帰還
ポータルのまばゆい光が収まっていくのにつれ周囲の色が戻ってくる。出発地点と同じ、あの広場だ。柵の外では数人の子供が驚いたような顔でこちらを凝視していた。その足元にはさっきまで使っていたであろう棒きれが落ちている。
「えーと、これからどうすりゃいいんだっけか?」
背中からは「分からない」という返事。アニモは顎に手を当てると軽く唸り声をあげた。
「いったんあの受付まで戻るか? しかしこのハーピーの死体をもっていくのは……」
突如、ドアがとんでもない勢いで開け放たれた。留め金が吹っ飛びそうだ。そこから飛び出してきたのはメイドと数人の兵士。メイドのほうはすごい速さで駆けてくる。あれは……コウだ。
「皆さん……! まさか本当に、よくご無事で…………!」
涙目で声を詰まらせたコウはハンカチを取り出すと上品に目元をぬぐった。
帰還兵にでもなった気分だ。一呼吸遅れて兵士たちもやってきた。皆、俺たちとハーピーの死体を見比べて一様に驚きの表情を浮かべている。
「ケイタさん! そんな! 血が!」
「え?」
視線を下げたコウが口に手を当てている。
変だな?
まだ怪我は痛むが出血はもうないはず。そう思い下に顔を向けるとどす黒い血だまりが目に入った。
足元だけじゃなく辺り一帯が汚れている。そういえばなんだか血生臭いような。
「あっ」
ポータルの下に目を移すと原因が分かった。
ハーピーだ。
アニモはなかなか情熱的にアレを運んだらしい。
取れかけの首から湧き水みたいに血が流れ出ている。
「ち、治癒師を! 急いで!」
噛みつくような剣幕に一人の兵士が慌てて駆け出して行く。俺は制止しようと伸ばしかけた手をそのままひっこめた。まあ、怪我していることに変わりはない。ここは王様みたいな待遇を受けさせてもらおう。
「さ、もう大丈夫だろ。下ろすぞ」
「……分かった」
なんとも不機嫌そうな声が返ってきた。膝をかがめると背中に反動。その直後体が軽くなった。銀……いや、ヒカリはそのままハーピーの死体まで小走りで向かい、血が流れる首を突っつき始めた。
……普通に動けるじゃないか。まあ、もういいか。
「ケイタさん! まずはこの回復薬を」
コウがメイド服のポケットに手を伸ばす。ガラス瓶の細い口が太陽の光を鈍く反射した。
その時。
――風切り音。
咄嗟、コウを抱き寄せる。
「えっ! きゃっ」
ふわりとリズの花の香が鼻をかすめた。
直後、瓶が割れる音。
そして、目の前を何かが横切った。
その先に目を向ける。
「これは……石?」
「あやつら……!」
怒気を隠そうともせずアニモが片足を踏み鳴らした。荒げた鼻息からは湯気が出てきそうだ。いつの間にかヒカリも俺たちのそばに戻っている。
黄色い目の先に柵。その向こう側では人だかりができていた。風に乗って怒号が聞こえてくる。
「金返しやがれー! !」
「とっとと死んじまえ浮浪者が! !」
「お前らのせいでいくら損したと思ってんだ! !」
それを聞いてようやく意味が分かった。怒りの前に呆れが心を占める。あいつらは俺達で賭けをしてたクソ共だな。
流石にこの事態は前代未聞なのか兵士たちも豪華な槍の横でバカ面下げて突っ立っていた。
俺は槍の柄を軽く蹴飛ばしてやる。槍の一部が兵士の足の脛に当たり、ようやくバカ面が直ったようだ。
「おい、あんたら。あの馬鹿どもを止めてやれ。ウチの魔術師はキレると何するか分からんぞ。このハーピーを焼いた炎だ。今ぶっ放されたら帝国史に名が残るほどの大火になりかねん……絞首台に行きたくは無いだろ?」
兵士二人が顔を見合わせると柵に向かってすっ飛んでいく。途中、投石が当たったのか兵士からも怒号が上がった。
「あ、あの」
「あ、その、すまん」
胸元からの声。抱き寄せた手を放すとコウの方はぷいと向こうを向いてしまった。
「い、いえ。ありがとうございます」
彼女の小声を最後に会話が切れる。なんだか気まずい。助けを求めようにもアニモは石を投げた野次馬を射殺さんばかりに睨んでいるし、ヒカリはまた憐れなハーピーとの遊戯に戻っている。
ありがたいことにそれからすぐ治癒師が到着してくれた。中年の男だ。てっぺんが見事に禿げ上がった頭と立派な口ひげを蓄え、医療の女神サルースの描かれた純白の装束を着ている。
「怪我人は君だな」
俺の胸に巻かれた包帯目にするや否や掌に緑の魔法陣を展開して俺の体に向ける。胸が燃えるように熱くなったかと思うと倦怠感や痛みがあっという間に引いていった。
すげえ腕だ。テベス・ベイにいた“ヤブ治癒師”はなんでもない打撲ひとつ治すのに半日はかかってたぞ。
しばらくして魔法陣の光が消えた。痛みもない。今すぐスキップでもしたい気分だ。
「あんた凄い腕だな! ありがとうよ先生。これでもうなんとも……」
礼のついでに肩を回そうとしたところ、両肩を治癒師の手でがっしりと掴まれる。
レンガみたいに固い掌だ。
小さな片メガネの内側から刺すような光。
「何をしとるか! 君はさっきまで肋骨が折れてたんだぞ。おまけに肺までやられてた。痛みは取ったが骨が完全に結合するのに数日はかかる。とにかく今日は安静にすること! いいね!?」
嵐のようにまくしたてられて俺は玩具の人形みたいに首を縦に振るしかなかった。俺の必死な上下運動が伝わったのか、ようやく両脇のレンガが退き圧力から解放される。
「あっ、で、では皆様こちらへ。第二階層を突破したパーティーには別の場所が割り当てられます」
慌てたようにコウが告げた。髪をしきりに撫でつけてつつ俺達を急かす。
「あー、そのこいつはどうしたら……」
ハーピーの死体を指さすと、向こうから新しい兵士が荷車を転がしてきた。どうも運ぶのはこいつらがやってくれるらしい。
最初とはずいぶんと待遇が変わるもんだ。
「あっ」
ドアの近くまで来たところでヒカリが声を上げた。
ギルベルトだ。
苦虫をかみつぶしたような表情で俺たちの帰還を心の底から歓迎してくれている。
「よう、出迎え御苦労」
ギル公の額に青筋が浮かんだ。その様子が伝わったのか、奴の後ろにいる痩せっぽちから滝のような汗を流れだす。
「……調子に乗るなよ」
俺達を庇うようにコウが前へ出た。シャンと背を伸ばし毅然と目の前の貴族を見据える
「分かっておられるとは思いますが第二階層を突破し、力量を示したパーティーには権利が付与され安全も保障されます。これはアルフレッド閣下のご意志……」
「分かっている!」
アルフレッドの名を聞くなり奴は道を開けた。
奴はさらにあらんかぎりに口を斜めにしている。よくそんなに顔を歪められるもんだ。道化師にでも弟子入りする気か?
それはそれとして、だ。
確かめなきゃいけないことがある。脳裏に浮かぶのは第一階層のあの男。
「よう、コスい真似をしてくれたがお前さんの子飼いも案外大したことなかったぜ」
「何を言っている……? まさかお前か?」
ギルベルトが後ろを振り向くと痩せっぽちが顔を真っ青に染め上げた。千切れる寸前くらいに細い首を横に振っている。
妙な反応だ。
シラを切ってるようにも見えん。
俺達を襲ったあの男はギルベルトの差し金じゃないのか?
「ケイタ、ここは収めろ。真相がどうであれ、この者たちから情報は聞き出せないだろう」
アニモの耳打ちに小さく頷く。仕方ない、ここは見逃そう。
ギルベルトに問い詰められる痩せっぽちを横目に俺はコウの後へと続いた。
ドアをくぐり来るときに見た長廊下へ出る。廊下を軋ませる傍ら俺はアニモへ顔を近づけた。
「どういうことだ? 奴らじゃないのか? そこらの冒険者が持ってるような装備じゃなかったぞ」
「ふむ、第一階層は一本道だった。あとから追っ手を差し向けたなら何処かで鉢合わせするはず……いやもしかすると抜け道が? それなら奴はシラを切っているか若しくは…………ダメた。後程考えよう。答えは出まい。あの紋章も分かっていないしな」
赤竜とオーブの紋章か……何にせよ今ある情報では埒が明かない。
頭に引っかかる謎を引っぺがし、俺とアニモは先を行くヒカリとコウに追いつくべく歩む速度を上げた。
 




