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きっと、明日降る雨は(1)

 唸りをあげる雷光が空を切り裂いた。

 暗く没しつつある見慣れた街並み。

 小汚ない神殿。

 吐瀉物まみれの地面。

 顔を伏せ、互いに牽制しつつ足早に去っていく通行人。

 俺は雨に体を打たせるまま立ちすくむしかなかった。

 衛兵が酒焼けした声でがなり立てているが、誰も振り向きやしない。その声の一部にはどうにか後悔の色を僅かばかり感じとることができる。

 ああ、まただ。

 何か、靄がかかったみたいに。その、衛兵の顔も真っ黒に塗りつぶされている。

 俺は、せめて、理由だけでもと、あいつに近づいて……。


「ケイタ、起きろ」

 ここで、目が覚めた。足元に視線を写すと心配そうにこちらを見つめるアニモの姿がある。

「よくない夢か?」

「ああ、まぁ……たまにあるんだよ。顔が黒く塗りつぶされた奴が出てきてな」

 軽い調子で言ってみるが、魔術師の眉間に刻まれた険は取れそうにもなかった。この夢の話をするとアニモはいつも険しい顔をする。

 戸棚を開けると、綺麗に折り畳まれた服が色別に並べられている。舞踏会にでも出られそうな服を避けて手軽な黒のシャツを手に取った。ボタンつきの服はどうにも合わない。

「……ヒカリの様子はどうだ?」懐から出した小さな本を眺めながらアニモが口を開く。

 あれも魔道書なのだろうか。

「悪い意味で変わり無いな。もう二日になるが篭りっきりだ」

 ミミの元より帰ってからというもの、ヒカリは殆ど外に出ていない。一応飯の時間だけは見るので飢え死に(もう死んでるが)することはないだろうが。

「ミミの方は?」

「少しは落ち着いたようだが、気落ちした様子は変わらない。唯一の家族を失ったのだ、仕方あるまい。ヒカリのことも気に病んでいるようだった」

 ぽつぽつと、雨が屋根を叩く音が響く。窓へと目を向けると灰色の空が徐々に歪んでいった。

「ミミは行くと思うか? 孤児院にさ」

 ダリアが娘へ残した選択肢は孤児院へ向かうことだった。

 ミミの器量が良いのは間違いない。なんせあの歳で店を切り盛りしてるんだ。パン作りだって楽じゃあない。話を聞いてみると大人だって根をあげるような仕事をこなしてる。

 だが、だ。

 あの子はまだ子供。たった一人であの商会の奴等と渡り合うのは無茶だろう。

「……合理的な判断ではあるな」

 後ろ向きな肯定をしたアニモが憂鬱そうに窓へ顔を向ける。雨は強さを増し、隣の屋根さえ見えないほどだった。

 あいつは窓から俺に視線を移すと勢いよく立ち上がる。その瞳はなんだかいつもより暗く見えた。

「そろそろガロクが杖をこしらえている頃だろう。様子を見に行ってみないか?」


 鍛冶場のドアを開けると、鍋でも盛大に焦がしたような灰色の煙が充満していた。不思議と息苦しくはない。それどころか、ここには似つかわしくない良い匂いまで立ち込めていた。以前、南方で嗅いだヒノキの匂いに似ている。相変わらずテーブルには武具が散らばっていた。

 キラリとテーブルの上で何かが鋭く反射する。

 あれはレイピアか?

 明らかに他の剣とは出来が違う。

「おう! 丁度良いときに来たな! 魔術師先生の得物はバッチリ仕上がったぜ」

 もうもうと沸き出す煙の向こうから髭面が顔を出す。満面の笑みの下には半透明の球体の付いた小振りな杖があった。

「おお……! おお…………! なんとなんと!」

 初めて帝都のパレードを見た子供のように目を輝かせたアニモが恭しく杖を両手で受けとる。両手で杖を持ち、何かを呟くと紫色の火球が浮かび上がった。

「なかなか苦労したぜ。あの魔鉄は純度が大層悪くてな。ちょいと一手間必要だった。まずは鉄の部分だけをこいつで削ぎ落として魔素を集めたんだ」顎手にもった鎚を撫でながらガロクが自慢げに笑った。

 火球は小さい。

 しかし、ドキリと心臓が跳ねた。

 こいつは、今までのアニモの魔法よりも強烈なもんだ。

 魔法が全然使えない俺にでも分かる。ずいぶん離れてるのに仄かな熱を嫌がおうにも感じられた。

「魔素を丹念に集めて結晶化させたのがその半透明の球っころさ。贅沢なもんだ。あんたらが持ってきた鉱石全部使って出来たのが猫の頭くらいしかない魔導球なんだからよ」

 紫の炎は尾を引きながらアニモの体をくるくる回り始めた。

 こんな曲芸みたいなことも出来るのか?

「だが、それだけあってモノが違うぜ。そいつを支えるためにユグドルの中でも特に上質な若木を使わなきゃならんかった……半端な木だとそこで煙を立ててる燃えカスみたいになっちまうからな」

 炉を覗いてみると真っ黒になった棒が幾重にも重なって煙をたてていた。匂いの正体はこいつか。

 アニモの回りを回っていた炎が突然、絨毯みたいに広がって魔術師を包みこむ。

「そいつなら魔法を手足みたいに使えるハズだ。とはいえ、範囲は広くない。その杖を目一杯伸ばした先くらいが限度だろう」

 紫の炎は再び小さな球体になると緑の手のひらへと戻っていった。喜びを表すように太い尻尾が三度床を打ち鳴らす。

「素晴らしい……実に卓越した技術だ。これほどの杖が手に入るとは思わなんだ。帝都の魔法商でも早々置いてないだろう」

 ガロクはボリボリと髭を掻くと隣のジョッキを一気に飲み干した。さっきより顔の締まりが無くなっている。まんざらでもないらしい。

「まあ、そんじょそこらでお目にかかれるもんじゃなかろうな……おや、もう居なくなっちまった。あんたら次の階からさっきの冒険者と組むんだろ?」

 後ろを振り返る。

 だが、人影は見当たらない。

 まて、"もう居なくなった"?

「ガロク、さっきまで誰かいたのか?」

「ああ、お前さんが杖を弄ってる間に得物、レイピアを持っていったぜ。例の生き残りさ」

 全く、分からなかった。

 俺も気を張っていた訳じゃない。

 それでも、だ。

 五歩の距離まで近づかれて全く気づかなかった。

 ぞくりと、蛇のように悪寒が背中を通り抜ける。

「……これから言うことはただの独り言だ」

 ガロクが天井から垂れ下がるロープを引っ張ると、カラカラと何かが動く音と共に高戸へ木の板が降ろされた。

「あの生き残り、ちょいと気を付けた方が良いかもしれん」

 雨音は遠ざかり、炉の明かりがぼうっと人魂のように浮かび上がった。パチパチと音を立てる残り火が暗い部屋に響く。

「奴の話がどうにも妙でよ。あいつは第二階層から戻ったとき、傷を負ってたらしいんだ。そりゃあ他の冒険者がくたばるような激戦だ。無理もねぇ。ただ、その傷ってのが」

 ガロクはこちらに顔を寄せると一層声を下げた。

「刀傷らしいんだよ」

 隙間から雷光が瞬いた。二呼吸ほど間を置いて、石臼を引いたような雷鳴が聞こえてくる。

「本人は黙して答えず。問いただそうにも相手は数少ない第二階層突破者サマだ。疑いを向けるわけにもいかず、うやむやに。だそうだ。噂だがな」

「つまり……貴殿は、あの冒険者が仲間殺」

「おっと、そこまで。話は終わりだ」

 太い腕が再びロープを引くと高戸が開いた。部屋は明るさを取り戻したが、下がった体温はそのままだった。

「おいおい、なんて面してやがる。今のはあくまで噂だ。刀傷ってのも今となっちゃ本当にあったかも分からん。仮にあったとしてもハーピーがいる場所はそこら中に武具が散乱してるんだろ?」

 ハーピーとの死闘が頭によぎった。確かにあの足場は大量の武具が散乱していて、俺もそのうちの一つが刺さったっけか。

「ありがとうよ。少なくとも奴に油断はしないでおく。寝首をかかれたらたまったもんじゃない……しっかし、あんたどうしてそんなことを俺達に?」

 もう酒樽の近くまで移動していたガロクは豪快にジョッキを飲み干すとニヤリと笑ってみせる。見事に磨きあげられた金歯が炉の光をキラキラと反射していた。

「決まってんだろ! お前さん方は太客になってくれそうなんだからな。え? これからたんまり金を生んでくれそうなお得意サマにゃあ死んで欲しくないのよ! ガッハッハッハッ!」

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