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一難去って


「くそっ! なんでこんなにうまくいかないんだ!!」


 ガンっと机の上に乱暴に置かれたグラスに細い線が入る。ジャックの苛立たし気な様子に周囲の白い制服を着た生徒たちは顔をしかめ、そっと周囲から離れていく。


 先ほどから声をかけてもかけても軽くあしらわれて相手にもされない。何としてもこの場で強い後ろ盾を作らなければならないというのに、一向にうまくいかないこの状況にジャックは神経をとがらせていた。


 お気楽な貴族なんか愛想のよい笑みを浮かべて近付いて行けば簡単に懐に潜り込めると思っていた。だがまともに挨拶すらさせてもらえない。実家のカーター商会のアピールをしようにも、そのチャンスすら与えてもらえないのではジャックはただの平民と変わりない。


「ジャック様…ここでそんな風に暴れちゃ逆効果ですぜ」

「うるさいな、分かってるよ」


 手下の内の一人、バルトロがひそひそと耳打ちしてくる。

 ジャックだってこんな風に乱暴な姿を見せていたら余計に逃げられてしまうのは分かっている。しかしそれでもふつふつと湧き上がる怒りを抑えることができない。


 この間街で屈辱を受けてから、何かにつけて叩かれた頬の痛みを思い出しては苛立ちを募らせている。そのせいで折角のチャンスまで不意にしそうだと余計に例の二人への憎しみが増した。


「折角今日はあの腹の立つ顔を見なくて済むっていうのに!」


 このパーティーにノアは参加していない。なんでももう既にどこかの有力貴族と結びついているらしく、このパーティーに今更魅力を感じないのでは、なんて噂がまことしやかに同期の間で囁かれていた。


 そのなめた態度が癪にさわらないこともないが、それよりこの場にノアがいないことはジャックにとってプラスに働くはずだった。ノアがいればこの会場の貴族は皆奴に興味を持っただろうからだ。

 あの男が周囲にどう思われるかは他でもないジャックが一番よく知っていた。


 ジャックだって最初からノアのことをこれだけ目の敵にしていたわけではない。入学当初は孤児の出だということと、人並外れた容姿のせいであれこれとあらぬ噂が立てられノアに近付く者は一人もいなかった。

 カーター商会は王都にもいくつも支店を持つ大店だ。そこの子息だということでジャックは皆からの人気者だった。

 だから自分のグループに迎え入れてやろうと思った。

 それなのに。


 あの男は自分の誘いをあっさりと断り、最初の試験で圧倒的な成績をたたき出した。そしてジャックの名前は優秀者の欄にはなかった。格下だと思っていた奴にあっさりと上をいかれジャックの面目は丸つぶれになった。


 張り出された成績を見に行った時、あいつは人好きのする笑顔を浮かべながらちらりとこちらを見た。その目はジャックのことを見下していた。


 それ以降ジャックはノアのことが疎ましくて仕方ない。


 そして極めつけはあの一件。くすぶっていた憎しみは憎悪に変わった。忘れることのできない屈辱が深く深く刻み込まれた。


「どうしたら……」


 ギリッとジャックは親指の爪を噛む。


「ここであいつの後ろ盾を潰せるくらい強い貴族をオレの後見にして痛い目をみせてやるつもりだったのに」


 ぶつぶつとジャックが恨み言を言っているともう一人の手下、ドルジが嬉々とした顔でこちらに駆けてきた。


「ジャック様!」

「なんだ騒々しい」

「あちらで貴族どもが揉めていやがりますぜ! 見に行きやしょう!」

「全くお前は…、その低俗な趣味をどうにかしろといつも……いや、そうだな。貴族の対立構造を知っておくのは悪くない」


 バルトロとドルジの二人は元々カーター商会に勤務する召使の子供たちだ。ジャックの護衛の為無理矢理パブリック・スクールにねじ込んだがいつまでたっても粗野な言動が直る気配はない。人の不幸や争いごとを好むその性質も下品でジャックに相応しくないが、小狡いところにやたらと頭が回るので何かあった時には重宝する。


 そして今回も、その提案はジャックの役に立ってくれそうだった。


「王子とその側近たちじゃないか…! 大物だぞ」


 令嬢たちのグループににらみをきかす存在が誰なのかを知り、ジャックは目を丸くする。

 場は膠着していた。王子が何事かを尋ね、それに頭を下げたまま一人の令嬢が答える。そのやり取りに側近の一人が口を挟んだ。

 その言葉に周囲の空気が凍る。

 今まで黙っていた女が突然頭を上げて鋭い声を発した。その姿にジャックは強烈な衝撃を受けた。


「あいつは…!」


 忘れもしない。あの時より幾分か小綺麗になっているが間違いなくあの女だ。相手を見下すような目線はあの時自分が受けたものと同じものだった。


「そうか、貴族だったのか…ってことはノアの後ろ盾っていうのはあの女か…?」


 しばらくして女は別の令嬢に手を引かれその場から離れていった。王子たちは連れ立ってどこかへと行き、野次馬もぽつりぽつりとその場を離れていった。

 後に残ったのは爪を噛みながらあれこれと思案するジャックだけだ。


 そこに近付く一人の影があった。白い制服を着た背の高い男だ。

 男は先ほどからジャックの様子を観察していた。貴族の方々に声をかけては断られ苛立つ姿も、である。

 親に言いつけられた計画のため、何かいい案は生まれないかと興味もない集まりに参加したがなかなかどうして運が良い。


「もし、良い話があるのですが、少しお時間を頂いても?」


 突然かけられた声にジャックは胡乱な目を向けた。


「……何でしょうか」

「先ほどの赤髪のご令嬢のことです。きっと私はあなたのお役に立てますよ」


 男は妖しく笑った。



 人も獣も深く寝静まった真夜中、手元のランプの灯を頼りにキリクは父の書斎をたずねた。

 軽く扉を打つと中から声が返ってくる。わずかな隙間を開けて、室内へと体を滑り込ませた。


「キリクか。こんな夜更けにどうした」

「例の件にあたりがつきましたのでご報告に参りました」

「公爵令嬢のことか」

両方(・・)です」

「ふむ、話せ」


 入り口に突っ立ったままの息子に座れともご苦労とも言わずに報告だけを求める父は相変わらずだった。

 だが今更それを不満に思うこともない。それくらいキリクと父の間の関係は冷え切っていた。


 キリクは今日のパーティーで起こった騒動を父に話して聞かせた。


「王子は子爵令嬢に一目ぼれしたようですね。もし王子が婚約を破棄して子爵令嬢の手を取るようなことになったら公爵令嬢のメンツは丸潰れです」

「なるほど……」

「彼女にその気があるかどうかは分かりませんが、もしこんな状況下で子爵令嬢が虐げられれば、間違いなく犯人は公爵令嬢だと誰もが思うはずです」

「そうなればあれの評判は地に落ちる、ということか」

「はい。最終的に王子が子爵令嬢と結婚すれば尚更立場は悪くなるでしょうね」

「手はあるのか」

「ええまぁ。王子に近付くのを良しとしない者はいくらでもいますからね。公爵令嬢のため、という名分があれば後はいくらでも協力してくれるでしょう」


 父は静かに頷いた。どうやら合格らしい。


「ならばそちらはそのように進めろ。でもう一つは?」

「騒動の最中ですが、例の侯爵令嬢にただならぬ視線を向ける者がいまして、話を聞くと対象に強い憎悪を抱いているようでした」

「対象と宰相の娘は知り合いのなのか?」

「娘の方は知りませんが対象は随分と入れ込んでいるようですよ。それにあの娘は公爵令嬢も常に傍に置いているようですし。あの娘に何かあればどちらの計画にも益があるかと」

「その協力者は使えそうなのか」

「ええ。扱いやすそうなプライドの高い男でした。カーター商会の跡取りのようなので色々と活躍してくれると思いますよ」


 再び父は頷いた。こちらも満足のいく報告だったようだ。

 キリクはひそかに胸をなでおろした。


「それでは、あまり時間もありませんので私はこれで失礼します。また何か進展がありましたらご報告にあがりますので」

「あまり目立つ真似はするな。今度から使いをやるからその者に文を渡せ。できるだけ我々の動きを感知されないようにしなければならないからな」

「承知しました」


 キリクは頭を下げると入ってきた時と同じように静かに部屋を出た。

 ランプを手に裏口まで下りる。


「待たせたな。ではすまないがまた寮まで頼む」

「かしこまりました、坊ちゃん」


 その言葉にキリクは苦笑いした。


「坊ちゃんはやめてくれよヨハン。もうそんな年じゃないんだから」

「いいえ、坊ちゃんは坊ちゃんです。さぁどうぞ。できるだけ静かに走るので少しでも眠ってください」


 幼馴染のように育った唯一信頼のおける執事はすました顔で馬車の戸を開いた。

 決して座り心地が良いとは言えない馬車の座席に腰を下ろしてようやくキリクは深いため息をついた。


 ここのところ抱え込んでいたものがようやく先に進みそうで安堵する。だがこれから先自分が引き起こさなければならないことを考えれば、憂鬱さにまたもやもやとしたものが溜まりそうだ。


「あーあ、本当は私だってやりたくないよ。黒幕の真似事なんてさ」


 聞く者がいないと分かっているからこそもれる呟きに、我がことながら余計に頭が痛くなった。


「誰が好き好んであんな美人を二人、いや三人もいじめなきゃなんないのさ。私は紳士だよ?女性の涙はそれだけで胸を締め付けるというのに……」


 やれやれと頭を振る。

 やりたくなくてもこれは仕事だ。所詮父も自分も本当の黒幕に使役される身。命令に否やを唱えることはできない。そんなことをすれば文字通り上半身と下半身がさようならすることになる。


「全く、難儀なものだよね。あの人も、私も」

「坊ちゃん」


 御者席の窓からたしなめるようなヨハンの声がする。

 キリクは両手をあげて降参の意を示した。


 夜闇に紛れて一台の馬車が静かに街を抜けていく。

 こうして秘されたもう一つの物語は誰にも知られずひっそりと動き始めるのだった。


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