穏やかな眠り
まばゆいばかりの光に包まれた会場。エレオノーラ様と私、王子とミュリエッタ嬢と王子の側近たちを取り囲むいくつもの目。私たちに好意的な視線なんて一つもなかった。それはそうだ。私たちは悪役なんだから。
あぁ嫌だな、どうしてこんなこと思い出すんだろ。
それは紛れもなく私たちの断罪の場だった。
「何とか言ったらどうなんだ、エレオノーラ。そもそもお前がオルデン子爵家を陥れるような馬鹿な真似をしなければ俺はここまでするつもりは無かった」
よく通る声だ。容姿、風格、どこをとっても為政者たる存在として育てられた王子様。どうして婚約者を思いやる心だけが育たなかったのでしょう。
「わたしは、あなたを許すことはできません!」
まるで自分は被害者であるかのような顔。当然王子の隣は自分の場所であるとでも言いたげな態度。身の程知らずにもほどがある。
何も言わない主人に代わって声を上げようとする私を片手で遮り、エレオノーラ様はいつもと変わらない冷たく憎悪に満ちた目を彼らに向けた。
激しい怒りに燃えているのに、それを表に出すことすらしみついた教育のせいでできない。あくまで冷静な淑女の仮面をかぶった可哀そうなエレオノーラ様。
今までの人生の拠り所を全て奪われてしまったまま、彼女はいつもと同じ顔で物語から退場を迫られる。
本当に、馬鹿ばかりが得をするくだらない喜劇。
*
目が覚めると見知った天井があった。
(どうしてこんな夢を……)
目覚めのスパイスにしては少しばかり刺激がありすぎる。
まるでベッドに縫い付けられているように体は重いし頭はズキズキと痛むし気分はもっと陰鬱だった。
控えめに言って最悪だ。
緩慢な動作でアリスは体を起こす。まずは少しでも状況を把握しなければならない。
部屋の中はすっかりと暗闇に沈んでいた。
痛む頭を押さえてなんとか体を持ち上げるとまずはベッド横のランプに火を灯す。
ぽわりと橙色の柔らかい光が部屋の中を照らすと幾分か気持ちが落ち着いた。
ゆらめく光に金色の面影を見る。
(エレオノーラ様に会いたいな……)
そんなことを考えてしまう。気持ちが大分落ち込んでいる証拠だ。
そんなアリスの願いにこたえるようにおもむろに扉が開き、そこからひょこりとエレオノーラが顔を出した。
「あら、もう起きたんですの?」
「エレオノーラ様!? どうして……」
「あぁ、まだ動いてはいけません。ちょっとお待ちになって」
驚くアリスのかたわら、エレオノーラは持ってきた蠟燭の火を部屋に設置されているランプに次々移していく。主人に雑用をさせてしまっているようでソワソワとアリスは落ち着かないが、思いのほかエレオノーラの手つきは素早く慣れている様子だった。
全てのランプに火を灯すと燭台を机の上に置き、アリスが横たわるベッドの隣の椅子へと静かに腰をかける。
「エレオノーラ様、今は王城にいるはずでは…?」
「シュキアス様が街で倒れて寮に運ばれたと連絡を頂いていてもたってもいられず戻りました。大した用事もありませんでしたからすんなり許可もおりましたし」
「そんな…私のせいで……」
「いえ、わたくしが心配だったのです。だからそんなお顔をなさらないで?」
安心させるような優しい微笑みにささくれだったアリスの心が急速に癒されていく。
申し訳ないという気持ちは勿論あるけれど、それ以上に心配してここまで駆けつけてくれたのが嬉しくてたまらない。
「そういえばシュキアス様、目を覚ましたらこれを渡すようにって頼まれていたの」
そう言ってエレオノーラは一通の手紙を取り出す。差出人は書いていないが平民舎の学章が透かしで入っている。おそらくノアだろう。
「ありがとうございます」
「わたくしは気にしなくて良いから先に読んでしまったら?」
「はい、ではお言葉に甘えて」
封もされていないようなので慌てて用意したのだろう。三角の口を開けて中身を取り出す。
手紙は一枚だけだった。
差出人はやはりノアだった。
突然倒れて心配したこと、住処を知っている宿の者が送っていってくれること、本などは後日送られることなどが書いてあった。
それから。
『最後に、アリスがあいつらに水をかける姿は忘れられない。不快な思いをさせたかもしれないけど怒ってくれてありがとう。広場には毎週末いるからアリスの都合のいい時に来て。待ってるから』
意地悪く笑うノアの姿が思い出されてくすりと笑ってしまいそうになった。体調が悪いので余計に腹が立っていたせいかいつもより随分大胆なことをしでかしてしまった実感はある。それでも後悔はしていない。それだけ無礼なことをあの三人組はしたのだから。
それから改めて連絡手段をどうにかしないと…と考える。アリスからノアに手紙を出すことはできても、ノアからアリスへはできない。毎週末アリスがくるまで広場で待つつもりだろうか。
「楽しそうですわね。何か良いことでも書かれていたんですの?」
「はい。実は用事で街に出ていたのですがそこで面白い方と出会ったんです。その方が倒れた後色々と手配してくださったみたいです。」
ぱたりと手紙を折りたたんで封筒に戻すとベッドサイドの机にとりあえず置いておく。
エレオノーラはいかにもその面白い人の話を聞きたそうな顔をしていたが分かっていてアリスは口に出さなかった。別にやましいことはしていないがなんとなく話しづらい。そしてエレオノーラが話を切り出すこともなかった。
「エレオノーラ様は王城で何をされていたんですか?」
だからアリスの方から話をそらした。
「いつも通り、先生方にご挨拶をして、両陛下とも顔を合わせてきただけですわ。特にすることもないので退屈する前にこうして戻ってこれてほっとしておりますの」
「王子殿下はお戻りになられなかったのですか?」
「王城にはいらっしゃいましたが今回は顔を合わせておりませんわね。色々とお忙しい方ですから」
目に見えて顔をしかめる、というようなことはしなかったがアリスの反応は良くなかった。それを感じ取ったのかエレオノーラはふ、と眉を下げる。
「シュキアス様はあまり王子が好きではありませんか?」
「無礼を承知で申し上げれば、あまり好ましく思っておりません。あの方はエレオノーラ様を軽視しすぎです」
王子のことをエレオノーラが大切に思っているのは知っていたが、それでも嘘はつけなかった。
さすがは物語の主役だけあって彼が公明正大で素直な性格をしているのは知っている。何も知らない頃はアリスだって王子のことは尊敬する人物の一人だった。
今となっては名前を聞くだけで怒りや憎しみを通り越して生理的に嫌悪を覚える。もしかするとアリスはミュリエッタより王子が嫌いかもしれない。全ての元凶が浮気者の王子だと思っているせいかもしれない。
そんな素直すぎる言葉を聞いてもエレオノーラが気分を害したような雰囲気は無かった。それどころか機嫌よくクスクスと笑っている。
「どうしてそこまでシュキアス様に嫌われてしまったのかは分かりませんが…あの方をそこまで嫌がるのはあなたくらいでしょうね」
「私にとって何があっても第一はエレオノーラ様ですから。王子がエレオノーラ様を軽んじなければ私もそれ相応の敬意は払いますわ」
勿論形式的には敬意を払っているつもりだ。しかし王子がミュリエッタを選び続ける限り、アリスがあの王子を許容することは無い。
「本当にわたくしは幸せですね。シュキアス様がそばにいてくださればそれだけで満足というものです」
小声で何かをつぶやくとエレオノーラはぱっと立ち上がった。
「まだあまり顔色が良くありませんのでもう少し眠った方がよろしいわ。ここにお薬とお水を用意しておきますから次に目を覚ましたら飲んでくださいね」
「はい。ありがとうございます」
アリスは素直に頷いて再び毛布にもぐりこむ。エレオノーラの笑う顔が見られたから、もう悪夢を見ないような、そんな気がした。
「早く良くなってね、シュキアス様」
明かりが消え、部屋には再び穏やかな眠りがやってきた。