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戦闘準備(6)

「最後におさらいといきましょう」

 クインが短く呪文を詠唱すると草の生い茂る床が湖面のように波打ち、俺の三倍はありそうな巨大な丸い岩が浮かんできた。

 木刀に手をかける。

 集中。

 耳が体に埋め込まれたかのように自分の呼吸音が大きくなり、右腕が焼けるように熱くなった。

 一、二。

 抜刀。

 三を数え終わる前に刀は抜き切られる。

 ピシ、という小さな音と共に真っすぐな線が岩に入るとたちまち二つに分かれた。切り口は鏡のように滑らかになっている。

「よろしい。次」

 クインがふわりと浮き上がり大木の枝に腰かけた。俺の二倍はありそうな高さだ。

 呼吸を整える。

 目線を上げ、数歩下がった。

 集中。

 一、二。

 体をかがめ右足に全体重を乗せて思い切り飛び上がる。

 グンと頭に抵抗がかかる。

 視界がみるみるうちに上昇する。

 弓矢にでもなった気分だ。

 枝を超えたところで上昇は止まり、今度は下降していく。

 一、二、三。

 着地。

 後ろに受け身を取って衝撃を和らげる。

 何度か、深呼吸。

 良かった、今回はどこの骨も折れていないらしい。

「さて、こんなところでしょう」

 はるか上空からクインの声が降ってきた。魂を削ぎ落とされるようなこの地獄もようやく終えられるらしい。

 あれから一生分死にかけてようやくこの力の限界を学ぶことが出来た。

 今俺がこの力を宿せる場所は目、右腕、右足。この三つ。

 この力は武具にも纏わせられるようで木で出来た刀でも岩ごと叩き切ることもできる。

 半面、物の運搬などの全身を使うものには使えなかった。あくまで体の一部のみが強化されるようだ。

 時間は十を数える間。

 それだけが一日に闘気で体の一部を強化できる時間だ。それが僅かでも過ぎれば、文字通り瞬く間に神々の御許へ召されることになる。

 訓練を終えた安堵感から力が抜けてそのまま寝転がった。天井まで隙間なく這いまわる蔦の一本が降りてきて俺の横に刀をそっと置いた。

 黒の森もこんな場所なのだろうか?

「まだまだヒヨッ子ですが、ひとまずはここまで。あとは実戦で鍛えるしかありません。強敵と戦い、死線を越えねば真の成長とはもたらされないものです」

 いつの間に、降りてきたのか。視界の上からクインの頭が逆さまに生えてきた。さらさらとした髪が垂れてきてくすぐったいがもう腕を動かす気力はない。

「しかし、師匠はどこでこんな力を?」

「これは古い時代に作られた戦闘技法です。元々は護身の手段として私たち妖精があなた達、定命の種族に伝えたもの」

 クインはじっと俺に目を合わせてきた。

「かつて<災厄の時代>と呼ばれた頃、この大陸は地獄の底にありました。痩せた果実と命一つが等価とされ、鳥の声ではなく生ける者の悲鳴で目を覚ましました。幾重にも捻じ曲がった怨嗟の念が地に満ちた時代です。私たちは、全ての種族を守ろうとしました。特に、弱きものを。持たぬものが、魔法を扱えず力も無い者が生き残る手段に使えるようこの技術を作り出したのです」

 俺を覗き込んだ翠眼に薄い膜が張ったように見える。クインの声は普段の親しみやすい声ではなく、水底に佇む名前の消えた墓標のように静かで沈んだ声だった。

「……この技術は私たちの望みとは異なる使われ方をしました。闘争と戦争です。生き残るためにと作ったこの力は憎き相手を殺すために振るわれたのです。平地、山地、森、街、あるいは家の中で。力を得た弱き者たちは、明日を生きることよりも昨日の怨嗟を晴らそうとしました。あなたがこの力を知らないのも無理はない。私たちは伝えることをやめたのです。悲しみと破壊を生み出すこの力を」

 災厄の時代。俺にとってその言葉はおとぎ話のようなものだった。

 酒場の飲んだくれでさえ冗談でも口にはしない話だ。誰だって知識として知ってはいる。だが、俺は……いや、みんなそうだろう。その時代のことはどこか、とても現実味のある虚構であるかのように思えて仕方なかったんだ。

 世界の外にあるかのような遠いその時代が、クインの言葉でにわかに色を帯びた気がした。

 喉元に集まった冷たい汗が不快な感覚を残して流れ落ちていく。

「なら、その、どうして俺にそんな力を」

 しばし、考え込むようなそぶりを見せた後、クインは口角を上げウインクして見せた。

「そりゃ、あなたがこの力を使って何か悪さしても私がすぐとっちめられますからね……と、冗談はおいといて。とある知り合いから話を聞く限り、あなたがこの力を悪用するとは思えなかったから」

「知り合い? でも、俺のことを知ってる奴なんて……」

 クインの顔が視界から消えた。彼女の姿を追いかけて体を起こすと海で一日中サメに追いかけられた後のような疲労感が全身を包んだ。

「実を言うと、今回の件もその子に頼まれたんですよ」

 こちらに背を向け大木の幹をゆっくりと撫でた彼女は振り返ることなく言葉をつづけた。

「その子は、大切な人があなた方に大変良くしてもらったと言っていました」

 誰だ? 皆目見当がつかない。

 この街に来て知り合ったのだって多くはない。親しくしている相手なら両手で足りるくらいだが、クインと面識のある相手なんて……。

 俺の疑問をよそにクインは足元のビートを抱き抱えこっちに体を向けた。

「普段の行いというものは、どこかで誰かが見ているものです。うらぶれた小さな店の窓辺で佇む物静かな植物だって例外じゃありません」

 ふと、ある光景が脳裏をよぎる。裏道に忘れ去られたような小さなパン屋。その窓辺で寡黙に咲く花がふわりと揺れた気がした。

「ねえ、聞いて」

 彼女の手は止まっていた。大木の隣で佇むその背中がいつもより小さく見える。

「本当に大切なことはどんなふうに生まれたかじゃないの。どうやって生きていくのか。それがだけよ。この力だってそう。どうやって使うかが大事なの。でもね、寿命の短い多くの種族はそのことに気づかないまま生涯を終えてしまう。ケイタ、この力を正しく使ってね。誰かを守るために生まれたはずの力が、破壊のためだけに使われて終わるのは悲しいから」

 語り終えるとクインはこちらを向いた。はじめは分からなかったが、クインの足元でビートが両枝を上げている。丁度抱っこをせがむ子供のようだ。

 小さな笑い声と共に胸に抱かれたビートは満足そうに体を揺らしている。少しして俺に気づいたのかグイと腕(枝だが)を突きだしてきた。

「ふふっ。幸運を、ですって」

「ああ、ありがとう。ビート。それにクイン、貴方にも……無駄にはしないよ。その気持ち」

 クインの髪が僅かに揺れた。

 一瞬の間をおいて静かな声が夕暮れに溶けていく。

「私からも幸運を、ケイタ。どうか……いや、そうね。また、会いましょう」

 夕陽で赤く染まった部屋のなか、クインの手が小さく振られる。彼女の表情は、逆光となった影に覆われて伺い知ることは出来なかった。

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