令嬢たちのお茶会
令嬢たちが集ってお茶会を開くテラスは敷地内の大きな温室にある。貴族のうら若い乙女たちにお茶会は必須なのでテラスはゆったりと広く、大きなテーブルが点々と置かれている。アリスたちが使うテーブルはそんなテラスの最奥にあって、そこはぐるりと三方を植垣に囲まれた半個室の様な場所だった。
教室のある校舎から温室はそう遠くないのだが、予想外の遭遇のせいで戻るのに少し時間がかかってしまった。
なのでアリスが戻るころにはすっかり少女たちのおしゃべりは盛り上がっていた。
ちら、と確認するとエレオノーラの右隣にはクラリッサが座っていたが左隣には誰もいなかった。おそらくアリスのために空けてあるのだろう。
「遅れてしまって申し訳ありません」
そう言いながらメイドが引いてくれた椅子に腰かける。
色んな感情がこもった視線がアリスに集まるがあえて気付かないふりをする。気にしたら負けだ。
エレオノーラを挟んで反対側に座っていたクラリッサは一瞬不満そうに口先を尖らせたがが、すぐに笑顔を作った。
「ご用事はもうよろしいのですか?」
「ええ。少し忘れ物をしてしまっただけですから。それより皆さんどうぞお話をお続けになってください」
それを合図にまた令嬢たちはおしゃべりを再開させた。
王子の婚約者であるエレオノーラと、王子の側近であるマクマホン家のご令嬢がいるとなれば、自然と話題になるのは彼らのことだった。
「今日レイノルド卿をお見かけしたのですが本当にお美しい方でしたわ。妹であるクラリッサ様が羨ましい限りです」
「確かレイノルド卿は王子殿下より二つ年上でしたわよね? もしや王子殿下の入学にあわせて入学されるよう2年お待ちになっていたのですか?」
「わたくしは殿下がご希望されたことだと伺いましたわ。ですわよね、クラリッサ様」
「え、ええ。そうですわね。お兄様が2年入学を遅らせたのは王子殿下たってのご希望です。なんでもすぐに相談できるように、とのことですわ」
「まぁ、もうすでにすっかり信頼されていらっしゃるのね」
兄が褒められているというのにクラリッサの返答はどこかぎこちないところがある。いつもならば、「そんなことありませんわ」と言いながら高笑いしているくらいなのに兄のことになるとその勢いがなくなっている。
ティーカップを持ち上げながら横目でアリスはその様子を観察していた。
(相変わらず兄妹仲は悪いのね)
兄であるレイノルドとクラリッサはあまり仲が良くない。一方的にレイノルドの方がクラリッサを嫌っているのだ。出来の悪いくせに気位ばかりが年々高くなる妹のことを疎ましく思っており、きつくあたるのだ。
アリスは以前一度二人が会話している姿を見かけたことがあるが、クラリッサに同情を抱きそうになったくらいだ。
そんな兄の関心を少しでも買うためにも、クラリッサはエレオノーラに近付こうと必死になっているわけだが。
物腰が柔らかいくせにレイノルドの腹の底はいつも隠されていて見えない。王子の側近は等しく嫌いだがレイノルドはその中でも特に関わりたくないとアリスは思っていた。
「ニコライ卿も15歳とは思えなくらい大人びていらっしゃいましたわ。昨日図書室でお見かけしたのだけれど何やら難しい算術の専門書を読んでいらしたみたい」
「さすがはパルニーニ男爵家のご子息ですわね。お父様は現在財務省の長官をされていらっしゃるでしょう?」
「確か2年ほど隣国にご留学されていたんですわよね? そこでとても有名な学者先生に目をかけてもらったのだとか」
「さすがですわ」
ニコライ・パルニーニは王子の側近の中でアリスが最も嫌う人物だ。とにかく彼は生意気でミュリエッタのことになるとアリスやエレオノーラに激しく食って掛かってくる。仮にも主の想い人のはずなのに心底ミュリエッタを愛してしまったようで、そのミュリエッタのこととなると非常に盲目的だった。
そして彼が留学していた隣国とは、ミュリエッタの生まれ故郷クロイル皇国である。彼女が皇族の出であると判明するきっかけになったのはニコライの存在が大きかったので色々な意味でアリスは彼に恨みを持っている。
断罪の時のあのメガネ越しの陰湿な目を思い出すとそれだけではらわたが煮えくり返る心地だ。みしっと手に持ったカップが軋むような気がした。陶器のカップなのでそんなはずはないが。
「クリード卿も素敵ですわよね。やはり将来はお父様の後を継いで王宮騎士団の騎士団長を目指されるのかしら。他の方々とはそもそも体つきが違いますわ」
「いやだわ、なんて目で見ていらっしゃるのかしら。ここにバーミリオン伯爵令嬢がいらっしゃったらお怒りになるわよ」
「確かお二人は婚約していらっしゃるのよね。バーミリオン伯爵令嬢といえば、お聞きになりまして? ご自宅ではお兄様たちに交じって剣を振るわれるそうよ」
「まぁ! なんて野蛮なのかしら」
「いくら名門騎士を輩出するバーミリオン伯爵家といえど仮にも淑女が剣だなんて…」
そうして側近たちからバーミリオン伯爵令嬢へと話題が移っていく。
(嫌われているとは知っていたけど、よっぽどね)
バーミリオン伯爵家は多くの優れた騎士を輩出してきた名門だが、貴族というより騎士としての気風が強い。そのためか基本他家と結びつくことがないので貴族のコミュニティ、特に上昇志向で頭の凝り固まった者たちからは評判が良くない。
その上、令嬢たちは「女たるもの貞淑であれ」と言われて育つので、伯爵家の女でもバーミリオンに生まれたからには剣を持て、という家訓を理解できないようだった。
嫌われ者の伯爵令嬢マリー、ミュリエッタの親友だ。偏見を持たず己を慕ってくれるミュリエッタに彼女は騎士としての剣を捧げるのだ。
「確かクリード卿と伯爵令嬢とアリス様は幼馴染でしたわよね?」
と、そこで突然アリスへと話が振られる。
聞いてきた令嬢はアリスが伯爵令嬢を貶められて不快にならないか気にしているのだ。
アリスの不況を買ってしまえばエレオノーラに近付くこともできなくなるかもしれないから。
この手の話題はあまり好きではないのだが、これから先敵になる相手の話だ。せいぜいアリスが彼女を嫌っていると勘違いしてもらってミュリエッタのいじめにつなげてもらおう。
だからわざと顔をしかめて伯爵令嬢への不快感を露わにした。
「実は私、彼女にはあまりよく思われていませんの。女性なのに生傷を作ってはクリード卿が悲しまれますよ、と言っただけなのですが……。騎士の尊厳を傷つけられたとお思いなのでしょうか…?」
効果はてきめんだった。アリスが伯爵令嬢を好ましく思っていないのならば、エレオノーラに近付くのに彼女の悪口はマイナスにならないと、そう思っているのだろう。
アリスの機嫌を取るために伯爵令嬢への悪口はますます燃え上っていく。
アリスは先ほどから何も言わないエレオノーラの方をちらりと見た。彼女は相変わらず冷たい目をして紅茶を口に含んだり、用意された軽食に手を付けている。
悪口が盛り上がっているさ中ならば、この間見かけた、王子に話しかけるミュリエッタの話題を出すかと思ったのだ。
皆王子に話しかけた不遜な田舎者としてミュリエッタのことは多少なりとも認識している。
だからこそ教室でミュリエッタは孤立するはめになったのだ。ごまをすりたい相手が嫌っている相手に近づく馬鹿はいない。
皆いつエレオノーラがミュリエッタの名を口にするかと様子を伺っていた。エレオノーラが触れない限り話題にすることはできない。
だからこうしてアリスが話しやすい雰囲気にしたのに。
エレオノーラはのんびりとお茶を楽しむばかりで少しも口を開く様子は無かった。
やはりおかしい。この間のことは本当にエレオノーラに何の影響も起こさなかったのだろうか。
ここでミュリエッタへの態度をエレオノーラが決定しないと、これから先の令嬢たちの方針が固まらないというのに。彼女たちはちらちらと不安そうにアリスの顔を見ていた。
本来ならばこのお茶会の時にすでにミュリエッタは王子のそばをうろちょろする無礼者として認識されていた。だからある程度はエレオノーラの言葉なしでも彼女たちはつとめを果たしてくれていたのだが…。
今回はなぜか王子とも親友となる伯爵令嬢ともクラスを離され、まだそれほどに敵意を買っていない。
せいぜい身の程知らずの田舎者としか認識されていないようで、令嬢たちはどう対応しようか考えあぐねているようだった。
間もなくすればアリスの助言によって伯爵令嬢と仲良くなり、すぐに王子とも引き合わされ、令嬢たちから反感を持たれるようになるだろう。
が一つ問題がある。
来週のガーデンパーティーは大事なミュリエッタのいじめ場所なのだ。
この様子では会場で令嬢たちがよってたかってミュリエッタをいじめ、それを王子が止めにくるという物語の流れを果たせそうにない。
別の手段を考えなくてはいけなくなるかもしれない。
厄介なことになった、とアリスは心の中で一人ため息をついた。