ガザニアを夕日に染めて(2)
「少し診せてもらえるかな?」
目の前に現れた大柄なリザードマンに老婆の肩がビクリと震える。ミミはその震えを静めるように背中をさすっていた。
「おばあちゃん、大丈夫だよ。この人たち私が広場で危なかった時も助けてくれたし」
「ミミ! まさか大神殿へ行ったのかい! ?」
脳裏にチンピラ共とのやり取りが浮かぶ。もしかして、この婆さんがそうか。
「あんたもしかしてダリアかい? ダノン商会ってチンピラ共が言ってた」
「ああ、クソ! あの玉無し共!」
炉に火炎石を放り込んだみたいに婆さんが激高した。「クソッカス」だの「ミミに触れたら殺す」だのと穏やかじゃない。早いとこなだめないとアニモの診療前に天へ召されそうだ。
「だ、大丈夫だよ! おばあちゃん! 危なかったけどこの人たちが助けてくれて……」
助けた、というと少々語弊がある。原因の半分以上はチンピラを煽ってたあの時の客にあるだろうしな。
……とはいえ本人にその自覚はないらしい。なんせ俺の隣で満足そうに胸を張っているんだから。
「おお、そうなのかい! あんたらが! ありがたや……」
今度は熱心に拝みだした。まだ神々の元へ行くつもりはないんだが。
「あーダリア殿、でいいのかな? ぶしつけでなければ少々体を診させてくれ。時間はかからない」
「その魔術師は医学の知識もあるんだ。診てもらった方がいいぜ」
俺たちの言葉にダリアは一層祈りを深くした。正直こんなに頭を下げられると居心地が悪くて仕方がない。俺は診察をアニモに任せヒカリとミミの元へ足を向けた。
「マイコニド!? ヒカリちゃんそんなに危険な魔物と戦ってたの!?」
「え? ただのキノコだったけど」
「へー、そうだったんだ? おばあちゃんからは絶対に近づくなって言われてたんだけど」
ダンジョンでの話をしているようだ。しっかしヒカリを基準にすると色々と危険な知識を植え付けられかねん。
「あー、ミミ。マイコニドには絶対近づいちゃだめだぞ。ヒカリは、その、少々特殊でな」
「へ? ああ、やっぱり危険ですよね」
それから少しの時間ダンジョン内での話をしていたが、やがて内容はヒカリの服装や髪へと移っていった。ミミは戦いや探索より銀髪の少女への興味が強いようだ。
「ヒカリちゃんの髪いいな~キラキラしてて髪飾りも似合いそう」
「伸ばさないの?」
ミミは頭巾の上からその赤い髪をゆっくりと撫で、小さく息をつく。
「パンをこねる時に邪魔になるからね、あんまり伸ばさないようにしてるの」
「パン! !うん! それならそのままがいい。似合ってる」
「もー、ヒカリちゃんったら」
何度も強く頷くヒカリの姿に頭巾頭がクスクスと揺れた。パッチリとした瞼の上で赤髪が踊っている。
アニモの方へ首を向けるとダリアと話し込む姿が見えた。こちらに背を向けていて表情は分からない。
少し間をおいてアニモがこちらを振り返り、手招きしてきた。黄色い目は少し険しくなっているようだった。
「終わったのか?」
「まあな。とにかく今は安静にすることだ」
それを聞いたダリアは憤慨したように鼻を鳴らした。
「ちょいと先生! 私が寝てちゃ明日のおまんまは食いっぱぐれだよ!」
なんとなくアニモが眉間にしわを寄せていた理由が分かった。理由であるダリアは俺の体をマジマジと見つめ「ふーむ」だの「悪かない」だのと呟いている。
「あー、俺がどうかしたかい?」
「ふうむ、悪くないね。あんたは頑丈そうだし生地作りもすぐ覚えそうだ。ただ婿に来るならまず……」
「まてまてまて」
立ち眩みを起こしそうだ。まさかこの短時間でボケちまったわけじゃないよな? アニモの野郎はくつくつと喉で笑いをかみ殺している。
「俺は別に嫁探しをしてるわけじゃない。ただの冒険者だよ。しかもミミはまだ子供だろう」
「そうなのかい? 仲よさそうに話すもんだからてっきり……私があの子くらいの年には嫁に行く子も多かったんだけどねぇ」
話してたのはほとんどヒカリだが……。
ダリアは椅子に腰を下ろすと窓辺へと顔を向けた。皺が幾重にも重なった顔に浮かぶ瞳には深い寂しさが見て取れる。
「昔とは変わっちまったよ。色々とねぇ。街が石畳に覆われてから人の心も冷たくなっちまったみたいだ。変わらないのはあの窓辺に咲くガザニアくらいなもんさ」
しばし、沈黙。
煌びやかな帝都の中に取り残された暗い裏路地。欠けたレンガの中に咲くガザニアは真昼の陽光の中にあっても控えめだった。
「時に。おせっかいだろうけど」
ダリアは声を落としその眼を俺に向けてきた。
「帝都迷宮だけはやめときな。知ってるだろうがあそこに行くのは自分から棺桶に入るようなもんだ……先生の護衛だとか見回りだとか、真っ当な仕事で身を立てるのが一番さ。丁度今のあんたみたいにね」
どうも俺は彼女の中だとアニモに雇われた護衛になってたらしい。誤解を解くため竜人のセンセイからダリアに説明してもらった。
アニモが冒険者だと知った時は「魔術師が冒険者になるとは世も末」と嘆いていたが、俺たちが第二階層を抜けたことを知ると驚愕の表情を浮かべた。
棺桶の中身がいきなり起き上がったのを見つけたような驚きようだ。
「たまげたよ……あんたらが《迷宮帰り》とは。しかし三人組ってことは少し前の奴等とは別かねぇ」
"少し前の奴等"? アニモと目を見合わせる。
「我らの他にも最近第三階層に到達したパーティーがいるのかな?」
「ああ、先生方より少し前にいたんだよ。四人組。ただ、もう冒険者は廃業するって話をしてるらしいよ……まあ、噂だがね」
はじめて聞く話だ。丁度良い。今日の夜、内務卿殿に聞いてみるとしよう。
ダリアがまた俺の方に値踏みするような目を向けてきた。何かをぶつぶつと言った後、大きく頷く。
ああ、クソ。嫌な予感しかしない。
「なあアンタ! そこまで行ったならもう将来安泰だ! これから外っ面だけ着飾った棒切れみたいな女が言い寄ってくるだろうが、そんなの相手にしちゃいけないよ。そうだね、丁度ウチのミミみたいに器量がよくて出るとこもで……」
ふと、気温が下がったような気がして後ろを見ると器量良しの姿があった。赤髪に負けないくらい顔を染めて沸騰した鍋みたいにプルプル震えている。
「良くお聞き! 今ならあんな別嬪な嫁だけじゃなく腕利きの……」
「おばあちゃん! !」
ミミの大声が破裂する。ダリアは演説に夢中でミミに気づいてなかったのか飛び上がるほどに驚いていた。
心臓が止まったりしないだろうな?
「もー! もー! そういうことしないでっていつも言ってるでしょ! 誰彼構わず変なこと言って……」
「何言ってんだい! 私だってそこそこ見込みのある奴にしか声をかけないよ!」
聞き慣れない笑い声。
不思議に思って振り返るとヒカリがこっちを見てにんまりとほくそ笑んでいた。唇がプルプルと震えていて、片眉が吊り上がっている。
妙に腹立たしい表情だ。
「……なんだ?」
あいつはその表情のままこっちを指差してきた。
「そこそこ」
「はっ倒すぞ」
ヒカリの野郎は腹立つ顔をますます歪めて笑ってやがる。ミミの方も盛り上がってきたようでアニモが宥めるのに四苦八苦しているようだ。
裏路地にあるボロ家。窓際に置かれたガザニアは賑やかな声のなか、その影を伸ばしていった。




