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内緒ごと


 エレオノーラとアリスはほとんど同じ日程を組んでいるが、唯一違う講義を受ける日がある。

 それは乗馬のある日だ。


 エレオノーラは男子たちに交じっても遜色ないくらいに馬に乗るのがうまいが、アリスはこれだけは文字通り何度生まれなおしても苦手だった。元々運動神経があんまり良くないのだ。

 令嬢の必須スキルの一つでもあるダンスに関しては根性と時間でどうにかしたが、乗馬は別に令嬢に必要な技術でもない。喜んで馬を乗り回すのは騎士の一門であるバーミリオン家の令嬢マリーくらいである。


 そんなわけでエレオノーラが乗馬をしている時間、アリスは大人しく絵画の講義をとっている。講義というのは名ばかりで、実際は大半が美意識を養うためという名目で自由時間になる。いつもはこの時間を使って馬に乗るエレオノーラを観察するのがおなじみだ。


 だが今日は済ませなければならない用事がある。


 この講義にはクラリッサも参加している。

 今アリスには、エレオノーラ抜きの一対一でクラリッサと話すことのできる時間が必要だった。


「マクマホン様、ちょっとよろしいですか?」


 いつものように授業が始まってすぐ自由時間となり、わらわらと令嬢たちが声を掛け合って教室を出ていく。

 誰かがクラリッサに誘いをかける前に、素早くクラリッサを呼び止めた。

 そんなことをしなくてもこの間からクラリッサは令嬢たちの間で少し遠巻きにされているので声をかける者もいないのだが。


「何でしょうか」

「本日、よろしければ私とご一緒しませんか?」

「別に構いませんが……」


 少しためらいを見せたものの、クラリッサは素直に了承した。

 アリスの見せるいつになく真剣な様子に警戒しているのか、その場で詳細を求めるようなことはしなかった。


 クラリッサを連れてやってきたのは学園にいくつもある東屋の一つである。お茶やお菓子を楽しみながらする話でもないのでティールームに向かうこともないだろう。

 中央に用意されたテーブルに向い合わせになって腰をかける。


 少し離れたところでは何か課外実習でも組まれているのか、わやわやと人の声がする。近くのベンチでは他の令嬢たちがきゃっきゃっとおしゃべりをしている。

 別にやましいことはない。内緒ごとをするにはうってつけの場所だ。


 席に着くなり、早々に切り出したのはクラリッサの方だった。


「それで、わたくしに何のお話でしょうか」


 アリスもそのテンポを崩すことなく口を開く。


「率直に聞きます。オルデン子爵令嬢の件、何か関わっていますか?」


 アリスが欲しかった反応は、肯定でも否定でもない。できることなら何も知らないでいて欲しかった。


 しかし残念ながらクラリッサはすぐに渋面を作る。

 何でそんなことを自分に聞くんだ、とでも言いたげな顔だった。


(あぁ…あなたも知っているのね)


 クラリッサも知っていたのにどうして自分は知らないのか。もし意図的にアリスに知らせないようにしていたのならそれはどうしてなのだろうか。


「何もしていませんわ。これ以上面倒が起きても困りますもの」


 クラリッサとしては田舎娘を小突いただけなのに、兄をはじめとした王子側の人間に目をつけられてうんざりしているところなのだ。


「本当に、良かれと思ってすることが空回りばかりで嫌になるわ」


 憎々しげにそう呟いた。マクマホン家のためにエレオノーラに近付いたら王子に睨まれることになったのだからうんざりする気持ちも分かる。


(外面が良くて出来の良い兄を持つと大変ね)


 他人事のようにそう思った。


「それより、忠告しますが、あのご令嬢に変なマネをするのはやめた方がいいですわよ。お兄様の様子を見ていてもそうですが、殿下を含め皆さま、相当あの方を気に入っているみたいでしてよ。やりすぎると不興を買うどころでは済みませんわ。やるなら正攻法でなさった方がよろしいかと」


 ふん、と鼻を鳴らしながら不満げに述べたその一言に、アリスは目をぱちくりさせる。クラリッサは余計に渋い顔をした。


「何ですか、その顔は」

「いえ、随分まともなアドバイスを頂けたな、と思って」


 クラリッサのことは今まであまり高く評価していなかった。家で自分の立場を取り戻すためにエレオノーラに取り入ろうとして失敗し、そのうち兄に追いやられ学院を退学するのがクラリッサの常だった。


 しかし今のは本当にアリスやエレオノーラのことを心配しての言葉だというのが分かったから、少しだけ評価を上方修正した。

 アリスは頬を緩める。クラリッサは何かを感づいたのかさっと顔を赤くした。


「あなた! もしかしてわたくしのことを馬鹿だとでも思っていたでしょう!?」

「何を動揺しているんです?」

「なんでもありませんわっ!」


 アリスは笑みをこぼした。エレオノーラ以外の関係者には久しく見せることのなかった素の笑顔だった。

 怒りながらもクラリッサはその表情に一瞬見惚れる。


「…そうしていれば、あなたも少しは普通に見えますのに……」

「何か言いまして?」

「普段のあなたはエレオノーラ様以外に壁を作りすぎですわ。いつも分をわきまえた姿勢というのはよそよそしいものです」


 今日はクラリッサに驚かされてばかりだ。本当によく見ている。

 よそよそしい態度は入れ込まないため。いずれ終わる関係に心を捕らわれないための自己防衛だ。だからクラリッサの言う通りにはできないけれど、その言葉は胸のうちに留めておこう。


「善処いたします。ところで、ご忠告はありがたいのですが、実を言うと、子爵令嬢の件を知ったのがつい先日のことでして…。何が起こっているのか全く知らなかったのです。なので良ければ知っていることを教えていただけませんか」


 対峙する令嬢の眉間にしわが寄る。


「あなたが知らないなんてそんなはずないでしょう? 何かわたくしから探ろうとしても無駄ですわよ」

「そう邪推しないでください。本当に私は何も知らないんです。エレオノーラ様が私にだけお伝えにならずに何かされているのか、もしくはエレオノーラ様も関与していないことなのか、そのどちらかだと」

「エレオノーラ様があなただけに黙って何か行動を起こすことなんてないでしょう」

「どうしてですか?」

「どうしてもこうしてもありませんわ。エレオノーラ様があなたのことをのけ者にするようなことはどんなに些細なことでもありえないと言っているのです」


 その口調は思いのほか強いものだった。

 最近のアリスは自信をなくしていたのでクラリッサの断言はそれだけで心強い。


「本当にそう思われます…?」

「何を縋るような目をしているのですか! やめてください! 気味が悪い…!」


 前に詰め寄るアリスの圧におされてクラリッサは顔を背けイヤイヤと首を振る。

 失礼なことを言われた気がしないでもないが、それよりもアリスの心は第三者の後押しをもらったことで勇気づけられていた。


 こほん、と咳払いしてアリスは居住まいを正す。


「それでは誰かが勝手にやっていることがエレオノーラ様のせいになっているということでしょうか?」

「シュキアス様が知らないのであればそういうことでしょうね」


 ぐっとテーブルの下で強く手を組み合わせた。アリスにとっての最悪ではないが、やはりエレオノーラの名前が貶められるというのは気持ちの良いものではない。


「ですがエレオノーラ様はどうしてお止めにならないのでしょうね。積極的に嫌がらせをしていないにしても、今子爵令嬢に何かがあればご自分が疑われるということは分かっているでしょうに……」


 クラリッサは考えるように言う。

 実のところアリスもそこが不思議だった。

 物語の進行を考える上では、エレオノーラがこうしてミュリエッタいじめの主犯にされること自体は正しい方向なのだが、自分の悪評がみすみす広まっていくのをエレオノーラが放置している今の状況は不自然だ。


「何か考えがあるのでしょうか……」


 アリスも知らない何かが。


「自分がエレオノーラ様の汚名をそそごうとは思いませんの?」

「エレオノーラ様がお決めになったことでしたら、私が易々と手を入れるわけにはまいりませんもの」

「大した忠誠ね」


 最後のは皮肉だ。だが別に腹は立たない。紛れもない事実だからだ。

 それに物語が正しく進むことを望むアリスとしては今の状況は都合がいい。ただ―――


「エレオノーラ様を陥れようとしている誰かがいる……?」

「怖いことを仰いますのね。ですがわたくしもそう言おうとしたところですわ」

「だとしたら一体誰が?」

「さぁ。敵の多い方ですから…、そんなにわたくしを睨んでもしょうがありませんわよ。仕方ないでしょう。生まれたときから殿下の婚約者で、かの悪名高いハミルトン公爵家の一人娘ですわよ? それにあれだけの美貌と頭脳を兼ね備えていらっしゃるのだから。好意より悪意を集めても仕方のないお方ですわ」


 間違いない。間違いないのだがアリスの気分は再びドヨンとしぼんでしまう。


 そんな時、ガタガタッと突然クラリッサが立ち上がってアリスの後方に向かって頭を下げた。


「エレオノーラ様! ごきげんよう」


(エレオノーラ様っ!?)


 咄嗟に声を上げなかった自分をほめて欲しい。すぐに立ち上がって背後に立つエレオノーラに向けてクラリッサと同じように礼をする。


「ごきげんよう、エレオノーラ様。もう乗馬の時間は終わりになりましたの?

「ごきげんよう、シュキアス様、マクマホン様。まだ終わっていないのだけれどお二人の姿を見かけたからご挨拶に来たの」


 そういうエレオノーラは深いえんじ色の乗馬服に真っ白なズボンを履いている。きちんと馬に跨がれるように女性がズボンを履くようになったのは割と最近のことだ。

 ぴっちりと柔い体のラインの出る衣服をエレオノーラは見事に着こなしていた。長い髪もきちんと結い上げて留めてある。その姿はまさに男装の麗人だ。


 アリスは見慣れた姿だが、クラリッサは初めて見るエレオノーラの姿に頬を染めていた。


 エレオノーラはニコリと笑いかけると「少しシュキアス様をかりるわね」と、クラリッサに断った。クラリッサは呆けたように頷いた。


 エレオノーラはアリスの手を引いて声が聞こえないくらいのところに連れて行く。

 それから弾んだ声でアリスに話しかけた。


「先ほど思いついたのですけれど、明日シュキアス様はお暇かしら?」

「? ええ。特に用事はありませんが…」


 その翌日にはノアと会う約束があるが、明日は特にない。いつも通り読書でもして時間を潰すつもりだった。


「それなら前に約束したお出かけの件、明日はどうでしょう」


 前に約束した、と頭の中で繰り返して入学の日にそういえばそんな話をしたことを思い出す。随分急だが、エレオノーラからの誘いならいつでも大歓迎だ。


「ぜひお供させてください」


 アリスはニコリとほほ笑んだ。

 パッとエレオノーラの顔が輝く。わざわざ講義中に言いに来るなんてよっぽど行きたかったのだろうか。

 それならば張り切って案内をしなければならない。


「そうそう。それと、本日は用があって遅くなるので先に帰っていてくださいな」

「かしこまりました」

「それでは明日朝準備ができたら部屋に来てくださる?」

「ええ。明日楽しみにしています」

「わたくしもよ! それじゃ!」


 長い裾を揺らしながら颯爽と馬のところまで戻っていくエレオノーラを見送ってアリスは東屋へ戻った。

 そこにはげんなりとした様子のクラリッサがいる。


「本当に、これで次に『エレオノーラ様が自分をのけ者に』なんて口に出したら、わたくしが許しませんからね」


 アリスは首を傾げた。


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