きっと、明日降る雨は(4)
目深にかぶったフードの先からとめどなく雨粒が流れ落ちていく。
イードの店を後にしてから雑品を揃えるべく商店を回っていたが、こいつが思いのほか苦労した。行く先々で冒険者免許の提示を求められて門前払い。さっきのところなんて俺たちの名前を聞いただけで慌てたように追い出そうとしてくる始末だ。
店主を問い詰めたところダールベルク家を敵に回せないだの、ダノン商会に逆らえないだのと泣きながら訴えてきやがった。
「この街の商人はどうなってんだ? まるで俺たちが疫病神みたいじゃないか」
「まるで吾輩たちが厄介者ではないかのような言い方だな」
露店の隙間を進んでいくと、むわっと湿り気を帯びた獣の臭いが鼻の奥に広がった。近くに肉屋があるようだ。臭いの方へ背伸びしてみると、俺の腕より長い毛を全身から生やした四つ足の生き物が競りにかけられているようだった。
「あのイードは金貨を見た途端、餌をもらった野良犬みたいに態度を変えやがったが今思うと取引に応じるだけマシだったな」
「イードたちは独自の流通網を持っているのやもしれん……単純に金に目がくらんだ可能性もあるが」
四つ足の競りには熱が入ってきたようで怒号に近い声が流れてくる。幾人かの通行人も興味をひかれたのか立ち止まり、即席の見世物の行く末に目を向けていた。
「ケイタ、そういえば貴殿の話の続きを聞きたいのだが……」
アニモの方もすっかり足を止めて怒号の元を興味深そうに眺めていた。他の奴らより頭二つは背が高いので見やすそうだ。
イードの店での話か、どこまで話したっけかな。
「えーと、たしか? カルロが……、そうだ、カルロが来て生活が楽になったところだったな。あいつ世の中の間違ったことを放っておけない奴だったよ。あいつが就任の挨拶でなんて言ったか分かるか? 『神の名のもとに、この街の不正を一掃したい』って言ったんだ。俺は驚いた、テベス・ベイから不正を取り除くってのは海を真水にするって言ってるようなもんなんだから…………だが、あいつが来て実際に生活は変わった。暮らせるようになったんだ、人間らしくな。真っ当に暮らしてる奴らからしたら大したことに見えないかもしれない。それでも俺達にとってあいつは救世主みたいだったんだ」
競りの方はかなり絞られてきた。四つ足の周りを覆っていた人の輪が解けていく。吊り上がっていく値段を前に未だ手を挙げているのは十人程度だ。
「だが、俺たちの救世主様はそれで満足しなかった。あいつは神殿やスラムだけじゃなく様々な場所を嗅ぎまわっていたらしい。何をって? 賄賂の証拠さ。あの街じゃ衛兵から役人まで呼吸をするように小銭を受け取っていることは誰だって知ってたからな。俺たちも最初は度が過ぎる衛兵長あたりを告発する気なのかと思っていた」
どよめきが起こり、遅れてパラパラと小さな拍手が聞こえてきた。
競りの決着がついたみたいだ。大柄な人間の男が満足そうに四つ足の首から伸びる鎖を腕に巻き付けていた。見世物は終わりみたいだ。
人の群れに押し出されるように俺たちは再び足を動かし始めた。
「そいつが違ってな。あいつが狙ってたのは親玉、帝都から派遣されてる街の総督だったんだ。イカレてるだろ? これなら違法魔法薬で神の御許へトンで行こうとしてた前任の方がまだまともだ。カルロは俺たちに文字を教えながらいっつも言ってたよ。『一番目には最も大事な部分を変えなきゃならない、そうしなきゃ何も良くならない』ってさ」
しばし進むと露店の数も減ってきて辺りが開けてきた。薄汚いローブを羽織った男が水たまりに両膝を地面につけ天を仰いで何かを叫んでいる。救世主がどうたらこうたら喚いているみたいだ。新手のカルトか?
「実を言うと、俺達も初めは本気にしなかった。総督だぜ? 言ってみりゃ帝国そのものに宣戦布告するようなもんだ……けどな、あいつは、カルロは本気だった。ある、そうだな。ちょうど、今日みたいに酷い雨の日だった。真っ黒なローブを羽織ったカルロが俺たちの所に駆けてきて言ったんだ『証拠をつかんだ』って。あんなに興奮した様子のカルロを見るのは初めてだったよ」
通りを二つか三つ横切っただけだが、景観が一変していた。活気づいてい露店の姿はなくなり、代わりに物陰から数人の男が手招きしている。フードが目深を目深にかぶっていて顔は分からない。ボロきれからのぞく腕は骨に皮だけを張り付けたみたいに痩せこけていた。
おおよそ違法魔法薬かなんかの売人だろう。
手が自然と刀に添えられる。
「あいつは、夕方になる前に街を立つと言ってた。帝都へ向かうと。あそこで暮らしていて、初めて心が弾んだよ。俺が覚えている中で初めての体験だった、明日、世界そのものが変わるんじゃないかって期待で自分じゃ抑えられないくらい手が震えてたんだ。手だけじゃない。体中の震えが、止まらなかった」
「ねえねえ兄ちゃん」
幼い声。
視線を落とすと二人の少年がいた。二人ともぼろぼろの服を着ている。靴はないようだ。
一人はニコニコと笑顔だったが、もう一人ぶすくれて仮面を被ったように無表情。
表情豊かな方が一歩前に出る。
「兄ちゃん兄ちゃん、僕たちの絵を見ていってよ」
「何? 絵?」
少年が一本抜けている歯の隙間から、ちろりと薄い舌を出して見せた。
風貌を見たところ、育ちは俺と同じだろう。どことなく、親近感が湧いた。ただ、俺と同じような境遇なら絵画なんてろくに見たこともないかと思うが……。
そんなことを考えていると、子供は自身の後ろを指さした。
「あれは……おっと」
後ろから走ってきた子供がアニモにぶつかったが、二人とも、そんなこと気にもならなかった。
指の先にある建物の壁一面に妖艶な笑みを浮かべた薄着の美女が描かれていた。繊細なタッチで立体的。こちらを見つめる目なんて本物が埋め込まれているみたいだ。そこらに描かれているラクガキとはわけが違う。
こいつらが描いたのか? あれを?
「驚いたな。あれは貴殿が描いたのか?」
アニモが声を出した時、すでに二人の子供はこちらに背を向けて走り出していた。
水しぶきを飛ばしながら凄い勢いで遠ざかっていく。
一体何だったんだ?
てっきり、小銭でも要求するのかと思っていたが。
何か不快な違和感が頭の中に積みあがっていく。
「ふうむ、あれだけのものを描けるのなら一枚描いてもらってもよかったな。あの身なりではあるし、少しくらい金を……」
ふとした呟きに嫌な予感が脳の中で亀裂のように走る。
思い出されるのは少し前にアニモにぶつかったガキ。
「アニモ、金はあるか? 袋だ」
「は? 金? ちゃんとここに……ん?」
鱗に覆われた手がゆっくりと自身の腰に伸ばされコートの裾をまくった。
無い。
無い!
俺達の金が入った袋は影も形も無くなっている!
「あのクソガキ共!」
毒づくと同時に思い切り地面を蹴りだした。散った水しぶきが顔にまでかかる。
前方を確認。
視界の端であのガキが右手の横道へ入ったのを捉える。
さらに姿勢を低くして加速する。苛立ちがそのまま足に乗り移ったみたいだ。
横道へ曲がる際に首を回し後ろを確認。
アニモは出遅れたが何とかついてきているようだった。
横道は細くゴミが散乱していた。
周囲を確認。
見つけた。
左手に三人組の子供。やっぱりぶつかったあいつもグルだったか。
ガキどもがまき散らしたゴミを飛び越え距離を詰める。
まあ三十歩はあるか?
奴らは三つ先の十字路をまた右手へ。
軒から滴り落ちる雨を振り払う。もう顔が分かるまで近づいた。
奴らは二つ先をまた左へ。一見すればどこも同じような道なのに迷いがない。どこかねぐらがあるのか?
さらに強く石畳を蹴り上げる。
角を曲がった瞬間、右手から影。
角材。
認識した瞬間、刀は抜かれていた。
足から頭の先へ刀を持ち上げるように薙ぎ払う。
熟れたチーズにナイフを入れるように角材は真っ二つに割れて俺の両脇へ落ちていった。
俺が通路の先へ目を向けると三人の姿。
狼を見た羊みたいな顔だ。
腕に目を走らせる、金を持っているのは歯抜けのガキ。
俺が走り出すと、奴らは弾かれたように通路の先へ走り出した。
四つ先を左へ。
そうやって、裏路地を巡るうち俺は足を止めた。
ようやく、追い詰めた。
奴らが逃げ込んだ先は袋小路。
大人が十人ほど集まれそうな四角形の広場のような場所が見える。
ここがあのクソガキ共のねぐらか?
近づく前に周囲の壁を確認。立てかけたあるものは無い。
地面にも特に何かを仕掛けているわけでもなさそうだ。
一歩ずつ、ゆっくりと近づいていく。あいつら覚悟しとけよ。
俺が広間に足を踏み入れた瞬間、雨粒の中に何かが瞬いた。
抜刀。
光を斬りつけると、何かが落ちて乾いた音を立てる。
落ちた何かを拾い上げる。これは、針か?
舌打ちの音に顔を前へ向けると、そこに居たのはさっきの三人組の子供と背の低い髭面の男。
男の身長はほとんど子供と変わらない。右手には細長い筒。
吹き矢を使う種族なんてチルカくらいしかいない。
あの盗賊野郎め。どうりで手が込んでると思った。
髭面のチルカは俺を睨め付けると唾を地面に吐き出した。
「ったくしつけえ野郎だ! 金だけで勘弁してやろうと思ったが……ここまで来たからには身ぐるみ剥がせてもらうぜ!」




