想定外の出来事
王子が何事かを質問する。ちょっと考えてミュリエッタが答える。そんな二人を邪魔しないように少し離れたところで様子を伺っているマリー、クリード、ニコライ、レイノルド。彼らに声を掛けたいがただならぬ雰囲気に遠慮している貴族舎、平民舎の生徒たち。
パーティー開始からしばらく、王子がミュリエッタ以外を意に介さないせいで場は膠着していた。そして王子の側近たちを除く全ての者が、王子が熱心に話しかけているご令嬢は誰なのかと顔を突き合わせてひそひそと話していた。
そんな均衡を破るかのようなざわめきが会場の入り口から波紋のように広がっていた。
「見ろよ……あれが例の…」
「あぁ、氷の公爵令嬢か…隣のご令嬢は宰相の…?」
「そうらしい。あの様子じゃシュキアス家はハミルトン家の犬みたいだな…」
「滅多なことを言うなよ…! 宰相と公爵は相性が悪いことで有名なんだから」
「それにしても…、美しいな」
「…やっぱり? だよなぁ…」
会場は生徒たちで溢れていたが、二人の令嬢が進む方向には自然と道が作られる。
ミュリエッタの目がそちらに引き寄せられていくのも当然のことだった。
ぱちりと遠目にミュリエッタとアリスの目が合う。彼女はじろりとミュリエッタの隣にいる王子と、近くに控えている側近たちを見た。ミュリエッタは慌てて頭を下げたがアリスは興味がないとでも言いたげな表情でふい、と顔をそらしてしまった。
「あ……」
思わずミュリエッタの口から残念そうな声が漏れる。
最初から彼女に自分が好まれていないことは知っていたが、こうして友達に出会うきっかけを作ってくれた彼女を一方的に慕っているのだ。
嫌われていると分かっていても、胸につきりとした痛みが走る。
目に見えて気落ちしたミュリエッタの様子を王子たちははっきりと見ていた。
特にマリーに至っては嫌悪をむき出しにした表情をアリスとエレオノーラに向けていた。
「相変わらず感じの悪い子ね。何様のつもりかしら」
「全くもってその通りですね。あんなのをそばに置いておく公爵令嬢の品性も疑われますよ」
憤慨したようなマリーの言葉に、食い気味でニコライが同意する。ニコライの敵意はアリスというよりむしろエレオノーラの方に向けられていたが。
「まぁ、そうあからさまに牙を見せなさんな。仮にもあれは殿下の婚約者だよ?」
「レイノルド、殿下の婚約者に向かってあれはないだろう……お前も全然隠せてないぞ」
窘めるようでいて否定はしないレイノルドに呆れた様子でクリードはつっこんだ。
この中ではクリードだけが何とも言えない複雑な目をアリスに向けていた。
マリーは含みのある視線をアリスに向ける婚約者を冷たい目で睨みつける。
「まさかあの子の肩を持つつもり?」
「そう怒るな、マリー。俺にとっては未だにアリスも妹みたいなものなんだ」
「随分と長い反抗期の妹を持ったものね。私はあんな妹いらないわ」
マリーはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向き、すたすたとミュリエッタの方へ行ってしまう。そうしてミュリエッタの肩にそっと手を寄せた。
「あれのことは気にしなくていいわ。それより少しお腹が空かない?折角だから料理を取りに行きましょうよ」
「マリー…でも、わたし、一度あの方に……」
「いいから。言ったでしょう?あれは関わらないでおくのが吉なの。こうして私や殿下の傍にいれば手を出してこられないから」
マリーとしてはいっそのことミュリエッタが王子の心を射止めてくれないかと期待していた。王子があんなに集中して一人の令嬢を相手にする姿は見たことがない。それは王子の婚約者であるエレオノーラを相手にしている時でもだ。
どうせなら嫌いな女より、可愛い友達が王子の恋人になる方がずっと素敵だ。そうなれば、自分から姑息な手段で妹を奪ったあの女に屈辱を味合わせることもできる。
ミュリエッタはいつになく強い調子のマリーに圧されて仕方なく頷いた。
*
アリスとエレオノーラが到着するころには会場はすっかり人で溢れかえっていた。
いつものように散歩がてらゆったりとした足取りでやってきたのでパーティーの開始からは少し時間が経ってしまっていたのである。
会場に繋がる薔薇のアーチが見えた途端アリスはエレオノーラの隣から一歩後ろへと下がる。
エレオノーラは一瞬不満げな顔をするが何も言わなかった。
会場に足を踏み入れる。瞬間周囲の視線はエレオノーラにくぎ付けになった。
黒い制服をきた生徒も、白い制服を着た生徒も、等しくエレオノーラの美しさに見惚れてから、はっと我に返りひそひそと小声でささやき始める。
中には「氷の公爵令嬢とその犬」というような侮蔑まじりのものもあったが、別にアリスにダメージはない。真実アリスはエレオノーラの犬だからだ。
それでいい。自分とエレオノーラの間の関係はその程度でちょうどいいのだ。
ちら、と目だけで会場内の茶髪の令嬢の姿を探す。
奥に大勢から遠巻きにされているやたらと派手な髪色の集団が見つかる。王子とその取り巻きたちだ。全員がそこにいるの確認して、最後にミュリエッタと目が合う。彼女は慌てたようにアリスに頭を下げた。
親しみを持たれても困るのでアリスはふいと顔を逸らした。目に見えてマリーがこちらを鋭い目で睨みつけてきたが知らんぷりをする。彼女にも嫌われている方が何かとやりやすい。
王子とミュリエッタを取り囲むようにして側近たちとマリーが、そして更にそれを取り囲むようにして人が集まっているということは順調に王子がミュリエッタに興味を持ったということだろう。
色々と気がかりなことはあったがこれならガーデンパーティーでの役目をこなせそうだ。
気が早いがアリスは一人安堵のため息をついた。
まずは最近よくお茶会を開く令嬢たちのもとへと向かう。
いつもならすぐに気付いて礼をする彼女たちは、何やらざわざわと話し込んでおり、二人の接近に気付いていないようだった。
「ご機嫌よう、皆様。楽しまれていますか?」
「エレオノーラ様! 大変ですわ!」
挨拶もなしにクラリッサは興奮した声をあげた。周りの令嬢もどこか同じ顔をしている。
大方予想はつくがアリスはあえてクラリッサに尋ねる。
「落ち着いてください、マクマホン様。何かあったんですか?」
「シュキアス様…、それが……」
クラリッサは王子とミュリエッタたちの方を目線で示すと、ひそひそと小さな声で先ほどから何が起こっていたのか具に報告する。
アリスはそれを話半分に聞きながらエレオノーラを注視していた。
王子がはっきりとミュリエッタに興味を示した今、エレオノーラはミュリエッタを牽制しにいかねばならない。さもなくば良からぬ噂が立つ恐れがあるからだ。
「そうですか…殿下がそんなことを……」
全てを聞き終えてエレオノーラは深いため息をついた。凍てつく冬の風のようなため息に誰しもがぞくりと背筋をふるわす。だが。
(怒ってる…というより呆れてる?)
少なくともアリスの目にはエレオノーラが嫉妬や怒りを覚えているようには見えなかった。しかしクラリッサを始めとした多くの令嬢たちはエレオノーラが間違いなくミュリエッタに対して敵対心を持ったと勘違いしていた。
「今日は皆との交流の場ですのに、ああして一人で殿下を独占して……、殿下のお邪魔をしているとお気付きにならなかったのかしら?」
憎々し気な声で一人の令嬢が言う。
アリスの目には捕まえているのは王子の方で、ミュリエッタは戸惑いがちにその場を離れる口実を探しているように映ったのだが、王子に悪口の矛先が向かうはずがない。
その令嬢の言葉を皮切りにひそひそ話はミュリエッタへの罵倒へと様変わりした。
エレオノーラの反応はアリスが思っていたのとは違うが、令嬢たちの方は無事にミュリエッタをいじめる対象として認識していた。あとでマリーが席を外した時に囲みに行ってミュリエッタを押し倒したり水を掛けたりと好き放題してくるはずだ。そしてそれを王子が止めに入るところまでいけば今回の目標は十分に達せられたことになる。
今回のエレオノーラがあまり乗り気ではない様だから、本人の意志と裏腹に罪を背負わせてしまうことに心苦しさを感じていた。しかしエレオノーラは煽るようなことは言わないものの、止めるようなことも言わない。
ずっと黙ったままのエレオノーラが何を考えているか分からずアリスは不安だった。
しばらくして予定通りマリーがミュリエッタの元を離れた。自分が戻ってくるまで王子たちの元へ戻れとしきりに促していたがミュリエッタは頑として首を振らなかった。
マリーの姿が人込みに消えた後、令嬢たちはミュリエッタへと狙いをつける。
彼女たちは勇んで足を踏み出そうとした。
しかし、それより先にミュリエッタが真っすぐにこちらを見た。そう、アリスの方である。そして手に持った飲み物を置くこともなく小走りでこちらへと駆けてきた。
「!?」
(あの子何考えてるの!?)
アリスは突然予定にない行動をとるミュリエッタに虚を突かれた。
自分から敵地に突っ込んでくる主人公がどこにいる。
彼女は次第にこちらに近づいてくる。
しかし、この人ごみの中で走ってくる馬鹿がいるとは誰も思わない。
「きゃっ!」
「!?!?」
アリスの目にはやたらと全てがはっきりと見えた。
駆けてくるミュリエッタの前に突如飛び出してくる誰かの足。それを避けようと動いて大きく前方にバランスを崩したミュリエッタ。
彼女の手には飲み物の入ったグラス。
当然中身は重力に従って盛大に彼女の前方にいる人物にぶちまけられた。
同時にエレオノーラがすっとアリスの前へと出る。
「キャアアアアアアアッ!!!」
直後、大きな悲鳴が会場中に響き渡った。
「あなた、なんてことしてくれるのっ!?」
「え…あ、わたし、ごめ…ごめんなさいっ!!!」
クラリッサは今にも泣き出しそうな顔で頭を下げるミュリエッタを思い切り後ろへと突き飛ばした。ドスンと地面にミュリエッタが倒れこむ。鈍い痛みに彼女の美しい顔が歪んだ。
クラリッサの隣にはアリスの代わりに飲み物を頭からかぶることになったエレオノーラが表情を変えることなく佇んでいた。その美しい金色の髪からぽたりとオレンジ色の雫が落ちる。
くるりと後ろを向くとエレオノーラは呆然とするアリスの様子を上から下まで確認する。
「シュキアス様、ケガはない?」
「エレオノーラ様…どうして……」
「友達だから、かしら…?」
「っ!!」
言葉を失うアリスをよそに令嬢たちは取り囲んだミュリエッタを頭上から睨みつけていた。
立ち上がることもできずにミュリエッタはぶるぶると震えている。
シン、と静まり返った会場に重たい空気が立ち込めていた。
「何の騒ぎだ!?」
そこに騒ぎを聞きつけて慌てて王子たちが駆けつけてくる。
地面に倒れているミュリエッタとそれを取り囲む令嬢たちの姿に眼光が鋭くなる。
アリスの記憶では、こんな衆目監視の上で起こるイベントではなかったはずだ。
思った以上に大事になりそうな雰囲気に、全てのきっかけとなったミュリエッタをアリスはキッと睨みつけた。