翠三葉は翠朋也で出来ている
「三葉~」
医局の横の仮眠室へ大声で入ってきた環を三葉はとりあえず無視した。
「寝たふり禁止」
環は布団を乱暴に剥ぎ取った。
仕方なく三葉は身体を起こす。
「環先輩、止めて下さい」
心底嫌そうな声だ。
「その声、たまらないわ」
ドSという言葉はこの人のためにあると思う。環は人が困っているところが大好きという、最低な性質を持っていた。酔った拍子に、「困っている人がたくさん見れるから医者になった」と口を滑らせ、にたりと笑った顔が脳内カメラにしっかり収められている。すぐに「困っている人を助けられる最高の仕事だと思っている」と言い直していたが、言い直したことでこれは本物だと、三葉は確信したのだった。
「今度は何ですか?」
喜ぶとは思っていても、嫌な顔を止められない。
「明日の手術に立ち会って欲しいのよね」
「心臓の難しいオペですよね?」
めんどくさい以外の言葉が脳内に浮かばなかった。
「嫌です」
「そういうと思っていた」
そうだろう、いつもの事だ。
「私、ここ連日救急のオペ続きなの知ってますよね?」
「もちろん」
大きく頷く自信に満ちたその顔がまたたまらなくイラつく。
そう、この病院のことで環が把握していないことは何もないのだ。環はこの病院に誇りと責任を持っている、性格には難ありだが、立派な経営者であり医者なのは、三葉も認めているし、尊敬もしている。
「じゃ、少し休ませて下さいよ。入念なリハーサルも済んでるオペじゃないですか、私なんて邪魔なだけですよ」
「そう言わないで。三葉が邪魔になるなら何の問題もないのよ、いい事よ。でも、不測の事態に三葉がいてくれると安心なのよ。三葉保険」
はぁ~と大きくため息をつく。
環は三葉の五感がずば抜けて優れていることに気が付いた唯一の一般人だ。
その事を殊更に大げさに扱うことなく普通に接してくれるのは有難いのだが、個人的には利用できる限りしっかり利用するのだ。
「本当に疲れてるんです。神経を休ませたいんです」
本心だった。確かに三葉には起こっていることを正確に把握する能力はあるが、それと医者としてそれに対応できるかは別だ。圧倒的に経験のたりない三葉に出来ることはまだ僅かだった。だが、ここ数日深夜に救急に運ばれてきた患者は優れた五感をフル活動して、足りない腕を補わないと間に合わない患者ばかりだった。だから、本当に疲れているのだ。
「もちろん、分かってる」
本当に分かって言っているので始末に悪い。
「だから飛び切りの報酬を用意したわ」
ん?
飛び切りの報酬?
胡散臭そうに環を眺める。
「そう、これ見て」
環は手に持っていた怪し気なフィギアを三葉の前に差し出した。
それは、水着姿の環フィギアだった。
「気持ち悪い」
三葉は目を反らす。
「こないだ買った3Dプリンターで作ったのよ。これ」
回り込んでわざわざ反らした顔の前にちび環を置いた。
「これ、私だから気持ち悪いんだよね。でもこれが、もし、と・・・」
環の言葉が終わらないうちに三葉は環人形を奪い取った。細部までも確認する。それはとても良くできていた。
「さすが最新の医療用3Dプリンター・・・」
凝視したままつぶやく。
「また、いつ帰ってくるかわからないんだよね?さみしいよね?でも、見て、これがあれば小さい朋也人形が寂しさを癒してくれると思わない?」
実にいやらしい顔だ。
三葉は葛藤する。
これは明らかに罠だ。
一回では絶対に済まない。
完全な強請の手口だ。
でも、でも、小さい朋也人形。
どこまでもリアルな朋也人形。
絶対に欲しい。
「・・・わかりました。立ち合います」
苦渋の表情だったのだろう、環の目が輝いた。
「そう、ありがと。じゃ、しっかり休んで。夜勤に支障きたしちゃ嫌よ」
最後まで腹の立つセリフを吐きながら、嬉しそうに環は仮眠室を後にした。
三葉は黙って、握りしめたキモ環を見つめた。
こうして、三葉は悪魔に魂を売った。