ガザニアを夕日に染めて(7)
「ヒカリちゃん洞窟で暮らしてたの!?」
生い立ちを聞いたのだろう、ミミは椅子を前にして呆然と立ち尽くしていた。対する相手の方は、さも当然とばかりに椅子へ体を預けている。
「そう、私は……あ、座っていいよ」
「お前が言うことじゃないだろ」
ヒカリが洞窟での記憶を話し始める。死霊術のところに差し掛かった時アニモに目線をやったが、死霊術に対してただならぬ忌避感を持つこの魔術師の表情は変わっていなかった。
「なんだ?」
「死霊術のとこで話を止めるかと思ったが、そうでもなかったんでな」
大きなため息。
凸凹のテーブルをじっと見つめる黄色い目が風に吹かれたランタンのように揺れる。
「死霊術に関する研究等は未だ明確に法で禁じられているわけではない。残念ながらな」
また、大きなため息。「まったく理解に苦しむ」と隙間風みたいな声が残された。
魔術師の重い音に続いて、なんとも可愛らしい悲鳴が響いてきた。女の子が大げさに驚いて見せる時に使うような声色。出所はミミのようだ。
「もーヒカリちゃんたら! ネズミなんて食べられるわけないじゃない! ふふっ真面目な顔して冗談言うもんだからおかしくって」
最近帝都に出てようやく知ったのだが、どうもこの辺りでは四本足のご馳走は食卓に並ぶべきではない存在のようだ。ミミはヒカリの『冗談』が気に入ったらしくカラカラと笑っている。
椅子の下から床を叩く小さな音が聞こえる。俺と同じく居心地の悪くなったアニモが尻尾を揺らしているようだった。
話は洞窟での日常へと移っていく。あいつが生まれた場所。これは俺もあまり聞いたことがない。どんなだか興味あるな。
「ほとんどの時間を一人で過ごしていた。たまに、あの人が来て魔法や言葉を教えてくれたけど」
「あの人って?」
ちらとヒカリがこちらを一瞥した。
一瞬の間をおいて薄い唇が開かれる。
「私を呼び出した人、召喚主」
「ヒカリちゃん、何言って……」
「私は、元々死体だった」
ミミは困ったように俺とアニモへ交互に視線を送る。冗談か何かだと思ったのだろう。しかし、俺たちの様子に表情がこわばっていく。
「も、もしかして、ヒカリちゃんて、おばけ?」
「ヒカリは霊魂や幽霊の類ではない。それは吾輩が保証しよう」
「そうだよね……あんなにおいしそうにご飯も食べてたし」
「これについちゃ俺たちも良く分かってないんだ」
肩をすくめてみせる。本人だってちゃんと覚えてるわけじゃないだろう。しばらく固まっていたミミだったが、鳥の雛みたいに何度も小さく頷きつつヒカリの言葉を飲み込んでいるようだった。
「私は、一人でいる時に良く洞窟の死体を操っていた。この力……魔法の練習でもあったし、何より寂しさが誤魔化せたから」
「ヒカリちゃん……」
この話は、初めて聞く。
とつとつと言葉を紡ぐヒカリから感情は読み取れない。工房で量産されたお面みたいに味気のない表情だった。
こいつは実際どのくらいの期間を一人で過ごしていたんだろう。
そして、何を考えたんだろう。ふと、そんな疑問が泡のように浮かんで消えた。
「死は終わりじゃない。また、そこから始めることもできる」
「どんな感じなの? その、死んだ、何か、操るって」
頭巾の下で悲しみと驚きが入り混じった表情を浮かぶ。
ヒカリは小さく首を振った。だが、その灼眼は真っ直ぐにパン屋の娘へ向けられている。
「いい気分じゃない。結局は、入れ物だけが残るの。何も語らない偽物の置物が。でも、形だけでも残せたら、違うから」
巻き起こった風が窓を揺らした。竜の月に吹く特有の春風も何故だかいまは空寒く感じられた。
「ミミ、あなたは?」
「え?」
「子供の頃、聞いてみたい」
ヒカリの問いにミミは顔を歪めた。無理やり引きはがされそうになったカサブタを守るように右腕を抱いている。
思い出されるのはダリアの話。
大好きな『おばあちゃん』と出会う前のミミの生活が愉快だったとはとても思えない。
「ダリアとは普段何してるんだ? あの婆さんなら暇さえあれば花嫁修業でもさせられそうだが」
俺の声を聞いたミミは一瞬の間をおいて、いつもより大きめな声で笑った。冗談っぽく俺を咎めるように腰に手を当てる。
「もー! そんなことないです! ああ見えて……あっ、でも、最近。あの、変なこと聞いてもいいですか?」
「え?」
「おばあちゃん、体のことで何か言ってませんでした?」
ピンと糸が張ったように空気が張り詰めた。
妙に息苦しい。
動揺を悟られないよう努めていつも通りの声色を絞り出す。
「なんで、そんなことを?」
「おばあちゃん、このごろ、なんだか気にかかること言ってきて。『幸せになってくれ』だとか『これなら一人でも大丈夫だ』とか、それで、私、少し不安に」
しばし考え込んでいたミミだったが俺達の顔を見て作り笑いを浮かべた。
「ごめんなさい、そんな怖い顔させちゃって。でも、大丈夫ですよね。だって、あんなに元気に!」
「……遅い」
一段と低い、唸るようなアニモの声がミミの言葉を遮った。
黄色い目は奥の扉をにらんでいる。
残った三人で顔を見合わせた。
ダリアがまだ戻っていない。
「きっと火の具合が気にくわないから粘ってるのさ」
気休めにもならない俺の言葉が乾いた空気の中で響く。答えるやつは居なかった。
早足で厨房へと向かう。淀んだ水滴のように滴り落ちる嫌な予感。
ドアを開け、短い廊下を右へ。そのまま竈のある厨房へと駆け込む。
ダリアの姿が、ない。
どこだ? どこに……。
「おばあちゃん‼」
悲鳴にも似たミミの絶叫。
彼女が掛けていく先に、床へうつぶせに倒れたダリアの姿があった。真っ白な髪が打ち捨てられたように床へ広がっている。
「ケイタ! ベッドまで運ぶぞ!」
アニモと二人で体を持ちベッドまで運ぶ。
足首を掴むと肉なんてほとんど残っていない皮と骨の感触が手に広がる。
恐ろしく軽い。
ミミとヒカリが広げていたベッドにダリアを横たえる。
呼吸が弱弱しい。何とか息をしているのが分かるくらいだ。
「……これは」
手に魔方陣を浮かべたアニモが悲しそうな顔で首を横に振る。
その様を見ていたミミに絶望の色が浮かんだ。
「うそ……うそだよね?」
「生命の輝きが弱っている。色も殆ど白に近い」
アニモの手から出ているのは迷宮で見たあの光だ。
俺に当てた時と違ってその色は殆ど白に近いピンクになっていた。
「やだ、やだやだ! どうして⁉そんな……」
「ミミ……いるのかい?」
ダリアが目を開いた。ブラウンの瞳が宙をさまよう。
「ここ! ここにいるよ! おばあちゃん!」
震える小さな手が皴だらけの手を掴む。
アニモが何かに気づき、ベッド脇へ向かう。手を伸ばした先には一通の手紙。
あれは、アラベルの。
「錬金術師の先生に礼を言っておくれ。その赤い薬のおかげでベッドに寝たままボロ雑巾みたいに死なずにすんだよ。多少、寿命が縮んだってね」
しばし手紙を読んでいたアニモは小さなため息と共に手紙を折りたたみ、元の場所へともどす。
「おばあちゃん? 死なないよね? え、やだ。だって、わたし、おばあちゃんがいなくなったら……」
「ミミや、よく聞いておくれ」
首を動かすのも辛いのか、ダリアはゆっくりとミミ、そして俺達を見回していく。
最後の挨拶だとでも言わんばかりに。
「あたしは、どっちにしろもう助からなかった。分かってたんだ。でも、お前にそれを言う勇気が無くて……。この人たちは私にお前と過ごせる最後の時間をくれたんだ」
ミミの両眼から玉のような涙が零れ落ちる。
大粒の雫がダリアの手からベッドへと落ち、新たな模様を形作っていく。
「お前のこれからも、考えてあるんだよ。あたしが死んだらこの枕もとを……」
言いかけでダリアが急にむせこんだ。
咳と共に飛び出した鮮血が彼女の衣服にどす黒い染みを作る。
「おばあちゃん! ああ、かみさま……」
「ミミ、お前がどう思っていたかは分からない。でも、身寄りのいないかった私は、お前を本当の家族だと思っていた。お前こそが私の生きる道標だったんだ」
ダリアの呼吸がさらに弱くなっていった。
燃え尽きる直前の蝋燭の火を思わせる微かな揺らめき。
「あんた方も世話になった。特に、嬢ちゃん。どうか、この子のいい友達で居ておくれ」
「おばあちゃん……どうして? 寿命を縮める薬を飲んでまで伝えたいことがあったの? 教えて? わたし、なんだって!」
顔をくしゃくしゃに歪め震えるミミの頭をダリアの手がゆっくりと撫でた。
それまで苦しそうだったダリアがにっこりとほほ笑む。
それは、まるで。
「違うよミミ。そうじゃない。これはあたしの我儘だ」
全ての苦痛から解放されたような笑顔だった。
「お前と一緒に居たかったんだ。あたしはパンしか知らないから。娘であるおまえと、いっしょ――」
ミミの頭を撫でていた手がだらりと垂れ下がる。
安らかな顔。
ダリアはもう、動かなかった。
声にならない嗚咽。
ミミはダリアの遺体に顔を埋めたまま小刻みに震えている。
俺自身、状況が飲み込めない。さっきまで、あんなに元気だったダリアがどうして。この老婆が何かしたとでもいうのか?
俺が唇を強く噛みしめようとして。
その時だった。
眼の端で銀髪が揺れる。
ダリアのそばまで来たヒカリが彼女に両手をかざした。
何をする気だ?
「死は終わりじゃない」
黒い靄が両手から湧き出してくる。
これは、ダンジョンでワーウルフを操ったときと同じ。
「まて! ヒカリ! ダメだ!」アニモが叫ぶ。
「このままじゃ、ミミは一人になってしまう。だから……」
黒い靄がその濃さを増した。ダリアの体を滑るように包んでいく。
顔から首、そして腰のあたりまで来た時。
「やめて」
聞いたことが無いような低い、ミミの声。
顔を伏せた彼女が幽鬼のような雰囲気を纏いゆらりと立ち上がる。
黒い靄の浸食が一時、止んだ。
「どうして! 今なら、まだ」
「やめて」
明確な、拒絶。ヒカリの顔が苦悶に歪んだ。
「ヒカリ、やめろ。ミミだって言ってるだろ、さあ……」
「だって! 私は! ミミの――」
ミミが顔を上げた。
既に涙は止まっている。
瞳が。
決意と怒りと悲しみが望まぬ融合を果たして同居したような瞳がヒカリを射抜いていた。
「やめて。おばあちゃんは、あなたの人形じゃない」
ピタリと、靄が止まる。
腰から首、顔。ヒカリの手の中へ魔法の霧は戻っていった。
「ごめん」
俯いたまま、ヒカリはとぼとぼと歩き出した。おぼつかない足取りで寝室を出ていく。
「おい! まて! どこに……」
言葉の途中で、右肩に緑の手が乗せられた。魔術師は黙って首を横に振る。
「今は……」
俺が再び視線を戻したときには、あいつの姿は部屋から無くなっていた。
見えなくなったヒカリの後姿から意識を引きはがし、ダリアへと目を移す。
死した彼女の皮膚は既に灰色へと変わっていた。
「灰死病……」
そんな時、ベッドから垂れさがった腕が目に入った。
せめて、これくらいは。
そいつを元に戻そうと掴んだ瞬間。
崩れ落ちる砂のようにダリアの手が消えていった。
「なっ! これは!」
俺もミミも徐々に崩れて消えていくダリアの姿を見ているしかできなかった。
砂で作られた城が波に削られていくように彼女の姿はベッドから完全に消える。
「これが、灰死病だ。何も残さぬ悪魔の病」
そこには飾らないボロ着と血の付いたシーツだけが残されていた。
「ミミ……」
「大丈夫、だいじょうぶ。すこし、落ち着きました」
弔われる者の消えた葬儀を終えると、日は没しようとしていた。ミミの焦燥ぶりは見ていられないほどだった。
「本当にいいのか? もし遠慮してるなら……」
「ありがとう。本当に。でも、大丈夫です」
寝床の余ってる本部に誘ったが、それは固辞された。暇さえあれば丸みを帯びた目は主のいないベッドを追っている。
……すぐに、割り切れるものでもないだろう。
ミミが右腕をまくる。
そこには見るに堪えないような火傷の跡があった。一つや二つじゃない。
何かに耐えるように彼女は左手でそれをなぞる。
「そいつは」
「……多分もう知ってますよね? 私達は血の繋がった家族じゃないんです」
もう一度細指が火傷後をなぞる。
それは何かに蓋をするようにも、思い出すようにも見えた。
「本当の両親、生きてるんです。でも、酷い人たちで。私は子供の頃からあの人達に……もう殺されるって思って命からがら飛び出した先で、おばあちゃんに拾われたんです。あれは、雪の降る寒い夜だったな」
右手が震え始めた。左手はそれを抑えるように袖を元に戻す。
だが、凍えたように震えが止まることはない。
「今でも、火を見るとあの時のことを思い出しちゃって……だから、火を使えなかったんです。あ、はは…………失格ですよね、こんなパン屋」
真っ赤な光に導かれるように彼女は窓際へ。
その傍らには花弁を赤く染めたガザニアの花。
「無くなっちゃった。私の生きる道標、友達まで……おばあちゃん」
湿りを帯びた声。愛する者のいなくなった花弁に哀しみの雨が降り注ぐ。
夕日に染まったガザニアは何も語らず、ただ時間だけが過ぎ去っていった。




