二つの月(4)
聖印
世界には先天的に驚異的な膂力ないし魔力、またはその両方を生まれながらに与えられた者たちがいる。それらの力を持つ者は皆、星型のアザがあることからこれは聖印と呼ばれている。
聖印について残された情報は多くない。
災厄の時代以前の資料は殆ど燃えてしまっているのに加え、聖印を授かった人間が極小数であるためだ。
最も有名な〈聖印持ち〉はアウレリウスだろう。
一騎当千の戦士としてその活躍は様々な書物にも残されてている。一薙ぎで数十の魔獣を打ち倒し魔術の威力は山をも崩す程だった、と。流石にこれは誇張だとしてもアウレリウスの強さは当時の人にとって信じ難いほどのものだったことが伺える。
余談だが彼は帝国をまとめ上げた後、〈隔世の海〉を超えることを夢見ていたようだ。もし、この計画が実行に移されていれば帝国はその版図を海の外にまで広げ、歴史は全く違ったものになったかもしれない。
現在、帝国において聖印が確認されている者は三人しかいない。
内務卿アルフレッド・ヴァロワ、最年少で魔術学院を卒業したヒュパティア、大陸最高の戦士として知られるドミニク。これだけだ。人間・エルフ・リザードマンと種族を問わず発現していることから種族に依存する力ではないと思われる。
『帝国百科辞典』
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「と、これが聖印について分かってることだ」
「ふうん」
わざわざ百科事典まで持ち出してやったのにヒカリから返ってきたのは曖昧な頷きだった。アニモと新入り――マキは少し離れた場所でなにかを小声で話している。ダンジョンへ向かう計画についてだろうか。
「あっそうだ。これ」
視線を下げるとヒカリが上着を胸近くまでたくし上げていた。新雪のような白肌。ぷくりと浮き出たあばら骨が緩やかに凹凸を作っている。
一瞬で頭の中が停止する。
「私もここに痣がある。これも聖印?」
指で示された先を見てみると確かに薄っすらとした丸い痣があばら付近にあるようだった。杭を打ち込まれたみたいに視線が固定される。
「――ヒカリ、その、あれだ。お前のは、違う、と思う。それから服を下ろしてくれ」
頭を振り、どうにかあいつの手を掴んで裾を降ろさせた。喉の奥まで揺れているのが分かるくらい心臓の鼓動が強い。
胸を抑えている俺のことをヒカリは不思議そうな顔で見上げてくる。
「そもそも、それはいつから出来たんだ? 生まれ……死んだ時からか?」
「ううん。昨日机にぶつけて」
「そんなにお手軽に付けられるなら今頃帝国の半分が聖印持ちになってるぞ……」
俺とヒカリがバカ話をしているとアニモたちがこっちへ近づいてきた。マキのほうは二歩ほど後ろで腕組みしている。
「第三階層についてだが三日後でどうだろう。おおむね携行品も揃えてあるし準備の時間としては十分だ」
「ああ、俺としては問題ないが」
ヒカリに目をやる。迷ったように少し考え込んだ後、まっすぐこっちを見返して小さく頷いた。
「マキ殿、こちらとしては問題ない」
「そうか、では三日後に」
そう告げるとマキはくるりと背を向ける……まさかこれで終わりか? アニモへ顔を向けると肩をすくめられる。
「あー、なあ、マキ……さん? 少し話でもしていかないか? これから同じ仕事に向かうんだしな」
ローブがわずかに傾いた。暗闇で封をされたフードの奥から射るような視線を感じ、俺は思わず半身を引いた。
「必要な事項はそちらの竜人に話してある。これ以上人間と無益な問答を続ける意味はない。無駄だ」
その声色は剥き出しにしたナイフのようだった。
俺がぽかんと口を開けるなか去り行く黒ローブの女。何処か苛立ったようなヒカリの声がその背中にぶつけられた。
「意味はなくともそれがすべて無駄なわけじゃないはず」
「お前は……あの子供か」
ヒカリの言葉に驚いたのかマキが初めて人間的な反応を見せた。内務卿のいた時も (悪い意味で)目立っていたからかヒカリのことはよく覚えているようだ。
「覚えておけ。時に意味をなさない無駄な行為はマイナスにすらなる。特に、命をやり取りする場において致命的なほどにだ」
「ここは迷宮内じゃないぜ」
俺の声は無視されたようで奴はそのまま部屋から出ていった……どうも、あのローブ女は俺に良い印象を持ってないらしい。
俺が振り向くと困ったような顔でアニモが小さく口を開いた。
「あー、なんだ。二人で会話した時はまだ普通だったよ。社交的ではなかったが」
「あの態度を見たか? 腹をすかせたゴブリンのほうがまだ愛想があるぜ」
同調する声を待っていたがヒカリはこっちに背を向けたままマキが出ていったドアを見つめていた。なだらかな肩でさみしげに銀の髪が揺れている。
ふと、バロンの部屋での一場面が思い返された。
あの時も似たようなことで突っかかってたっけか。
ヒカリは、何を。
「なあ、ヒカリ……」
「ああ、皆さん! 丁度良かった」




