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二つの月(5)

 ドアから飛び込んできた声、弾かれたように顔を向ける。入ってきた訪問客は三人。

 アラベル、キルケ、そして朗らかに笑う男が一人。

「あの、失礼ですがそちらは……」

 コウもその男を見たことがないのか首をかしげていた。

 男は柔和な顔つきだった。種族は人間、年は三十前くらいだろうか。服は上等な白い法衣、立ち振る舞いも品があるように見える。

「申し遅れました。ケビンです。ケビン・ウィット。治癒師をしております。証明はこちらに」

 穏やかな手つきで差し出された一枚の羊皮紙にコウが睨むようにして目を通していく。最後まで読み終えると鋭かった目が丸みをおびた。

「確かにこれは……しかし、治癒師の何故先生がこの場所へ?」

「ふむ、それがな。驚くべきことに君達の探索に同行したいらしい。しかも〈サルースの盃〉支部長からの推薦状付きときている」

 キルケは不燃物から出る煙を前にしたような視線をケビンへ向けた。恐らく俺も似たような目をしてただろう。なんせ魔術師以上に貴重な治癒師が冒険者と行動を共にするなんて聞いたことが無い。治癒師のギルドと言っていい〈サルースの盃〉からの推薦状なんて俺達みたいのには普通一生縁のないものだ。

 俺たちの様子に気づいたのかケビンは申し訳なさそうに首を垂れる。

「前例の無いこと。皆様方が当惑されるのも当然です。しかし、支部長殿からの依頼書がこちらに。勿論、これはキルケ様にも確認頂きました」

 キルケに目をやると渋々といった様子で一つ頷いた。

「ああ、なんせ支部長直々にやってきたからな。初めて見たがずいぶんと挙動が怪しい男だった。声も上ずっていたし」

「支部長も高名なキルケ様の前とのことで緊張しているようでした。もっとも、それは私もですが」

 その時を思い出したのかケビンが音もなく苦い笑みを浮かべた。キルケと支部長、両者を立てようとしているのか言葉を選ぶように話をつなぐ。

 身分証はある。物腰は柔らかで支部長の推薦付きか。急な話で混乱していた頭が少しずつ冷静になってきた。腕利きの治癒師が同行するのならこれ程心強いことはない。

 俺は浮かれ過ぎないよう努めて冷静に声色を作った。

「しっかしまあ治癒師が同行してくれるんなら断る理由はないよ。ただ、お偉方まで乗り気ってのは気になるな」

 俺の言葉を聞いたキルケはしばし俯くと大きな鼻をボリボリと掻く。

「魔術協会は元老院、錬金術会は皇帝派、強力な後ろ盾がある二つに比べてサルースの盃は結びつく権力に乏しい。この派遣でアルフレッド君に恩義を売りたいってのが本音だろう。さしずめこの若者は生贄か」

 随分な言いように思わず後ずさる。この老錬金術師は歯に着せ物をする趣味はないらしい。眉を釣り上げたアラベルに軽くつつかれるとキルケはしまったと顔をしかめた。

「あいや、すまない。これは決して君のことを……」

 早口で話しだしたキルケにケビンはゆらゆらと手を振った。その顔には緩やかな笑みが浮かんでいた。

「恐らく、上層部の考えはキルケ様の推測で間違っていないかと思います。ただ、信じて欲しいのは、私は志願してこの場所にいるということです。決して無理強いされたのではありません」

「し、志願? そりゃまたどうして?」

 思わず気の抜けた声が出てしまった。明日死ぬかもしれない冒険者との仕事なんて親兄弟を人質に取られてなきゃ逃げ出すのが普通だ。

 俺の内心を見透かしたようにケビンは真っ直ぐな視線をこっちに向けてきた。彫りの深い目の奥に佇む藍色の瞳に強い光が宿る。

「私が治癒師になったのは帝国に住まう人々の役に立つため。その最前線たる帝都迷宮探索に携わるのは夢でした」

 噛み締めるように語るその姿はまるで舞台の花形役者みたいに凛々しかった。その声に熱がこもり不思議と引き込まれていく。

「何より、このような場で人々の役に立つことこそ信ずる神の思し召し。私はそのためなら命は惜しまない所存です」

 ポタッと左手に何か冷たいものが落ちてきた。訝しんで隣に首をやると、アニモが両目から滝のように涙を流している。どうもケビンの話が痛く心に染みたらしい。

「素晴らしい……! 貴殿こそ…………! 貴殿こそ……!」

 信心深いリザードマンは音がこっちまで聞こえてくるほど強く肩を叩きながらケビンへ賞賛の声を掛ける。

「まあ、少なくとも君達の邪魔にはなるまいよ」

 すぐそばまできていたキルケが呟いた。声量は弱い、俺にしか聞こえないだろう。俺も声を潜め疑問をぶつけた。

「奴は信用できると?」

「サルースの盃にとってアルフレッド君に恩義を売れるこの派遣は重要なものになるはずだ。半端な者を送ってくることはないはずだよ……あの保守的な治癒師たちの長がこんな手を打ってくるとは驚きだが」

 アニモに叩かれた肩をさするケビンを見ていると後ろから細い声が俺の肩を引いた。アラベルだ。

「あ、へへへ……この前ぶり」

「あ、ああ。ん? これは?」

 彼女はおずおずと一振りの細長い筒状の小瓶を俺に突き出した。中には血を煮詰めたように赤黒くドロリとした液体が入っている。

「これ、作ったんです。今度の探索の役に立つと思って……あ、大丈夫ですよ。変なものは入ってません。この色は野イチゴを混ぜたからで」

 色合いで人間の生き血でも入ってるのかと焦ったが、野イチゴという素朴な響きに胸をなでおろす。どんな効果なのかと聞くと実際飲んでみた方が早いとのこと。受け取った瓶を傾け口に含んだ。思ったより強い酸味と苦み。時間をおいて甘さが口に広がる。匂いはほとんどしなかった。

 体に変化はない。

「なあ、これは一体……」

「少し、飛び跳ねてみてもらえますか?」

 周囲を見るとアニモ、ヒカリ、コウは新しい治癒師に興味があるようでケビンを質問攻めにしているようだった。

 今なら飛び跳ねても頭のおかしい奴とは思われないだろう。

 疑問に思いつつ、俺は膝を曲げ飛び跳ねた。

「え?」

 グン、と上体に強い抵抗がかかり、たちまちアラベルの姿が眼下に消える。

 少しの間宙に浮いた後、俺は床に着地した。

「これは……いったい」

「能力の向上薬です。ごく短時間の間だけ身体能力を飛躍的に上げられます」

 アラベルは安心したように一息ついた。効果がちゃんと出たことで安心したんだろう。一歩引いたところではキルケが目を細めている。

「力にも速さにも高い効力があります、しかし、感覚が鋭くなるわけじゃありません。それから」

 アラベルの言葉の後すぐ、全身に鉛でも流し込まれたかのように体が重くなるのが分かった。

 声を出すこともできない。

 質の悪い流行病にかかったかのようだ。腕を上げることさえ難しい。

 何度か深呼吸を繰り返すうち波が引くように体の重さは消えてなくなった。

「今のは……体が鉛になったみたいだったんだが」

「この薬の副作用です。一時的に戦神のような力を得られますが、効果が切れると殆ど動けなく……すいません。副作用はどうしても消えなくって」

 消え入るような声で呟くアラベルに手を振った。とんでもない化け物がいる迷宮を前にこれだけ強力な武器を得られたのは大きい。

 効果が維持されるのは七つ数える時間ってところか。

「アラベル、ありがとう。助かるよ。迷宮じゃこれは凄い武器になる……何より、味もなかなかだったし」

 俺の声を聞いてアラベルの顔に花が咲いた。

「え、えへへ。良かった~お口にも合って。苦みが消えるかなと思って野イチゴも混ぜたんです」

 ん? 野イチゴ”も”混ぜた?

 他にはなにを?

 アラベルはにこにこと笑いながら赤黒いガラス瓶を指でなぞる。

「え? 何を混ぜたかって? それはレシピ通りですよ。空蜘蛛の生き血にゴブリンの肝臓、ハーピーの脳を濾して~。あっ知ってます? ハーピーの脳って結構柔らかくって! ぷにぷにしててかわいいんですよ! 私この前触った時ビックリしちゃって……」

 水を得た魚のように闊達に話すアラベル。近所に咲いた花について語る少女のように、蜘蛛の生き血の抜き方や魔物の”分解”のやり方を事細かく説明してくれた。

 お陰で胸……いや、胃袋から熱いものが込み上げてきそうだ。

 と、いうかハーピーの脳味噌飲んじまったのか。

 もしかして、あの苦みは……いや、考えないようにしよう。

「あら、珍しい組み合わせ」

 ケビンから一通り話を聞いたのか近くまで来たコウが俺たちを交互にしせんをくれた。狐耳の姿を確認したアラベルも顔をほころばせる。

「ああ、コウさん! いつも差し入れありがとうございます。いつも食べるの忘れちゃって」

 それから少しの間、うら若き女性二人のとりとめもない話が続いた。

 ついさっきまでハーピーの脳の濾し方だのゴブリンのハラワタに生息する寄生虫の姿形だのを語っていたのと同じ空間だとは思えないくらいの華やかさだ。

「では、私はこれで。出立の準備をしてきます。三日後にまた」

 二人の話を聞いていると中央にいたケビンが全員に聞こえるように大きな声を出した。俺たちにも一礼して足早に部屋の外へと立ち去っていく。随分と仕事熱心らしい。

 それに続いて錬金術師の師弟とコウも自分たちの部屋へと戻っていった。

「今日は良い出会いがあったな! さて、我らも休むとしようか。準備は明日からでも間に合うだろう」

 アニモの尻尾が元気よく床を叩いていた。あのケビンという治癒師のことを随分気に入ったらしい。

 明日の朝から携行品の整理をすると約束して別れ、残るは俺とヒカリだけになった。

 何か食べに誘おうかとヒカリに目を移すと、何かを考えるように深く俯いていた。斜めから見える表情は真剣そのもの。

「ヒカリ?」

「ねえ、もし」

 そこまで呟いて小さな唇は動きを止めた。紅い瞳が夜風に吹かれた蝋燭のように揺れている。

「どうした? 次の階層の事で……」

「もし、あなたがをもらった贈り物が望まない物だったらどうする? しかも、それはあなたを傷つけてしまうものだったら」

 予想だにしなかった問いかけ。

 面食らい、返す言葉を失う。

 傷つける? どういうことだ?

「どうするって、それは……いや、まて、そもそも何を」

 空になった水筒を逆さにしたみたいに答えは出てこなかった。俺が答えに窮しているとヒカリは首を振って踵を返す。

「変なこと聞いた。忘れてほしい」

「おい、どこに――」

「もう、寝る」

 そう告げるとヒカリの小さな体は二階へと消えていった。

 残されたのはがらんとした広間の壁に映る細長い俺の影。窓の外に広がる空

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