翠三葉は翠朋也で出来ている
「あーー」
朋也は立ち上がって伸びをした。
もう半月ネットカフェで生活している。任務とはいえ辛い。
見た目が若いので誤解を生みがちだが、朋也ももうほぼ40だ。疲れは溜まるばかりで、寝れば回復するといった現象は幻想に変わった。
PCの前に戻ったが、ゲームを続ける気持ちになれずログアウトする。
6年前特殊な部署に移った。
警察内に出来た新しい部署で、主に国際的な組織犯罪及び、テロ組織の情報収集を目的とした潜入捜査をする部署だった。そのため表立っては警察内でも秘密にされている。
朋也は一年以上、巧妙な手口の国際的な振り込み詐欺の組織を追っていた。
この組織は入り込めば入り込むほど奥が見えなず、情報もほとんど得られていなかった。だが、それだけに組織の大きさが分る。かけ子から始まり、受け子、出し子、とこなし、末端から情報を集めながら、金の流れを探っていた。
今度で四度目の仕事になるが、今回はいつもと違い手応えがあった。次回声が掛かる時はもう少し内部に入り込める気がしていた。
朋也はもう一度伸びをした。
仕事を終えたからといってすぐに家に帰れないのがこの仕事の厄介なところだ。誰に見られているかわからない。その為、定職のないチャラ男として、金が入るまでぶらぶらしている所だった。
家を空けて今回も二か月以上経っていた。
三葉の笑顔を思い出す。
「会いたい」
思わず声に出してしまう。
こうして時間つぶしの無意味な毎日を過ごしていると、つくづく思う。ここまで徹底する意味があるのだろうかと。平和ボケと言われたくはないが、この仕事についていても危機感を保てないのが事実だ。
「今~、会いたい~♪」
あくびをしながら、メロディをつける。
危機感を保つのは難しいが、失うつもりはない。
朋也は部屋の隅に積み上げられたカップラーメンの山の中から適当に一個を掴むと、ブースを出て行った。鼻歌を歌いながら、ポットの前までやってくる。
「あれ?ちい兄?」
覗き込まれた顔には見覚えがあった。
前回の仕事でいっしょだった男だ。名前は確かあきおだ。
「あきおくん?」
「キャー、奇遇ね」
「本当」
あきおは抱きつくとキャッキャと跳ねた。
潜入中朋也はゲイを装っていることが多く、今回もそうしていた。金が手に入った時に女遊びをしないのを不審に思われないためだ。前回、かけ子として集められたアパートで会ってすぐあきおはモーションを掛けてきた。朋也のゲイ演技が本物だということだ。
あきおは今回の仕事には呼ばれていなかった。
「久しぶりね~」
「ホント」
「まだプラプラしてるの?」
朋也の全身を頭からつま先まで眺める。
「この生活が好きなんだ。止められない」
「相変わらずダメ男さんなのね。まー、またそこが魅力的なんだけど」
あきおはぎゅっと腕を掴んだ。
「カップラーメンなんて止め止め。おごるから飲み行きましょ」
そのままグイグイと朋也を引きずり出した。
その店は入口からして怪しかった。
知っている街とはいえ深夜一時にもなると街の顔も変わる。その上、その店の場所はかなり入り組んでいた。次に一人で来ることは絶対に無理だろう。朋也はおとなしくあきおの後に付いて店に入った。入り口で強面の黒服からチェックを受ける。あきおが顔パスらしく簡単なチェックだ。
「秘密クラブみたいだ」
中は薄暗く、けたたましいぐらいに音楽が鳴り響いていた。重低音が腹の底まで響く。
音楽に合わせて身体を揺すりながらあきおはどんどん奥へ進んで行く。
奥にちょっとした部屋があるようだ。
案の定あきおはVIPと書かれたその部屋に入って行く。
「ヤッホー、来たわよ」
中には3人の男たちがいた。その男たちを押しのけてあきおはソファの真ん中に座った。さらに横の男を押しのけ朋也を呼ぶ。
「こちら、ちいさん、ちい兄って呼んで」
自己紹介は軽く終わる。本名などないに等しい世界だ、名前はなんでもいい。
「ちい、です。はじめまして」
潜入するにあたって朋也は軽く顔を変えていた。変装とまではいかない簡単な化粧だが、実際の朋也に会っても簡単には気づかれないぐらいの出来ではある。整っていることには変わりないが、朋也の優しすぎる甘い顔がすっとしたきつめの印象に変わっている。
「ハンサムね」
「どこで見つけてきたの?」
「ゴミ溜めよ」
マジで~、とその場が湧く。
「ジョイよ、よろしく」
隣の男が酒のグラスを寄越した。
「ありがとう」
「本当にいい男ね、あきおよりいい味よ、試してみない?」
グイグイと身体を寄せ付けてくる。表現も態度も露骨で分かりやすい。
「本当?」
朋也が首筋に顔を近づけると、ギャーと部屋全体が叫んだ。誘ったジョイまで悲鳴を上げている。
「今の腰まできたわ。まじ腰砕け」
ギャハハと笑う。
「いやー。うらやましい。私にもやってー」
あきおが横から追突してくる。
「ずるーい。私も」
更に隣からも手が伸びてくる。緊張感が無くなるやり取りに朋也は苦笑した。
「もうみんな、止めなさい」
一番入り口に座っていた、スーツ姿の男が朋也に纏わりついている手を次々と叩き落とした。
「ごめんなさいね。ホントに。オーナーの竜よ」
差し出された手を軽く握った。
「どうも」
この部屋に入った時から分かっていた、竜は明らかに他のふたりと違うオーラを放っていた。
若い時もさぞかしモテただろう整った顔が渋みを増して魅力が増している。三つ揃いのスーツで決めすぎともいえる格好も違和感がないぐらい馴染んでいる。40代後半だろうか、短髪の白髪がまたなんとも言えずカッコいい。朋也は頬を染めて目を反らした。ゲイなら誰もがそうなるに違いない。色気が半端ないのだ。
「照れちゃって、可愛いいわね」
竜はグラスを傾けた。
朋也もグラスを持つ。
「素敵な出会いに、乾杯」
高級なクリスタルガラスが綺麗な音を鳴らした。
酔い覚ましにトイレに立った後部屋には戻らず、朋也はフロアで踊る人たちを眺めた。
「踊らないの?」
音楽でかき消されてしまっているのに、なぜか竜の声ははっきり聞こえた。
朋也は首を振った。
「見ているのが好き」
「そう」
竜も隣で踊る人波を見る。
光と音楽に身を任せ我を忘れて踊るのは実に楽しそうだ。
「あきおと本当はどこで知り合ったの?」
光に色を変えるその横顔をしばらく眺めた。
「ゴミ溜め」
一言で答える。
竜が真剣な瞳で見返してくる。
「あの子が心配なの」
「本当にごみ溜めみたいなとこ」
「あの子最近やたら羽振りがいいの。本来の稼ぎ以上に遊んでる」
朋也は少し間を置いた。
「知らない場所に集められて、電話をかけた。かけ子ってやつ。でも。あきおくんにあったのはそれっきり。その仕事も半年以上も前のことだし、今日は偶然ネカフェであっただけ」
「そう」
竜は明らかに肩を落とした。
「優しいんですね」
こっちを見て微笑んだ顔がまたカッコいい。
「あの子たちはみんなバカで可愛いくて、危ういの。自分がどのくらい溺れているか気づいてないから心配なのよ。あなたは違って見える」
「そうですか?」
「ええ」
朋也は肩を竦めた。
「僕はまだ金が欲しいんで、今の仕事辞める気ないから、何かあったら手を掴みますよ。あきおくん、良くしてくれたから」
竜の目が丸くなる。
「ありがとう」
竜は胸ポケットから一枚の名刺を取り出す。シルバーの金属質のそれには携帯の番号だけがあった。
「何かあったら電話して。役に立つと思う」
うん、頷いて朋也はそれを受け取った。