新たな出会い~アラベル(2)~
身を乗り出したアラベルの瞳から光が消えている。視線の先には未だ血の滴るハーピーの残骸。
聞こえるのはヒカリの欠伸だけ。
しばらく待ってみても錬金術師は再稼働しない。
気でも失ったか?
肩でも揺ってやろうかと一歩踏み出し――
ガクリと視界が揺れた。
眼下には伸びた腕。胸を捕まれている。
「うおぉ! ?」
猛烈な勢いで台に引き寄せられる。
眼前には血走った紫の瞳。
眼鏡の縁が頬に当たるほど距離が近い。
「それ、見せてもらっていいですか?」
底冷えのするような抑揚のない声に全身が総毛立つ。指された指の先には上品とは言い難い表情で血を流すハーピーの頭があった。
「こ、このハーピーの頭? か、かな?」
上擦る声。アナベルの目は完全に据わっている。アニモが俺に頭を手渡すと風のような早さで後ろへ下がっていった。
ちらりとハーピーの表情が見える。
左目は落ちていてもう片方は白目。ギザギザの歯が滅茶苦茶に生えている口からは毒々しい紫の舌がだらりと垂れ下がっている。
何をする気だ……?
彼女はその頭を引き寄せると両手で抱えるように持った。離された胸が少し軽くなる。
そして。
「はぅ~~~」
アラベルは猛烈な勢いでハーピーに頬擦りを始めた。恍惚の表情で悩ましげな吐息を吐き出している。
頭の奥底に眠っている根元的な恐怖が鎌首をもたげた。
「はぁ~~これは、これはこれは! あのクイーンハーピーですか!?」
火でも起こせそうなくらいに頬を擦りつけるもんだから顔やローブに血がベッタリついていった。青白い肌には嫌というほど良く目立っている。
「とっても! とぉ~~っても貴重な素材なんですよ! 特に……はっ! いけない!」
ようやく我に返ったのかと期待したが、その期待はすぐに裏切られた。何を思ったか大きなガラス瓶を頭の下に置く。
そして、両手を首にかけ。
雑巾でも絞るように思いきり締め上げた。
牛の乳みたいにハーピーの血が噴き出す。
後ろでアニモが思いきりえずく音が聞こえた。
「イィ~ヒッヒッヒ! さぁ沢山出しましょうねぇ~!」
地の底から響いてきそうな笑い声。水音に混じってボトリと重たい音が聞こえた。
血に染まったアラベルは満面の笑みでハーピーの頭だったモノを弄んでいる。子供の頃読んだ絵本に出てくる魔女そっくりだ。
絵本との違いは魔女を倒してくれる勇者サマが居ないこと。
「いい子いい子~もうちょっと出るかな~」
悪夢のような光景から目を反らすと隣でヒカリの姿が目に入った。あろうことか目を輝かせている。こいつにはこの惨劇が大道芸人の火吹き芸にでも見えてんのか?
それから、しばらくの間、狂気じみた笑い声と背筋の凍るような水音との共演は続いた。
魔女が最後の一滴を搾り終えた時、ようやく地獄が終わりを告げた。どこもかしこも真っ赤に模様替えと相成っている。我に返ったのかアラベルの顔から血の気が引いていった。
「あ、あ、あ、ま、またやっちゃった……あぁ~」
目の前にいるのは気弱な少女。先ほどまでの異様な雰囲気は立ち消えている。グズりながら頭を抱えるその姿には先程の魔女の面影はない。
だからどうしてこう極端なんだ?
「わ、私いつもこうなんです……夢中になると、周りが見えなくなっちゃって。他の人怖がらせちゃって…………」
子供が見たら間違いなく一生の思い出になりそうな光景だった。俺もしばらくは夢に出てきそうだ。
隣で話を聞いていたヒカリが小首を傾げる。
「え? 面白かったよ?」
ヒカリの言葉を受け紫の瞳が大きくなった。
「怖くなんかない」
「まあ、その。夢中になれるものがあるのは……いいこと、だと思う」
俺もヒカリに合わせて声をかける。嘘は……言っていないはずだ。
アラベルの台に置いた手が小刻みに震えていた。クスリ切れとかじゃないだろうな?
「皆さん……! 嬉しい…………!」
感極まった様子で彼女は……ん? 皆さん?
肩越しに後ろを見ると驚くべきことに三人ともしっかりその場に残っていた。
というよりこれは……。
コウとビビは互いに抱き合うような格好で完全に固まっている。ワーウルフの群れに囲まれた旅人のような表情をしていた。目の前で手を振ってみたが応答はない。
ただ、これでも隣の魔術師よりはマシだ。
アニモは直立不動のまま白目を剥いていた。巡礼を終えた苦行僧みたいな面してやがる。どこぞの神殿に安置しておけばたんまりお布施が頂けそうだ。
これ以上アラベルの“錬金術”を見続けるのは難しそうだ。なんとか部屋の外に出る言い訳を……。
「あ、あの、それと……すいません。勝手に貴重な材料を取ってしまって。お使いになられますか?」
彼女は血がなみなみ注がれたガラス瓶をこちらに差し出してきた。ぷかぷかと何か塊が浮いているように見える。
「い、いや! 大丈夫! 全然! 全部使ってくれていい! というか全部やるよ!」
俺の言葉を聞いて彼女の口が大きく歪む。どうもこれは笑みを浮かべているようだ。
「ふ、ヒヒッ! あ、ありがとうございます」
まるで赤子でも撫でるかのような手つきで変わり果てたハーピーを撫でる。危ない薬でもキメたような表情。
背筋に冷たいものが流れ落ちた。
「あ、あの、もし良かったらなんですが……?」
「な、なんです……か?」
体をもじもじとくねらせながらアラベルは顔を赤くしていた。おそらく俺の顔は真っ青になっているだろう。
彼女はどこからか細長い金属製の棒を取り出した。スプーンを引き延ばしたような形だ。
なんだろう、ひどく嫌な予感がする。
「良かったら採取を見ていきませんか? こう、鼻からこの棒をいれて、ゆっくり掻き出すとハーピーの脳み……」
「いいや結構だ‼大丈夫! ありがとう! こ、これから予定があるんで……またな!」
俺はアラベルの声をかき消すように叫ぶと残りの全員を引きずって部屋の外へ駆け出していった。




