ガザニアを夕日に染めて(6)
この卒業を持って諸君らは栄えある我らの同胞、錬金術会の一員となる。まずはこのめでたき日に乾杯しようではないか。
……結構、結構。
毎年この時期になると楽しみで仕方がない。今年もまた実に優秀な生徒たちが会員となってくれた。ワインもすすむというものだ。
我らこそが帝国において最も古い会であり知性を導く唯一無二の存在だ。魔術協会などという思い上がりどもではなくな。
ヒュパティア君が魔術協会入りを希望しているなどとデマを流すものもいるが全く違う。彼女はどちらにも属さず貴族院所属となった。本音では錬金術会に属したいと考えていたのだろうが、魔術協会に『配慮』したのだろう。まったく忌々しい。
さて、錬金術会で開発された様々な薬品・素材は今や帝国を支えているといっても過言ではない。
体の傷を癒すポーション、一時的な能力の向上薬、有害・有益な植物をまとめた図鑑、さらには新たな素材。特にコンクリートの発明は実に素晴らしいものだった。外枠を作り中に流し込むだけで極めて強固な防壁となるし成型も容易。消石灰・水・砂・割石、これだけの材料で作ることが出来るのも素晴らしい。
……帝都迷宮本部には例外的に外枠に防護用の魔方陣も組み合わされているが、まあ主役は我らであり魔方陣などというのふざけたラクガキは保険にすぎん。
諸君らも重々承知とは思うが我らの崇高なる目的は『真理の探究』だ。常日頃から研究に励むようにな。
まだ若い諸君らでは難しいかもしれないが、『例の物質』について僅かでも進展があればすぐ割り当てられた地区の上級会員に報告するように。物事を知らん馬鹿どもは荒唐無稽と笑うが、我々の能力を結集させれば十分可能だと私は信じている。
まかり間違っても魔術協会に先を越されてはならんぞ。
諸君らに知識の神、メティスの加護があらんことを。
錬金術会の会合スピーチより抜粋
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ドアを破るようにして開けた。
視界が揺れる。
「おばあちゃん!」
金切り声をあげたミミが駆け込んだ先、ダリアがいた。
椅子に腰かけ、薬瓶を片手にむせ返っている。
「こ……」
息も絶え絶え。頭巾頭が縋りつくようにダリアに抱き着いた。
「どうしたの? おばあちゃん? 大丈夫? どこか痛いの? ねえ……」
「な……に…………」
皺の刻まれた指が自身の胸を強く握る。少しの間固まったのち、ダリアはようやく顔を上げ、血走った目で叫んだ。
「なんって苦いんだこいつは‼」
「え?」
口を半開きにしたミミが呆けている。口の端から魂が流れてきそうな表情だ。
「生まれてこの方ここまで不味いもんは初めてだよ‼馬の肝だってここまでじゃないさ!」
「ダリア殿、薬とは得てしてそんなものだ」
まくしたてる老婆にアニモが呆れたような表情を浮かべた。恐らくだが今まで薬なんて見たこともなかったんだろう。
俺の方も肩から力が抜けたみたいだ。
しっかし人騒がせな。
そんな時、隣にいたヒカリが無言のまま後ずさった。
なんだ?
すり足で前から距離を取っている。
妙に思ってヒカリの視線を追うと理由が分かった。俺もゆっくり後ろへ下がる。
ダリアの横で呆けていたはずのミミが尋常ではない雰囲気をまとっていた。
ゴロゴロと轟音を鳴らす黒雲のような黒いオーラが目に見えそうだ。
「あれ? どうしたんだいミミ? あ! あれだろ! どっかで良い男でもひっかけ……」
ダリアがウイットに富みすぎた冗談を口走ろうとした矢先、ミミの雷が落ちた。
「もー! もー! 私本当に心配したんだからね‼それをあんなにふざけて――」
「わかった。分かったよもう」
「ま、まあその辺で……」
いまだプリプリ怒っていたミミだが、アニモの取りなしもあってようやく矛を収めたようだ。
まあ、彼女が怒りを沈めるまでに蝋燭が二本は燃えそうなくらい時間はたっているが。
解放されたダリアがよたよたとこちらのテーブルに戻ってきた。
「酷い目にあった」
「半分は自業自得じゃないか?」
向こうのテーブルではヒカリとアニモがミミの話に耳を傾けている。パンつくりの詳しい講習でもしてるんだろうか。
「確かミミはもう店の仕事を任せられるんだろ? あの歳で大したもんだよ」
談笑中の三人を見つめるダリアの目が一際柔らかくなった。楽しくて仕方がないといった様子で小さく笑う。
「大したもん? それどころじゃないさ。あの子は天才だよ。ずっとパンを作ってきたあたしが言うんだ、間違いない」
「ふっふふ。そうかいそうかい」
俺が小さく笑うとむっとした表情が追いかけてきた。急いで片手をひらひらと横に振る。
「ああ、違う違う。あの子の器量を疑うわけじゃない。ただ、親ってのは自分の子や孫が可愛くてしょうがないんだと思ってな」
ダリアはミミたちとは反対側、窓辺に体を向けた。ガラスが作る光の枠の中でガザニアの花が一枚、ひらりと舞い落ちる。
「あの子はね、私の本当の孫じゃないんだ」
何かを思い出すようにダリアは自身の爪をじっと見つめた。深く皺が刻まれた頬にガザニアの木漏れ日がまだら模様を作る。
「ちょっと昔ばなしでもしようか」
背もたれに深く身を預けた彼女は虚空を見つめていた。
小さなため息。
そして静かに瞼が閉じられる。
「あたしの出身は帝都さ。家は靴屋だった。こんなこと言いたかないが、ろくでもないところでね。父親は年中酔っぱらって手を挙げてくるわ母親はカルトに夢中で実の娘に天罰が下るだのなんだのとほざいてくるわで酷いもんだった。こういうとこの子供は雷から逃れるように家を飛び出すもんさ、あたしも例外なく同じでね。一人で暮らし始めたのは、まだ十六、七の頃だった」
深い悲しみを帯びたブラウンの瞳がミミに注がれる。あの頭巾の子もそのくらいの年だろう。家を出た頃の自身と重ねているのだろうか。
「生きていくためにどんな仕事でもやった。昼の大通りじゃ言えないようなこともね。下らない小悪党の出来上がりさ。当然、衛兵の世話になったのも一度や二度じゃない。何度も捕まって娑婆に出てはつまらないことで牢に戻されての日々。あたしはそのうち生きるのが心底嫌になってね。気が付いたら南にある大橋の上にいた。そこから飛び降りて、全部ケジメをつけようとしたのさ」
静かな声だった。このテーブルだけ過去という湖の底に沈んだみたいに周囲の雑音が泡となって消えていく。
「そん時、後ろからレンガみたいな手に肩を掴まれてね。振り返ったら仏頂面の爺さんがいた。そいつは何も言わず私を家まで連れて帰ってね。焼きたてのパンを食わせてくれた。あの爺さんによく似た、何にも混ぜてない、何の面白みもないパンさ……こいつがね、まあ旨かった。あの岩みたいな男からどうやったらこんなものが生まれるんだって不思議だったよ。まるで口の中で天使が踊っているようだった。そいつを食べていると、なぜだか、涙があふれてきてね。胸にたまってた汚いもんが全部流れ落ちていくようだった。それからすぐ、爺さんに頼み込んだんだ。パンのつくり方を教えてくれってね。
それから毎日、工房に立ち続けたよ。そうしている間は自分が生きているってことが実感できたんだ。毎日毎日、ずっと小麦粉をこね続けた。それが毎週、月、年と続いてようやく私は人並みに生活できていることに気づいたんだ。浮いた話もあった。こう見えても若いころは看板娘だなんて言われて結構声もかかってたんだよ? でもさ、なぜだかそんな気分にはなれなかった。今のままで十分だって、そう、思えたんだ。私が四十を過ぎたころあの頑固な爺が倒れた。ほうぼう駆け回って医者に薬師にと診てもらったが、みんな口をそろえて『寿命だ』って。今際の際、私は礼を言うべきだったんだろう。でもね、気が動転して何を言ったらいいか分かんなくてね。『どうして私を拾ったんだ』なんて可愛げのないことを聞いたんだ。おかしいだろう? そしたらあの男は普段そんな顔しないくせに不器用に笑ってさ。
『お前が娘に見えた』ってそう言ったきり目を覚まさなかった。これが私の大事な大事なお師匠様との最期の会話だ。
それから、私は店を継いだ。あんた方が可愛い孫を送ってくれたこの店を。このまま、この場所で死んでいくのも悪くない。私には過ぎた待遇だって思ってた。
……今から十年前になるかね。雪の積もる寒い夜だった。パンを配達していたら遅くなってね。南にある大橋、魔輝石のすぐ下でうずくまってるミミを見つけたんだ。まだ子供さ、五歳か六歳くらい。着の身着のまま飛び出したんだろう、冬とは思えない薄着でね。あの子の腕には…………」
ダリアはハッとしたように口をつぐんだ。目を開き背もたれから体を起こすと肩をすくめる。
「いや、忘れとくれ。どうしてもあの子が私の若いころに重なってね。身寄りも……ないようなんでこっちで引き取ったのさ。忌々しいダノンの糞共がいなきゃあの子にもっと色々残してやれるんだが――」
「おばちゃーん! そろそろ良さそう! ちょっと来てー!」
遠くからミミの声。隣のテーブルに目をやるが三人とも居なくなっていた。どこいったんだ?
「竈だろう。そろそろ昼だ。恩人方にとびっきりのパンを食わせてやるよ」
くつくつと笑ってダリアが立ち上がる。倒れないよう背中を支えた。
「なあ、確かミミに店を任せてるんだよな? 竈からパンを出すくらい一人でできるんじゃないか?」
「体がなまっちまうからね。少しだけでも動いておきたいのさ」
それから、昼をごちそうになり夕方になると俺たちは二人の元を後にした。心なしか朝よりも顔色の良くなっているダリアを見て昨日よりも軽い足取りで帰路へと着いた。
あれから数日後。
懸念だったダリアの容態だったが、信じられないことに日毎に良くなっていた。
はじめは立つとふらついていたが、次の日にははっきりとした足取りで歩けるようになり。
その翌日には何かを引っ掻くような音もしなくなった。咳き込む姿も見ていない。
この前なんてドデカい鉄鍋を振り回してネズミを追いかけていたとミミが嬉しそうに話していた。そのことを治癒師おっさん――フリオに話したら椅子から転げ落ちるほど驚いていたっけ。
体が動くようになってから、ダリアは殆どの時間をミミと厨房で過ごしているようだった。
「よっ、と」ミミが豪快にパン生地を広げる……ああ見えてえらく力が強いな。
「そうだ。生地が傷まないように。それからパン種は……うんうん。もう少し少なくてもいいかね」
ダリアが元気にミミへ指示を飛ばしているのを見て隣の魔術師は幽霊にでも会ったかのように固まっていた。
「信じられん。ここまでの回復、通常では……」
「ん? ヒカリその手はどうしたんだ?」
俺が声をかけると、ヒカリは指先に布がぐるぐる巻かれた手を後ろに回した。顔は真っすぐ。パンをこねる二人を穴が開くほど見つめている。
「……これは、なんでもない」
このところ、ちょくちょくダリアとヒカリが二人で奥へ行くのを見かける。ダリアがやけに嬉しそうだったがあれは――
「さあさあ、これでよしだ後は私が焼いておくから大丈夫だよ」
ダリアはカラカラと笑い、竈にパンをくべていった。それに呼応するかのように中の火が音を立てて燃え盛る。
俺は、心のどこかで信じ始めていた。
「ヒカリちゃん! 行こ行こ! 今日はヒカリちゃんの家の話聞かせてよ」
もしかしたら、何か、奇跡が起こったんじゃないかって。
「我らもいったん戻るとしようか」
もしかしたら、逆境の中生きる老人を哀れんだ神々が慈悲を与えたんじゃないかって。
「ああ」
そう、思いたかったんだ。




