賽は投げられた
パーティーは貴族舎と平民舎の共同地である広大な芝庭で開かれる。普段は男子生徒たちがクリケットやフット―ボールをするだけのだだっ広い芝地が、今日はパーティーのために盛大に飾り付けされていた。
薔薇のツルが這わされたアーチがいくつも並んだ石畳を歩きながら、ミュリエッタはあまりの規模に言葉を失っていた。
いくら王宮が管理する施設とはいえ、デビュー前の子供たちのパーティーをここまで派手にやるとは思っていなかった。しかも「両校の親交を深めるための軽い集まりだから気負う必要はない」と友人の令嬢から言われていた。
田舎の貧乏子爵家の基準で考えたら、このパーティーは全然軽くない。
アーチを抜け、会場にたどり着くと、ミュリエッタは余計に落ち着きをなくした。
ドンっと中央に置かれた大きなテーブルの上にはこの国の象徴であるライオンを模した飴細工が飾られている。両サイドの長机にずらりと並べられた料理もキラキラと輝いて見えた。
きょろきょろと不安げにあたりを見渡すと、同じ制服の色違い、つまり平民舎の学生はミュリエッタと同じように落ち着かない様子だった。対して貴族舎の方の生徒は物怖じした様子もなく澄ました顔で入場してくる。
その中に待ち望んでいた顔を見つけてミュリエッタは脇目も振らずに直行した。
「マリー!」
「あら、どうしたの? そんなに慌てて」
「どうしたの、じゃないわよ! こんなに立派なパーティーだなんて聞いてないわ!」
「そう? ささやかなものだと思うけれど…」
ミュリエッタは愕然とした。やはり王都に暮らす伯爵令嬢と自分では価値観に大分大きな差があるようだ。
「それよりこんな出入り口にいては邪魔になるわ。早く中に進みましょう。今日は紹介したい人もいるの」
そう言ってマリーはミュリエッタの手を取った。
歩きながらミュリエッタは首をひねる。
「紹介したい人?」
「ええ。私の婚約者よ。何かあった時に頼れる人は一人でも多い方がいいでしょ?」
「大袈裟だわ」
マリーはエレオノーラと同じクラスであることをやけに心配していた。
今も苦笑して流そうとするミュリエッタに、立ち止まって言い聞かせるように手を取る。
「お願いだからあの女には気を付けて。関わると絶対にロクなことにならないから……。あなたはこっちでまともな後ろ盾もないから本当に危ないのよ?」
彼女との間に何かあったのか、そう聞けるほどミュリエッタも鈍感ではない。後悔のにじむ顔に触発されて正面からマリーの目を見据える。
「進んで彼女の不況を買うような真似はしないわ。今だって嫌がらせを受けているわけでもなんでもないし。それに本当にもし何かがあったらマリーが助けてくれるでしょう?」
ふわりと花の咲くような笑みを見せる。マリーもつられて表情を緩めた。
「当たり前じゃない」
「立派な騎士様がついているんですからわたしは百人力ね」
そのままマリーとミュリエッタは手を取り合いながら数人の青年たちが集まる集団の方へと近付いて行った。
数人で何やら話し込んでいるようだったのでマリーだけ輪に入り、中から一番背の高い桃色の髪の青年を引っ張ってくる。
袖を捕まれ引きずられるようにしてやってくる青年の顔にはやれやれとでも言いたげな色が浮かんでいた。
「ミュリエッタ、紹介するわ。婚約者のクリード・ランドルフよ。こんなんでも本物の騎士のはしくれだから何かあった時は容赦なくこき使ってちょうだい。クリード、この子はミュリエッタ。私の大事なお友達なの。もし何か危ないことに巻き込まれていたら助けてあげて」
「君のことはマリーから聞いてる。何かあったら俺に遠慮なく頼ってくれ」
「マリーったら心配性なんです。ですが、こちらでは知り合いも少ない身なのでありがたく頼らせていただきます。よろしくお願いしますね」
「この子アリスから私の話を聞いたみたいなの。だから本当に注意して」
「アリスが?へぇ、それはまた珍しいことだな」
クリードは目を丸くした。
親しげな呼び方の割にアリスの名を呼ぶ二人の声には妙な硬さを感じる。
最初にミュリエッタがアリスの紹介でやってきたと聞いた時もマリーは変な顔をした。幼馴染だと教えてくれたがそこに好意の色は無かった。
「クリード卿もアリス様、いえシュキアス侯爵令嬢とはお知り合いなんですか?」
「あぁ、昔仲が良かったんだよ。気が付いたら毒蛇に噛まれておかしくなっちまったがな」
「毒蛇…?」
「物の例えよ、気にしないで」
いさめるようにマリーがクリードを睨んだ。余計なことを喋るなとでも言いたげな目にクリードは肩をすくめて返事をした。
「そうだ、どうせなら俺の主も紹介しよう。ハミルトン公爵令嬢に一番効くのはあの方だろう?」
「でも……それで変な言いがかりをつけられないかしら?」
「マリーもいるんだし大丈夫だろう。俺の婚約者とその連れが俺の主に挨拶をするのに不自然はないだろう?」
「それもそうね」
クリードは確か王子の側近だ。王子の側近の主と言えば王子殿下その人の他ない。
つまり彼らは今自分を王子に紹介しようとしているのだ、と気付くとミュリエッタは全力で首を横に振った。
しかし息の合った婚約者同士はそんなミュリエッタの姿を見て一度顔を合わせるとものの見事に無視を決め込んでしまう。
「!?」
ミュリエッタは声にならない悲鳴を上げた。
そのままクリードはマリーと嫌がるミュリエッタを連れて輪に戻る。
輪の中にはクリードの他三人の青年がいた。
「殿下、ご紹介します。マリーの友人のミュリエッタ・オルデン子爵令嬢です」
「そんなに怯えなくてもいい。楽にしてくれ」
頭を下げたまま固まっているミュリエッタをかわいそうに思ったのか王子はできるだけ優しい声でそう話しかけた。
隣のマリーにつんと小突かれてミュリエッタは恐る恐る顔を上げた。
「! あなたは……」
真っ青な碧眼とすみれ色の瞳が交錯する。その時一陣の風が吹き抜けた。ミュリエッタの長い髪が流されて目の前の王子以外を覆い隠してしまう。
ドラマチックな恋の始まりのように、二人は目を見開いて見つめあっていた。
「殿下、こんなかわいい子とお知り合いだとは、意外と隅に置けませんねぇ」
顔を見合わせる二人の沈黙に耐えかねて王子の後ろから淡い水色の髪を束ねた優男が顔を出す。軽薄な笑顔でにこりとミュリエッタに笑いかけた。
王子と見つめあっているこの状況に気が付くと、ミュリエッタは弾かれたように顔をそらす。突然熱くなった頬を抑えてぱっと下を向いた。
「こらレイノルド、殿下にそんな口をきくんじゃない」
水色髪の青年の後ろから、頭一つ分背の低い緑髪の少年が顔を出し、その髪束を掴んで引っ張る。
「ですが殿下、ボクもこのご令嬢のことは気になります。お知り合いだったのですか?」
王子は心ここにあらずといった様子で俯くミュリエッタの頭を凝視していた。見えてはいなくともじぃっと穴があくほど見つめる視線にミュリエッタも気付いていたので顔を上げるに上げられなかった。
ミュリエッタを見つめる王子の目には形容しがたい感情が静かに燃えていた。
「殿下? …オズウェル殿下? どうされたんです?」
「あ、ああ。いや、入学の日に彼女に道を聞かれたんだ。……そうかやはり君が…」
「殿下に道を尋ねたのですか!?」
「そう興奮するなよニコライ」
ニコライは呆気に取られていた。どこの貴族がわざわざ王子殿下に道を聞くというのだ。いくらこの学園街では貴賤の別はないと言ったってさすがに王族には遠慮するだろう普通。
そう言いたげな顔だった。
窘めるレイノルドの顔にもミュリエッタに対する興味がありありと見て取れた。
ミュリエッタは自分がしでかしたことの大きさに改めて身のすくむ思いをしていた。
あの時自分はこの方にどんな言葉をかけたっけ、そんな風に記憶を呼び戻そうとするが一向に思い出せない。言葉遣いも田舎でそうだったように随分フランクだったような気がする。
今更後悔してももう遅い。あの日に戻れるものなら戻りたい。
こうなったら誠意を込めて謝罪するしかない。
そうと決めたら、今できる中で最大限に頭を下げた。
「申し訳ありませんでした! 王子殿下だとは知らず無礼を働いてしまって…!」
王子を除く全員の顔が硬直した。
ミュリエッタはあまりに必死で気付いていないが、彼女は今の発言でまた墓穴を掘ったことになる。
既に様々な公務を行っている王子の顔は国内でもかなり広く浸透している。平民たちですら将来自分たちを治める統治者の姿を知っているというのに、王家に仕える貴族が知らないとあっては最早それはある意味国への忠誠心の薄さを晒しているようなものだ。
端的に言って今のミュリエッタの言葉は「あなたや国の統治に興味がありませんでした」と宣言しているようなものだった。
王子の側近たちは自分たちの主が温厚ではあるが、責務には厳しいことを分かっている。
今のはさすがの王子でもミュリエッタをとがめるだろうと、そう思っていた。
しかし。
「いや、気にしなくていい。だから頭を上げてくれ。俺もまだまだ未熟な身だからオルデン子爵家のような辺境では知らない者がいても仕方がないことだ」
そんなわけないだろ! と側近たちが心の中で叫んだ。
おずおずと顔を上げたミュリエッタに笑いかけて、その手を取った。
「領地を代表してミュリエッタ嬢に俺のことを知ってもらおう。ぜひこの俺の姿を民たちにも広げてくれるか?」
「は、はい! 勿論です!」
「それならばミュリエッタ嬢は俺の将来の仕事仲間ということだな。ということで何か困ったことがあったら俺を頼るといい」
「? はい」
首をかしげながらミュリエッタは頷いた。
うんうん、と満足げな王子の姿に側近たちは驚きを隠せない。令嬢に気付かせないままあっという間に彼女を囲い込もうとしている王子の姿は馴染みのないものだった。
その中でマリーだけは王子と同じく満足げな表情をしている。自分の親友が王子に認められた、彼女はそう思っているのである。
「……よく分かりませんが、殿下が仕事仲間、と言うのであればボクたちは同僚ということになりますね、オルデン子爵令嬢。ボクはニコライと言います。ニコライとお呼びください」
ペコリと緑髪の少年がミュリエッタに向けて胸に手を当てて丁寧な礼をした。
「おれはレイノルド。君みたいな華やかな同僚が欲しいとおもってたんだよねぇ。ほら、ここってこーんな気難しい顔した男ばっかりでしょ? だから歓迎するよ」
ニコライの真似だろうか。垂れた目を手で引っ張り上げて釣り目にすると、おどけたようにレイノルドは言った。
よく分からないが、あっという間に友人が増えたことがミュリエッタは嬉しかった。住み慣れた領地を離れ、一人寂しくしているところにマリーが、そしてそこから更にこんなにも縁が広がった。
だから満面の笑みを皆に向けた。春の花が咲き乱れるかのような美しい笑顔だった。
「みなさま、よろしくお願いします!」
*
こうして物語の役者は全て出揃った。
ミュリエッタと王子を主役とし、エレオノーラとアリスを悪役とした運命と呼ぶべき大きな川は静かに流れ始めた。
その先に待ち受けるのは抗うことのできない結末か、それとも―――――
いずれにしろ、賽は投げられた。