分とスカート丈が短い。
ハッとアリスは思い至った。
(この短いスカート。それにニナ? ニナと言えば……)
目を見開いたアリスが部屋の様子に驚いていると思ったのか後からお茶を運んで入ってきた女性が慌てて頭を下げた。
「汚いところですみません…。昨日まではこんなんじゃなかったんですよ? 昨日ニナが到着するなりああでもないこうでもないってあちこちをひっくり返して……」
頭を押さえて深々とため息をつく。なぜだかその様子に少し同情してしまった。
「いえ、気にしていません。それよりもしかしてあの方はミス・チェザリーニですか?」
「あっ! 申し遅れました! そうです。あの髪ばかり派手なのがオートクチュール・チェザリーニのオーナー兼クチュリエ―ルのニナです。自分はその助手のチェルシーと言います」
「アリス・シュキアスです。本日はよろしくお願いします」
前にニナの店でお揃いの服を仕立てようと約束していたのでおそらくエレオノーラはそのために来たのだろう。アリスはそう判断してスカートの裾を持ち上げ膝を引き丁寧なカーテシーをする。
その姿にほうっとチェルシーは息をのみ、ニナはらんらんと目を輝かせた。
「いいですね! シュキアス嬢!」
それにエレオノーラが若干胸を張って答える。
「でしょう?」
学院の制服を手掛けた今をときめく大人気デザイナーは思ったよりクセのある人物のようだ。アリスは笑いながら一歩後ろに下がった。
「早速ですがよーく調べさせてもらいますよ」
「その前にまずは少し休憩していただくんです! 大事なお客様ですよ!」
チェルシーがニナの頭を持っていた紙束で叩いた。
アリスもエレオノーラもコメディのようなその姿に苦笑していた。
*
仕事のスイッチが入るとニナとチェルシーの顔はすぐさま引き締まった。アリスはその様子に感心しながら一通り採寸や肌や髪色のチェックを受ける。肌や髪、瞳の色によって似合う色が変わってくるらしいのだ。一枚一枚色のついた布を顔の横に合わせて診断するこの作業はニナのオリジナルらしい。
「それで、ご希望は夏用のお出かけ着でしたよね?」
必要な情報を全て書き留めた紙を横に置いて息をつくとニナはそう尋ねた。
「ええ。七着を二人分…そうね、二週間後に用意して欲しいのだけれど、できるかしら?」
単純計算で一日一枚だ。まさかそんなに仕立てるつもりだとは思っていなかったのでアリスは目をむく。
しかしニナに驚いた様子はなく、それは常識人っぽいチェルシーも同様だった。
「チェルシー」
「……今受けている依頼を全て後回しにして良ければどうにかなります」
「じゃあそうして。…色やスタイルの指示は特にありませんね?」
「あなたに全て任せるわ。好きにやってちょうだい」
「後悔しませんね?」
食い気味だった。
アリスは不安そうにエレオノーラを見る。勿論ニナのセンスに不安があるわけではない。だが普段着ている制服やあそこの丈の短いドレス、それからこのちょっと興奮でおかしくなっているニナを見て、何の縛りもなくて大丈夫? という気持ちが生まれるのは当然のことだ。
しかしむなしくもその思いはエレオノーラには届かない。
「後悔させないでしょう?」
「! 当然です!! このニナ・チェザリーニの名に懸けて最高の双子コーデを用意しようじゃないですか!」
大丈夫か本当に。
胡乱な目をするアリスにエレオノーラが笑みをこぼした。
「となれば早速デザイン画を起こしたいのですが、一時間ほどお待ち頂けます!? もう今一刻も早く描きたくて描きたくて…やれる分だけやっちゃうのでよかったら確認していってください! その方が好みも分かりますし」
「それならここで待たせてもらうわ。シュキアス様も構わない?」
アリスは頷いた。それを見るやいなやニナはチェルシーを伴って足早に別室に向かってしまう。バタンと扉が閉まったことを確認してアリスはソファに深く体を沈めた。
嵐のような慌ただしさだった。身近にはいないタイプなので始終圧倒されるばかりで、アリスは久しぶりに自分の手に負えないものがあることに疲れていた。
そんな様子を見てエレオノーラはまた口元を手で押さえる。
今日はご機嫌だ、なんて思うとアリスの心なんか安いもので、すぐに回復してしまう。
そういえば、と気になっていたことをこの際尋ねることにした。
「どうして七着も新調されるのですか?」
エレオノーラはきょとんとした顔をする。
「言ってなかったかしら? もう少ししたら旅行に行くじゃない? そのためよ」
旅行、と言われてもピンとくるものはない。毎回夏が来れば実家に戻って気付かれない程度に身辺の整理をしたり新しい本を読むばかりだった。
学校がない分王子とミュリエッタのせいで苦しむエレオノーラを見なくても済む唯一の期間である。
だから最後までアリスの頭の中に、学院の生徒が真っ先に思い付くであろう旅行は浮かんでこなかった。
「ご家族で旅行に行かれるのですか?」
「違うわ。パブリック・スクールの生徒たちと合同で避暑にバカルディに行くでしょう?」
「え! ご参加なさるんですか!?」
アリスは思わず大きな声を上げた。
「折角だし参加しようと思っているわ。もしかしてシュキアス様は参加したくなかった…?」
下からのぞき込むようにしゅんとした瞳がアリスを貫く。
「いえ…そういうわけではないのですが……」
「それなら良かった! 一緒に旅行できる機会なんてあまりないから嬉しいわ」
「はい、私もです」
屈託のないエレオノーラの笑顔につられてアリスも笑みを返した。