ガザニアを夕日に染めて(4)
「……今日はダンジョンについての追加説明をしようとしていたのですが、また後日にしましょう」
コウの言葉を最後に俺たちはずぶ濡れの布切れみたいに立ち上がると、無言でその場を後にした。言いようのない息苦しさが蛇のように付きまとう。小さく音を鳴らす階段が昨日よりも長く感じられた。
「では、また明日だな。今日は――」
「なあ、アニモ。ダリアの病気ってのは一体何なんだ?」
ピタリ、と魔術師の動きが止まった。朧げな魔法の光が険しい横顔を冷たく照らし出す。
「吾輩も一度だけ南方でこの症例を見たことがあってな。あれは不治の病だ。原因も治療法も全ては闇の中にある」
重々しい声を聞くほどに体温が急激に下がっていく。指先は氷のように冷え切っていた。
「魔法も薬も受け付けんのだ。症状も幅広くて……唯一共通しているのは死後全身が灰色へと変色するということだけ」
アニモは表情を歪めるとかぶりを振った。
「ゆえにこの病は《灰死病》と呼ばれている」
そのまま、アニモは別れも告げずにくるりと背を向け自身の部屋へと戻っていった。力なく閉められたドアの向こうから尻尾を引きずる音が聞こえてくる
暗い気持ちのまま振り返るとだらりと首を下げるヒカリの姿があった。銀髪が滝みたいに広がっていて表情は伺えない。
「た……ん…………ても…………れ……いい」
「ヒカリ?」
すきま風みたいな囁き声が俺の耳に入り込んだ。だが、内容までは定かではない。
俺の声を聞いて細い肩がビクりと脈をうった。
「どうしたんだ?」
「……なんでもない」
歯切れの悪い答え。あの話を聞かされた後じゃ無理もないか?
やり切れない気分なのは俺も同じだ。だが、なんの知識もない俺たちじゃ……。
いや、知識があれば問題ないのか。
「ヒカリ」
短く声を出す。零れそうなほど赤い瞳がこっちに向けられた。
「ちょっとばかしアテがある。行ってみないか?」
ドアを開けると中はやけに暗かった。濃い薬品の匂いが鼻をつく。奥の方からは何かを擂り潰すような音。棚から顔を出すと、とんがり帽子が机の上に置かれた魔輝石に照らされていた。
「アラベル、ちょっといいか」
出来るだけ刺激しないように話しかけたつもりだったのだが、錬金術師は尾を踏まれた猫みたいに飛びあがった。
「ヒッ‼」
恐怖に染まった瞳が暗い室内に浮かぶ。
……理不尽じゃないか? どう見たってこんな暗い部屋で錬金術をしている女の方が恐ろしいだろう。
「あー、その、だな。ちょっと今日は助けてほしいことがあってきたんだ」
棚の影に隠れてしまった彼女が顔だけをのぞかせる。そこらの野生動物より警戒心が強いのにこいつはよく生活できてるな。
「実は……」
俺が今日あった事のあらましを語り始めると彼女は少しずつ棚の影から出てきてくれた。ミミやダリアとの出会いについて話す場面では、心なしか顔も柔らかくなったように感じた。
だが、ダリアの抱えた病名を告げると表情が一変する。
「《灰死病》……また出るなんて」
「この病気はあんた方、魔術師の間では有名なのか?」
アラベルはゆっくりと首を横に振った。
「私たちのように、国家に所属する一部の魔術師・錬金術師には知らされているんです。数は少ないけれど、原因不明の奇病があると」
「……治らないの?」
呟くようなヒカリの声。薄明りの中でもその唇がきつく結ばれているのが分かる。
しかし、どうしてアニモはこの病気を知ってたんだ? 元国家魔術師……なわけないよな。
「そう、聞いています。不治の病だと。初めてこの病の記録が出たのはおおよそ十年以上前だそうですが、治療に成功した例は……」
蝋燭が燃え尽きるようにアラベルの声が消えていく。俺の心のどこかにあった『もしかしたら』という淡い期待と共に。
一時の沈黙が場に残された。
「なあ――」
俺が声をかけようとしたとき、小さなうめき声が耳をかすめる。
グラリとアラベルの体が傾いていた。
急ぎ、肩を掴む。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、ぼーっとしてて」
それからも彼女はフラフラと振り子のように体を揺らしている。
「ごはん食べた?」
ヒカリが机から体を乗り出してアラベルを覗き込んだ。机の上にある不可思議な形をしたガラス瓶がガチャガチャ音を立てる。
「食べましたよ。たしか、昨日……一昨日だったかな?」
耄碌した老人みたいなことを言い始めた。
フラフラになっても実験用のガラスが床に落ちないよう整えているあたり筋金入りだ。
しかし、このまま放っておいて餓死させるわけにもいかん。
……確かコウから食堂があるって聞いたな。
ヒカリと二人でアラベルを引っ張るようにして部屋から引きずり出す。腕を引っ張ったが折れそうなくらいに細い、まともに飯もとってないのか?
本部の中央まで来ると食堂の場所はすぐ分かった。扉の近くから旨そうな匂いが漏れ出ている。
肘で扉を開くとカウンターの奥に恰幅の良い女性が見えた。年は四十くらいだろうか。大人一人入りそうなくらいデカい大釜をかき回している。
女性はこちらに気づくと空いている手で手招きしてきた。
「おやまあこんな時間に! さあさあ! お入んなさい」
彼女は俺たちが席に着く前に(正確に言うとアラベルは俺たちが座らせた)皿を用意しだした。
「あら、アラベル! あんたまたご飯すっぽかしたでしょ! こんなに痩せちゃって……」
「あ、あれ? シエナさん? 私いつの間に」
しかし声がデカいな……。話も好きみたいだが手の方も止まらない。
燃え盛るかまどに鉄鍋を置き手際よく切り分けた食材を放り込んでいくと、質のいい油とニンニクの焼ける香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった
「しっかし……ん? そうだ、あんた方は」
「私はヒカリ。こっちはケイタ」
普段ではありえないような反応の良さでヒカリがシエナに答えた。身を乗り出してカウンター向こうの鍋の中身を見つめている。
「ああ! 噂の新顔かい! どんなイカツイ野郎かと思ったらずいぶんと可愛いらしい子が出てきたじゃないか!」
ひとしきり大声で笑った後、小さなツボからとろみのある琥珀色の液体を鍋に入れ始めた。甘酸っぱい匂いが辺りに立ち込めこっちの腹まで減ってくる。
「今はあり合わせしかないけれど、とりあえずこいつを食べていきな」
そう言うと俺たち三人の前に先ほどの料理を取り分けてくれた。小魚が泳げそうなくらいデカい皿だ。特にアラベルの分はてんこ盛りになっている。
「あ、あのシエナさん? わ、わたしこんなに食べられ……」
「ああ! そうだったそうだった」
シエナは後ろの棚から分厚いパンを織り出すと俺たちに渡していった。これまたアラベルのパンは厚みが二倍はある。手で持つのも大変そうだ。
「パンを忘れてたよ。さあ、たんとおあがり! おかわりはいくらでも作ってあげるからね!」
もう夕食は食べてきたんだが……手を付けないのも悪い。俺はフォークで皿の中身を刺し、一つ頂く。
こいつはジャガイモだ。表面はカリカリに焼かれていて小気味いい歯ごたえがする。中身はホクホク。こいつが甘酸っぱいソースと実によく合っていた。
後を引くニンニクの香りも食欲を引き立てるのに一役買っている。
「う、うまい」
「あっはっは! そう言ってくれると嬉しいねえ。みんなこうやって食べてくれるとさ」
いつの間にか背後に回っていたシエナが豪快に笑った。ヒカリは黙々と皿の中身を口に詰め込んでいるし、アラベルの方も雛鳥みたいにちょこちょこと食べ進めているようだ。
「しっかしアラベルはもったいないよ! こんなに可愛く産んでもらったんだから、もう少し肉をつけなきゃ。あたしくらいが丁度いいってもんさ」
しかしここの女将は恵まれた体格をしている。満杯のビール樽に丸太を四本差したらちょうどシエナのような体躯になるだろう。
「が、がんばります……そうだ、ケイタさん。ダリアさんの件ですが」
アラベルはフォークを置くと真剣なまなざしをこちらに向けてきた。俺も背筋が伸びる。
「正直、出来ることは殆どありません。けど、私に一つお薬を作らせてください」
「それは、ありがたい……が、いいのか? 少なくともあの人は…………」
「お金はいりません。錬金術は元々実利を求めて始められた学問です。でも」
アラベルは言葉を切ると俺から目をそらし視線を下げた。膝の上に置かれた手が強く握られる。
「ううん、私がしたいんです。こんな私でも何か、出来ることを。そうしたら……」
そこまで言ってアラベルは口をつぐんだ。「何でもない」と小声でつぶやいてから慌てたようにパンを口に詰め込んでいく。
心なしか白い肌に赤みがさしたようだった。
「何か……あったのかい?」今までとは違い、声を潜めたシエナが俺に耳打ちしてきた。
「ああ、少しな」
事のあらましをシエナへ伝える。自然と、俺も小声になっていた。
「病気は治せんが、せめて……っておいおい」
シエナの頬に雫が跡を引いていた。まんまるの目から大粒の涙が流れ落ちてくる。
彼女は頭を下げると、自身の額から肩、胸まで六芒星を描くように右手でなぞった。
「泣かせてくれるじゃないか……! そのおばあちゃんも喜ぶと思うよ」
「シエナ、さっきの、そのまじないみたいなのは……」
シエナはハッとした様子で涙をぬぐった。
「あれは、まあ、神へのお祈りだよ。こう見えても信心深いのさ、あたしはね」
「こんな殺風景な場所に料理も上手い上に敬虔な女将がいるなんて驚きだよ」
「まあ!!」
シエナは嬉しそうに顔をほころばせるとその太い右腕を振り上げ。
俺の背中に振り下ろしてきた。
ずしりと内臓にまで振動が伝わる。
「う゛っ」
「もう! いやだよあんた! あたしを口説こうなんて十年早いさね!」
そんなつもりは……てか背中が痛てぇ。ゴブリンくらいなら素手で絞め殺せるんじゃないのか?
カラカラ笑うシエナと、心配そうに俺の方を覗き込んでくるアラベル。柔らかな光が照らす食堂の共に時間はゆっくりと過ぎていく。心に立ち込めていた霧が少し晴れたように思えた。少しだけ、明るくなったように。
ただ、一つだけ。
口数を減らしたヒカリの事だけは、心の隅に切れ味の悪いナイフのように残り続けていた。




