乙女たちの戦支度
なんだかんだと忙しい時間を過ごすうちに、気付くとガーデンパーティー当日が迫っていた。
まだ早朝だというのに女子寮の内部はいつもと打って変わってざわざわとせわしない様子だった。
パーティー自体は昼過ぎに開始だが令嬢たちの戦いはもう既に始まっているのである。
淑女たるもの大声を上げてはいけません。生まれついたときからそう言われて育つはずなのに…。あちらこちらから寮に配置されているメイドを奪い合う声が聞こえてくる。
共同のドレッシングルームの扉を開いて、真顔のまま即アリスはリターンした。
広がる地獄絵図に一秒も鼓膜が持たない。こんなところにエレオノーラを連れて行けるはずがない。
今日のパーティーは貴族舎と、15歳以上の平民舎の生徒が参加する交流会的な側面が強い。最初は学院生活に慣れる為だからと、制服で参加することになっている。
実のところそれは建前で、本音としては貴族たちがパーティーで着飾りすぎると、慣れない平民たちが委縮してしまうからである。
ドレスの準備がなければそこまで準備に手間がかからない、わけではなく、パーティーに出るからにはと身だしなみには並々ならぬ力が込められている。
(にしたってこの金切り声はひどすぎるわね)
やはりいつも通り自分が主人の支度を済ませよう、アリスはそう決めて足早にエレオノーラの部屋へ向かった。
コンコン、とノックすると中から「どうぞ」と声が返ってくる。
「失礼します。やはりメイドの力は借りれそうにありませんでした」
「おかえりなさい、シュキアス様。見に行ってくれてありがとう。ではわたくしたちは自分で準備しましょうか。幸いドレスは必要ありませんからどうにかなりますわ」
「私にお任せください。エレオノーラ様を磨くことに関しては公爵家のメイドにも引けを取らないと思います!」
「あら、頼もしいわ」
こうなると分かってからは幾度も経験を積み重ねてあらゆる状況に対応できるように研鑽を積み重ねてきたアリスに死角はない。
かごに入れて持ってきた道具を机の上に並べながらアリスは怪しい笑みを浮かべた。
*
「ふぅ、こんなところでしょうか?」
「本当に素晴らしいわ、シュキアス様。うちのメイドがこの姿を見たらきっと悔しがります」
「素材がいいからですよ。私はエレオノーラ様の美しさを磨いただけです」
そう言いながらもアリスは満面の笑みだった。
今日も自分の主人が美しい。それだけでたまった疲れが全て癒されていくようだった。
エレオノーラの金糸のような髪はその美しさがより輝くように香油をもみこんで丁寧にとかし、カチューシャのように側面だけを編み込み、制服が白なのでそれに合わせて白色のリボンで結んだ。
化粧もあまり濃くせず、切れ長の瞳を生かすように目尻にだけ色を乗せ、口紅も控えめに、あくまで上品に仕上げる。
普段のエレオノーラも完璧だが自分が手を入れたとなると誇らしくて仕方ない。
「では次はシュキアス様の番ですわ。はい、ここにお座りになって」
「ぅえっ!? 自分でやりますよ?」
「今日はわたくしにさせて欲しいの」
アリスは普段から悪役らしく、キツくみられるようにわざと濃い化粧をしている。しかしエレオノーラはあまりその姿が気に入らないようで事あるごとにこうしてアリスの身支度を手伝おうとするのだ。
「シュキアス様は可愛らしい顔立ちをしているのですからそれを生かすお化粧をしなくちゃダメよ。はい、目を閉じて」
「それだと気が弱く見えるみたいなんですぅ…」
「はい、動かないで」
するするとエレオノーラの手によってアリスに化粧が施されていく。
あれこれと言いながらも大人しく自分の言うことに従うアリスにエレオノーラは優しい目を向けていた。
「はい、開けていいわよ。どうかしら?」
ぱちりと鏡越しに蜂蜜色の瞳と目が合う。
自分の顔に見惚れはしないが確かにエレオノーラの腕の良さは認めざるをえなかった。化粧で補っていた悪役感が取れると途端に素の弱い自分が顔を出しそうになるがぐっとこらえる。
エレオノーラはこの一週間結局ミュリエッタに対する態度を決めなかった。
何を考えているのかは分からないが、このままではいけない。
今日エレオノーラに変わってミュリエッタに嫌味を言う先陣を切るつもりだった。だからいつも以上にキツい化粧で威圧してやるつもりだったのに。これではまともに響くかどうかも分からない。
そんなこと、とてもではないけれどエレオノーラには言えない。
「素敵ですわ。まさかこんなにお上手だとは…」
「ふふ、お化粧だけじゃないわよ」
エレオノーラは先ほどアリスが使っていた香油を手に取ると、数滴手のひらにたらしてふわふわと広がる赤毛にすりこみ、毛の柔らかいブラシで何度も撫でるようにとかす。
「いつかこうしてシュキアス様の髪をいじるのが夢だったの。いつも逃げられてしまうから今日は幸運だったわ」
「主人に自分の身支度を手伝わせるなんて……」
途端にエレオノーラは悲し気に目を伏せた。輝かんばかりの美貌が曇ってしまう。
あっ、とアリスが己の失言に気付いてももう遅い。エレオノーラはアリスに「主人」と呼ばれることが好きではないのだ。
「…シュキアス様、いえアリスはわたくしの大事なお友達よ……? あなたは昔からわたくしの召使いのように振舞っていらっしゃるけど、そんな必要はないのよ」
「はい……」
(でもそれは、私のためでもあるから……)
エレオノーラのことは大好きだ。物語の役目以上に彼女に親しみを覚えている。何度も何度も繰り返すうちにその愛情が忠誠心のようなものに変わってしまったことは分かっている。
あまりエレオノーラにのめりこみすぎてはいけない。だからわざとあくまで手下として自らとエレオノーラの間に太い線を引いているのだから。
きっと、エレオノーラにはアリスの心はどうあっても正しく伝わらない。
「あなたはわたくしの一番のお友達よ。だからわたくしとあなたは対等なの。決して主人と従者ではないわ」
「はい、分かっています」
アリスはにこりと笑った。
「本当に分かっていらっしゃるのかしら?」
そんなアリスを見てエレオノーラはやれやれと肩をすくめるのであった。
「…ともかく、これで完成ですわ。どうです? 主人のわたくしとお揃いですわよ」
「意地悪をおっしゃらないで。本当に分かっていますから」
「もう……」
一生懸命エレオノーラが結っていたのは、先ほどアリスがエレオノーラにしたのと同じものだった。リボンまで同じ白色だ。
髪型にしろ化粧にしろ、可愛らしさが強調されてしまっているので恐ろしさの欠片もないが、せいぜい無表情な氷の令嬢の前で同じツンとした姿を取っていれば多少は格好がつくかもしれない。
自分の手掛けたアリスを見て誇らしげに頷いているエレオノーラの気持ちに水を差す気にはなれなかった。
だからぎゅっとこぶしを握りこんで意気込みを述べる。
今日は大事な日だ。王子がエレオノーラを軽んじるような態度を取れば、全力で抗議するくらいのつもりでいなければならない。
実際には王子には何も言えないので、その気持ちは一人の少女にぶつけることになるのだが。
「エレオノーラ様、今日はしっかりとエレオノーラ様の威厳を知らしめるよう努めますね」
「そんなことより純粋に楽しみましょう」
「楽しみながら知らしめます!」
「まったく…」
クスクスと笑う主人につられてアリスも顔をほころばせた。