翠三葉は翠朋也で出来ている
朋也はズキズキと痛む頭を無意識に抱えながら目を覚ました。目を瞬かせながら、頭を抱えて痛みを抑え込む。
隣を見ると、アキが横たわっている。
顔を寄せ呼吸を確かめる。
「あきお」
規則正しい呼吸音を確かめると呼びかけた。
「あきお」
ちょっと身体を揺する。
アキは微かに呻きながら目を開けた。
「ちい?」
朋也の顔を確認する。
やはりアキも頭痛がするのかこめかみを押さえながら、周りを見渡した。
「コンテナ」
「そうだな」
壁を背に二人は座り直した。
コンテナの中には何もない。水もトイレの代わりになるものも本当に何もなかった。
「警察ってどのぐらいまで情況把握してるの?」
アキの質問を朋也は自分の中で消化しようとした。
「わからない。この組織を探っていたが詐欺行為の他は何もつかめていない状況だった。やっと今井と直接会え組織の中が分かると思ってこの仕事に入ったんだ。まさか、人身売買をしてたなんて」
「そんなもんなのかよ」
アキは拳を床に叩きつけた。
「ただ、連絡は取れなくなってもそれまで俺がどこにいたかは絶対に把握している。積荷を梱包した倉庫の場所は分かっていると思う」
「でも、今どこにいるかは分からない」
「そう、俺たちは。でも凜さんの身体に残した発信機がある」
「感度弱いって言ってた」
「俺から連絡が途絶えた時点で信号が受信できる体制を整えているはずだ」
アキを包んでいた怒りが少し収まった、そう朋也は感じた。
「凜さんを知っているのか?」
「妹だ」
「妹?」
「そう、昔一緒に暮らしてたんだ。なんで、あんな所にいたんだ」
そう言ったアキの声は震えていた。そして、急に朋也のほうに向き直った。
「なんで、そうだよ、ちいはどこで凜と知り合ったんだ、補導したのか?」
その言葉を聞いて朋也はアキの心を察した。
アキの生い立ちがどんなものなのかは分からない、でも普通ではないのだろう。前に三葉から聞いたことがあった、凜は自分の子供の頃の話を家族の話を一切しないのだと。私もしないから、凜先輩もきっと普通じゃない子供時代を送ったのかなって、そう三葉は言っていた。
アキは凜があんな場所とは縁遠い所で幸せに暮らしていると信じていたんだろう。だけどあんな場所で凜と再会してしまった。アキの中で理解しがたい、受け入れがたい現実を突きつけられた気持ちなのだと。
「妻の先輩だ」
朋也は少しでもアキの気持ちを軽くしたかった。
「妻?」
「ああ、俺は翠朋也っていうんだ。妻は医者をしている。野坂凜は妻の大学時代の先輩で、凜さんは精神科医だ」
アキの目が大きく見開いた。
そして、その目から一筋の涙が頬を伝わった。
「凜、医者になったのか」
アキはその涙を拭いもせず自分の両手を見つめた。
怪物がずるずるとビニールシートに包まれた塊を引きずってきて、アキの前に当たり前のように投げ捨てた。
「まったく、馬鹿みたいに抵抗しやがるから、やり過ぎちまった。埋めとけ」
アキは自分より重いその塊を必死になって外へ運び出す。
そして、前回埋めた場所の横に穴を掘った。この場所はアキが選んだ。土が固くなくて掘りやすかったからだ。怪物は分からないよう埋めてあればそれ以上のことにはうるさくなかった。
それでも、ろくに物を食べていないアキにとってはこの穴掘りという作業は大仕事だった。
手の感覚がなくなってもひたすらにシャベルを動かした。
知らない間に辺りは闇に包まれている。
「まっま、まま」
その声は小さかったが、静まり返った森の中なのではっきりとアキに届いた。
アキは何だか分からなかったががむしゃらにビニールシートを剥いだ。シートの中からボロボロに破られた服、血だらけの背中が現れた。
そして、その背中の下から小さな手が見えた。
「まま、まま」
アキはしっかりとその小さなものを抱え込んだ、子供に覆いかぶさった母親の身体をやっとの思いで動かした。母の身体で押しつぶされて苦しかったのだろう、その生き物は大きく息を吸った。
そして、アキに向かって手を伸ばしたのだ。
「ママが起きないの。一緒に寝たのに」
アキはその小さな手をとり、母親の下から引きずり出して、引き寄せた。その子はそのままアキに抱きついた。
「あったかい。おにいちゃんあったかいね。ママ、つめたかったの」
たどたどしいその言葉が、しがみつくその手が、見つめるその目が、すべて体温を持っていた。
「あったかい?おれも?」
「うん、おにいちゃん、とってもあったかいよ」
生きている、生きているということは、あったかいんだ。
アキはしがみついてるその小さな子を抱きしめた。
「絶対に守る。この子を絶対に冷たくしない」
アキの中に突然その使命が生まれた、初めて痛い、苦しい以外の感情が生まれた。
その日からアキは自分の意志で生き始めた。
始めは怪物にその子を隠していたが、そのうち気づかれた。バカみたいに殴られたが、怪物はその子が女の子だと知ると、その後何もしなくなった。
その子は怪物が連れてきた女と一緒に地下で暮らすようになった。
凜、ある夏、怪物が新しく連れてきた女、光咲がそう名付けた。
「凜、医者になったんだ。良かった、ちゃんとあったかい所で暮らしてたんだ」
アキは見つめていた手をギュッと握りしめた。
ほっとしたのも束の間、またアキの中に疑問が芽生える。
「じゅあ、何で凜はあんな所にいたんだ」
朋也も始めはそれが大きな疑問だったが、アキと凜の関係を知った今ある答えを持っていた。
「あきお、前に俺にクラブの竜っていうオーナー紹介したろ」
質問の意図は分からなかったがアキは頷いた。
「その竜って、ちょっと洒落たバーも経営してるだろう?」
それにも頷く。
「そのバーの常連だったんだよ、凜さん。お前そのバーで竜と一緒にいたこととかないのか?」
オープンしているバーに行ったことはなかった、だがそのバーには行ったことがある。
最後に行った時、竜と揉めた。あの時は確かバーの裏口で言い合った、そこまでアキは思い出して、ハッとした。
「見られていた?」
そんな訳はないと頭の中で否定する。人はいなかった、気配もなかった。でも、もし本当にあの場に凜がいたのならば、凜は気配を消せる。たぶん今も消せるだろう。
そこまで思い至ってアキは自分の頭を掻きむしった。
「凜さんはお前と竜を見かけた。そして、竜にお前の事を確かめに行ったんだろう。そしてお前の事情を聞いた」
青ざめた顔でアキは朋也に迫った。
「そうだとしても、何であそこにたどり着くんだ」
「凜さんはずっとお前を探していたんだと思う。妻を通して知り合って、俺が刑事だと知った時、一度だけ少年院を出た子の居場所を警察は把握してるか聞かれたことがあった。保護観察官がついている間ならまだしも、年月が経っていれば分からないと俺は答えた。その後まったくそんな話題が出なかったから忘れてた」
「それだとしても」
アキは反論する。探しても探し出されない自信がアキにはあった。
「凜さん、犯罪心理学も学んでいて、医療刑務所にも、精神鑑定にも積極的に関わっている。今思うと、お前の情報をずっと探し続けていたんだと思う。それに若い子のカウンセリングも積極的にやっていた。竜が話したお前の話の中に何か気づいた事があったんじゃないかな」
すべて憶測だが、朋也は自分のこの憶測に筋が通っているように思えた。
アキはその朋也の話を肯定も否定もしなかった。
ただ長い間黙って頭を膝の上で抱えていた。
朋也も黙った。
「凜、助かると思うか?」
大分時が過ぎてから、アキはやっと口を開いた。
「うん」
「何で分かる?」
「俺の仲間は出来る奴ばかりだ。望みをかけろ」
アキは簡単には頷けなかった。でも、朋也の淀みのない言葉と力のこもった声に熱を感じた。
あったかい所、それはずっとアキの目指す場所であり、希望だった。




