ガザニアを夕日に染めて(5)
翌日、俺たちが朝食を終えたころアラベルが小走りで駆けつけてきた。
「ま、間に合った……こ、こちら…………を」
細長いガラス瓶に入れられた赤い液体を渡された。黒いコルクで蓋をされている。
「だ、大丈夫かい? ……まさか寝てないのか?」
よくよく見ると大きな目の下に深い隈が出来ていた。足取りもかなり怪しい。
「あと、この……手紙、だり、あ」
俺に手紙を押し付けると、いよいよ瞼が閉じ始めた。アラベルの様子を見ていたコウが立ち上がると慣れた様子で彼女の手を引いていった。寝室まで連れて行くのだろう。
「ケイタ、それは……」
「薬だよ。昨日アラベルに作ってもらったんだ」
アニモは小さく頷くと袋から小瓶を取り出した。魔法薬が入っていたのと同じもの。こちらは緑色だ。
「吾輩も作ってもらっていたのだよ。フリオ殿にな」
「フリオ?」聞いたことのない名だ。
「ダンジョンから戻ったおり、傷を癒してくれた治癒師がいただろう」
あの腕のいいおっさんか。こいつはよく効きそうだ。アニモは手の中にある小瓶をしばし見つめた後、真剣な目でこちらに視線をよこした。
「さて、行くとしよう」
裏通りに佇むあばら家は相変わらず静かだった。にぎやかな表通りとはまるで別世界だ。
呼び鈴もついていないドアを叩くと小さな足音に続いて勢いよくドアが開けられる。
「待ってましたよ! さあさあ入って!」
飛び出してきたミミは俺たちの姿を見るなり満面の笑みを浮かべた。ヒカリの手を取って中へと戻っていく。俺とアニモもそのあとに続いた。
ダリアは窓辺にいた。
ガザニアのそばでミミとヒカリの様子に目を細めている。俺とアニモも彼女と同じテーブルに着くことにした。
「ダリア殿、薬だ」
アニモが小瓶を、俺が細長いガラス瓶を、彼女に渡す。ダリアは皺くちゃの両手を合わせると深く頭を下げた。
「ありがたやありがたや。しかし、あんたまで持ってきてくれるとはね」
とんだお人よしだ、と呟いて小さく笑う。近くで聞くとその息遣いの最中にも嫌な音が混じっているのが分かった。
「それから、こいつもだ。これを作ってくれた錬金術師があんた宛に」
アラベルの手紙も渡す。ちらりと文へ向いたその目が大きく見開かれた。
「……驚いたねぇ、まったく。何か礼をしてやりたいけど渡せるものが無くてね」
「気になさんな。このあばら家から何かを取ろうなんて盗賊だって考えやしないさ」
近くのテーブルからヒカリとミミの楽しそうな声が聞こえてくる。ヒカリの方の表情はあまり動いていないが喜んでいそうなのは伝わってきた。
――ヒカリちゃんて肌綺麗でいいな~お人形さんみたい
――それは……
俺は小さく咳払いするとダリアへ目を向けた。
「なあ、話してるのか? 体のこと。あの子にさ」
――あれ? ヒカリちゃんどうしたの?
――人形と呼ばれるのは、嫌い
ダリアは二人の子供に目を向けたままテーブルに肘を乗せ両手を組むと、その上に顎を乗せた。
「いんや、話していない。というより、話せなくてね」
――どうして? 言われてみたいのに~
――人形も、苦手だし。何も話さないところとか
――え⁉人形はそういうものだよ! ヒカリちゃんたらもう、ふふっ
無邪気に笑うミミの姿。心の隅にあった「話した方がいい」なんて言葉は口を伝う前に霧散していった。
その直後、アニモとダリアが立ち上がった。聞いてみると薬の用法を伝えるらしい。後を追おうとしたミミをダリアが制した。
「今日はあたしの方で仕込みもやっておくよ。お前はここにいなさい」
二人が奥へ消えるとミミが俺に手招きしてくる。ダリアのことが気になるのか何度か奥へと視線を向けていたが、俺が目の前に来ると深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。おばあちゃんのために、私……」
「まてまて! やめてくれ! 俺は何もしちゃいない。まずあの薬は知り合いの錬金術師が作ったもんだしな」
悪さをしてるわけじゃないがどうにも後ろめたい。言葉には表せないわだかまりが胸の内にたまっているようだった。
「このことについてはヒカリも相当心配してたんだ。昨日なんかも二人で錬金術師のとこに行ったんだよ」
「ヒカリちゃん……」
ミミの声が潤みを帯びる。ヒカリもまた俺と同じように彼女の視線から目を逸らした。パン屋の娘はそれを照れ隠しと取ったのかヒカリに抱き着いている。
「そういえば、おばあさんが仕込みって言ってたけどあれは何?」幾分か窮屈そうにヒカリが口を開いた。
「ああ、パンの仕込みだよ。いつもは私がやってるんだ、と言っても殆ど売れないからあんまり作らなくてもいいんだけれど」ミミが寂し気に応じる。
パンか。作り物を食べたことしかないな。以前小麦から作ろうとしたら、奇怪な物質を食うハメになったな。
「へー凄いじゃないか。俺が以前作ろうとしたら全くできなかったぞ」
ミミは顔を弛緩させるとくすぐったそうに体をもぞもぞ動かし始めた。
「え、へへ。結構体力も使うんです。ふるい分けも難しいけれどこねる時が大変で――」
こうして誰かに仕事の大変さを話す機会も無かったのだろう。何時もより早口で話すミミはとても楽しそうだった。
蝋燭が半分になるくらいの時間がたった後、ミミは恥ずかしそうに口ごもった。
「あっ! わ、私ばっかりごめんなさい」
「いやいや、職人から作り方を教えてもらってよかったよ」
「うん、面白かった」
ヒカリは実に心地よさそうに話を聞いていた。恐らく頭の中ではこんがり焼きあがったパンが山のように出来上がっているんだろう。
「そういえば、ヒカリちゃんって冒険者なんだよね? 一体どうやって戦うの? 何も持ってないみたいだし」
ミミはちらと俺の刀に目を移して首を傾げた。ダンジョンに潜る前を思い出す。俺も初めはそれが疑問だったな。
第一階層で早々にその疑問は晴れたが。
「私の力は……」
ヒカリは両手を上に向けた。右手には黒い靄、左手には神々しい光。ミミは目を丸くしている。
そういえば、アニモのと違って魔法陣は現れてない。そういうもんなのか?
「え……まさか、ヒカリも魔術師さん? しかもこれって――」
その時だった。
何かに耐えるかのようなうめき声。随分と苦しそうな。
方向は店の奥。
ダリアがいる場所。
「おばあちゃん!」
血相を変え奥へ向かうミミと共に俺達は駆け出した。