戦闘準備(5)
あれから、クインとの打ち合いは続いた。
慣れというのは凄いもので稀にクインの太刀筋を僅かばかりではあるが捉えることもできるようになってきている。初めのころは目で追うことすらできていなかったから、十分な進歩だろう。
……まあ、『打ち合い』といってもクインが一方的に打ち込んでくるだけだし、大抵は俺が床で伸びることになるんだが。
クインの動きが止まって見えるような現象はあれ以降も何度か起こっていた。時間がゆっくりと流れるように感じる原因は何もつかめないままだ。
時間は過ぎ植物の間から色を濃くした日の光が差し込むようになっていた。
「さて、少し様になってきたかもしれませんね」
クインの木刀がゆっくりとこちらを向けられ、俺の顔の位置でピタリと止まった。
来る。
集中。
頭を空にして動きだけを見る。
音が、消えた。
クインが姿勢を低くした。
跳躍。
真っすぐこっちに向かってくる。
まだ、集中は切れていない。
残り五歩の距離。
時間が遅くなったような感覚。
全てが遅く見える。
残り、四。
木刀を下段へ。
眼前に迫る脅威を睨み付ける。
三歩。間合い。
渾身の力を込めて木刀をカチあげた。
手に、かすかな感覚。
遅れて鈍く乾いた音が木霊する。
目の前には大きな目をぱちくりさせるクインの姿。腕に目を移すと何も握られていなかった。
得物はどこに?
俺が疑問を頭に浮かべた時、茶色の屑が視界を覆った。
掌を上向けて集めてみると……これは、木屑だ。もしやと思い俺の木刀に目を移すと手で握った場所から先が抉れたように消えている。
お互いの木刀が文字通り木端微塵になったらしい。
「悪くない悪くない。ケイタ、少し……おっと」
クインの声が遠くに聞こえたかと思うと足から力が抜けていった。倒れる寸前で先の丸まった三本指に支えられる。
少しの間支えられると足に力が入るようになった。
「あ、ありが、とう。なあ、さっきのは一体……」
「頃合い、ですかね。ケイタ、先ほどの感覚・力の強化は『闘気』によるものです」
とうき? 初めて聞く。クインはふわりと浮き上がり宙で腰かけた。
「これは、あなたの持つ活力そのものを力へと変換する戦闘技術です。闘気を使った後、あなたが倒れた理由はこれですね」
言われてみると、この力を使った直後はえらく体が重かった。活力が何を指しているかは良く分からないが、強力な力であることに違いはない。
「ああ、ありがとう師匠。こいつは凄い。しかし、使いすぎると動けなくなるっていうのはまずいな」
「ん? 何言ってるんです?」
クインは眉を顰め、ぐいと顔を近づけてきた。何か、間違った事でも言ったか?
「この力を許容量以上使えば当然死にますよ」
「え?」
「”え”ではありません。活力は生命力とも言えます。使い果たせば死は必然。第一、何のリスクもなく力を得られるわけ無いでしょう」
両手を腰に当てたクインがグイと首を突き出して捲し立ててくる。じりじりと後退した俺は足元の根に引っ掛かり尻もちをついた。
確かに、あのクインの一撃を弾けるような力は魅力的だが、いくら何でも死にかけてまで使いたくは……。
「それから! 一回や二回出来ただけで闘気を身につけられたわけじゃありません! まったくもう! これはミッチリ鍛える必要がありそうですね」
……どうも踏んじゃいけないスイッチを踏み抜いたみたいだ。そっと後ろに目をやるが、クソ! そうだ。壁に囲まれていたのを忘れてた。これじゃ逃げられん。
うなだれていると大木の影からあの動く木が近づいてきた。幹をしならせて俺の顔を覗き込む (相手の顔が無いので雰囲気では、だが)と枝で二度俺の肩を軽く叩いて大木の裏へと消えていった。
「さ、ビートからの慰めも受けたことですし再開しましょう」
座り込む俺を引きずるように立たせたクインは俺の隣で腕組みしたまま顎で構えるよう合図した。今日体に植え付けられた癖で身構えるが、彼女は俺と対峙せず隣で腕組みをしていた。
「あー、あの。始めるんじゃ?」
「おや、ぶたれるのがお好みですか?」
ゾッとして蛇を見かけた猫みたいに飛び退いた。俺の様子を見て、妖精は苦笑しつつヒラヒラと手を横に振る。
「冗談です。ほら、こっち来てください」
大丈夫だろうか。すり足でクインとの距離を詰めていく。いつでも後方へ飛び退けるようにしていたが、様子を伺う限り動く気配はなかった。
下では歩く木――ビートがコップを大量に並べてあの蜂蜜のような液体を次々注いでいる。こっちにまであの甘い香りが微かに漂ってくる。
「さて、覚えたてのあなたでは闘気を全身に漲らせるとあっという間に活力は枯渇します。それこそ、二・三度瞬きをする間に消えてなくなるでしょう」
クインはふわりと俺と同じ高さまで浮き上がった。緑色の瞳の中に息を呑む俺の姿が映る。
「闘気をコントロールせねばなりません。全身ではなく目だけに闘気を集中させるのです」
「目だけって……そりゃどうやって」
「体中の力を目に吸い上げるようイメージしてください。大丈夫、これはすぐ出来るようになります」
言われるがまま瞼を閉じ、目に力を吸い上げるようイメージする。
キンと耳が鳴り、音が消えた。
ゆっくり目を開くと目の前にはビートの姿がある。腕から滴り落ちる蜂蜜モドキがゆっくりとコップへ落ちていくのが分かった。
一滴一滴まで手に取るように分かる。
時間が蜘蛛の巣に絡めとられたみたいに動きがゆっくりと流れていた。
これで、いいのだろうか?
俺がクインに尋ねようと首を動かすが……ゆっくりとしか動かない!
感覚だけが強化されて自分の動きも遅く見えるのか?
まて。
変だ。
辺りが暗い。日が沈んだ?
ついさっきまで日が差し込んでいたはずなのに。
体を動かそうとして手足の感覚が殆ど無くなっていることに気付く。
体の末端が、まるで氷になったかのように冷たい。
俺は――
「そこまで!」
クインの鋭い声。
我に返った。
酷く、呼吸が荒い。心臓が風に揺られた蝋燭のように鼓動する。
後ろに倒れ組むと目の前に蜂蜜モドキが満タンになったコップがあった。
啜るようにその水面へ口を伸ばす。
甘い、味。
液体が喉元を通り抜けると自分の呼吸音以外が聞こえるようになった。横から心配そうに眉を下げたクインが覗き込んでいる。
「あの感覚、分かりましたか? 目の前が暗くなり手足が凍えたのならそこが限界です。さあ樹液を、黒の森に住む木々の樹液は活力の源ですからゆっくり飲んでください」
さらにもう一口。
頭が溶けるような甘みが口に広がり全身の感覚が戻ってくる。指先の冷えも無くなったようだ。
俺の息が整ったところでクインは俺の肩を掴んで引っ張り上げてきた。
「じゃ、もう一回行きましょうか」
「へ?」
「”へ”じゃなくもう一回。この限界の感覚を体に叩き込む必要があります。ん? ああ、大丈夫。樹液ならビートが作ってくれますよ」
不意に足をつつかれた。
首を回すとビートがすぐそばまで来ている。あいつはポンとおれのケツを軽くつついた後、樹液絞りへと戻っていった。
「ふふっ。礼はいらない、だそうです」
「えっ! ビートは喋れるんですか」
「ええ。人間には分からないかも知れませんが、植物だっておしゃべりですよ? ……とと、さあ! 時間は有限です。早速始めましょう」
……どうしてもやらなきゃいけないのか? はじめは周りの壁が闘技場か何かのように見えたが今じゃ牢屋にしか感じられない。
ニコニコと混じりっ気のない笑顔を浮かべる妖精の表情に背筋を凍らせつつ俺は集中を高めていった。




