宿舎(2)
「冒険譚って言われても……」
期待に満ちた視線から逃れるように両脇の二人に視線を向けるものの、返ってきた返答は困惑した顔だった。話を肩代わりしてもらうのは無理そうだ。
既に六つの瞳が俺の方に集まっている。こりゃ俺が話すしかないな。
軽く咳払い。格好つけて両肘をテーブルに乗せ目の前で手を組んでみる。
「そうだな、まず俺があの登録所のドアをくぐって……」
食材が煮える音を聞きながら俺はいつもより落とした声で話し始めた。
ビビはずいぶんと聞き上手なようだ。戦いの場面になると声を上げて聞き入ってくれた。
ヒカリの死霊術についてだけはボカして伝えたが。
あのクソ鳥との戦いの場面では、まるで目の前でその戦いが繰り広げられているかのように体をよじって楽しんでいる。闘技場の最前列で大声上げている奴そっくりだ。
「うわぁ~凄いな~。皆さん強いんですね」
「ありがとう。次の階に出てくる奴が今から恐ろしいが……ところでビビ。第一階層で気になるところがあったか?」
気になっていたことがあった。第一階層の終盤の話をした時、ビビの顔が曇ったんだ。やはり、あのナイフ男か?
「二つ、気になったことが。一つはあのナイフの男です。第一階層は一本道ですし、ダンジョンの入り口は固く閉ざされていてポータルでしか中に入れません。ですが、ここ最近、皆さんより先にダンジョンに入った冒険者でケイタさんの言う特徴を持った人はいなかったような……」
アニモと顔を見合わせた。
どういうことだ?
監視の目をすり抜けてダンジョンに侵入した賊がいるのか?
だが何故?
険しく引き絞られた黄色い瞳がビビへと向けられる。
「ビビ殿、この件は我らも気になっていたのだ。食後コウ殿と共に検討するとしよう」
俺たちの雰囲気が伝わったのか、ビビは唇を強く結ぶと何度も頷いた。
飯の前にこの空気じゃやりにくい。緊張をほぐすように軽い調子でビビに声をかける。
「一旦その話は置いておこう。ところで、二つあるって言ってたよな?」
「ええ! あ、その、四本足のご馳走って何かなと思って……」
今度は三人の視線がカチ合った。流石にあんな高級食材をいただく前に名前を出すのは野暮かと思って言ってなかったな。
アニモが軽く頷いた。
そうだな、冒険譚を好むくらいだ。”そういう話”にも耐性はありそうだし大丈夫か。
俺が仰々しく身を乗り出すとビビもつられて体を傾けてきた。
コウに聞かれると怒られそうだし小声で話そう。
「いいか、ビビ。四本足のご馳走っていうのは……」
その時だった。
聞きなれたチューチューという鳴き声が耳元から聞こえてくる。
なんだ、ヒカリが死霊術でも使ったのか?
「あっ! アルジャーノ!」
「え?」
鳴き声を追ってみるとビビの肩にたどり着いた。そこには旨そ……上品そうな白いネズミが行儀よく座っている。
つぶらな黒い瞳が可愛らしい。
俺の視線に気づいたのかビビが白ネズミの頭を撫でた。
「この子、アルジャーノっていうんです」
「そ、そうなのか。その四本……あ、いや、小さな友達とは、その」
言葉が詰まる。アルジャーノと呼ばれた白ネズミはビビに撫でられると心地よさそうに目をつぶった。
「友達、そうですね。この子は僕が両親を亡くしてからずっと一緒にいる家族みたいな存在なんです……あっ! ごめんなさい! ネズミ大丈夫ですか? 嫌いな人もいるみたいで」
「い、いや……」
……まずいな。アルジャーノの親類を串刺しにして丸焼きで喰ったなんて話が出来るような場面じゃなくなった。
「大丈夫、私は好き」
ヒカリが身を乗り出して話に割り込んできた。息が荒い。熱っぽい視線で舐めまわすようにネズミを見つめている。
あいつの言う『好き』の意味は少なくとも愛玩動物に対する感情ではないことは分かった。
「よかった……あっそういえば何なんですか? 四本足の御馳走って」
嬉しそうな顔でビビがこちらを見つめてくる。
疑いのない澄んだ瞳。思わず目を逸らした。
「おい、どうする」
アニモが早口で耳打ちしてきた。
前には期待に満ちたビビの顔。
ここはどうにか誤魔化すしかない。
「それはだな……」
「ビビー! 運ぶのを手伝って!」
台所からのコウの声にビビが立ち上がる。何とか助かった。
「ヒカリ、ダンジョンでネズミを喰った話は内緒にしよう。特にビビには。あとアルジャーノも食べちゃダメだ」
「どうして?」
本当に喰う気だったのか? 危うく団らんの食卓が血の惨劇になるところだった。料理が近づいてきたのか旨そうな臭いがかなり強くなってくる。
「ほ、ほら。そんな事より飯にしよう。ウリスの肉は絶品らしいぞ」
それからすぐ、大皿を器用に手で支えたコウの姿が現れた。骨付きの分厚い肉からは湯気が立ち上っている。ビビは色とりどりの果実と柔らかそうなパンが乗った小皿にナイフとフォークを抱えている。
生まれて初めて見る豪華な料理にどうしたらいいか戸惑っていたがコウが肉を切り分けてくれた。
「どうぞ、召し上がってください」
「これはありがたい。貴殿らと神々に感謝をささげてから頂こう」
渡された皿の上にはこんがりと焼けた厚肉。嗅いだ瞬間涎が止まらなくなるくらい良い香りもしてくる。刀以外の刃物を使ったことが無かったから不安だったが、心配はいらなかった。まるで熟したバターみたいに柔らかい。切ったそばから肉汁が溢れてくる。
久方ぶりに手にしたフォークで突きさす。
舌の上に乗せればトロリと溶けだした肉から旨味が口全体に広がっていった。こんなに柔らかいのは初めてだ!
続けて口にしたパンもまるでふかふかの綿毛みたいに柔らかい。
摘まんだ真っ赤な果実だって目ん玉が飛び出るほど甘かった。
驚きを口にしようと隣を見たが二人とももう食事に夢中のようで、一生懸命に口と手を動かしている。
俺も仲間たちの振る舞いに倣い今まで以上に口と手を動かしだした。




