翠三葉は翠朋也で出来ている
朝、部屋に鳴り響くベルの音で二人は目覚めた。部屋に時計がなかったので、正確な時間は分からない。大音量のまま音は一分ほど鳴り響いていた。
重くスッキリしない頭を朋也はゆっくりと持ち上げた。
隣のベッドを見る。
アキも身体を起こしていた。
二人は無言で立ち上がると、簡単に身支度をした。
口の中が粘ついて気持ち悪い、朋也はユニットバスへ足を運んだが、洗面台には何も置いてなかった。
「歯ブラシがない」
それだけ言うと、お湯を沸かした。
沸いたお湯をコップに注ぐと洗面台に戻り指で歯を磨いた。最後にちょっと水を足したお湯で口を濯いだ。だいぶスッキリした。
アキも同じように口を濯いだ。
ガチャと響く音と共にドアから昨日の男が現れた。
「付いてこい」
笑顔でそれだけ言うと男は後ろを振り返らずどんどん歩いて行く。
朋也とアキは黙ってそれに従った。
昨日とは違う部屋に案内される。そこには大きなシャッターを背に貨物コンテナが2台置かれていた。
「中の商品洗って、こっちに移して。移し終わったらコンテナ掃除してね。汚物はトイレに流してゴミは一まとめにしといて」
男は左から右を指してから、そのまま部屋の隅に手を移動させた。
「あそこがバスルームだから。弱ってるから優しく丁寧に扱ってよ」
それだけ言うと、「じゃ」と手を振り部屋を出て行った。
朋也とアキは顔を見合わせた。
昨日の記憶が蘇り、男の言う商品が何なのか察しが付いた。
ゆっくりと左のコンテナに近づき、開閉のバーに手を伸ばした。バーを持ち上げる朋也の手は震えた。手入れが行き届いているのか鉄のバーは音もなく持ち上がる。反対側の扉のバーをアキも持ち上げた。二人は縦に伸びている鉄の棒を掴んで手前に引く。
開けたとたんに異臭が二人の鼻を刺した。
朋也は反射的に腕で鼻と口を覆った。
中には5人の人間が倒れている。男が2人、女が3人。起きてはいるようだが目には生気がなく光がさしこんでも誰も開け放たれた入り口を振り返りもしなかった。
部屋の隅には金属のバケツが置かれている。異臭はそこから放たれているようだったがもうそれも分からないほど、コンテナ内は悪臭に満ちていた。
朋也はアキの方を振り返った。
アキは鼻を押さえる事もなく、見開いた目で前を見つめていた。
放心している、朋也がアキに一歩近づいた瞬間、アキはバスルーム目掛けて駆け出した。何の音もない部屋にアキの嘔吐く音だけが聞こえる。
アキは吐きながら自嘲的に笑った。
目の前に広がった光景はアキを一瞬であの森に連れて行った。アキは過去の自分の居た光景に戻り、吐き気を催したのだ。
「クククク」
どんなにこの世界に馴染んだとしても、所詮は自分は異世界から来た人間だと思っていた。どろどろとした沼を覗き込めばそこには本当の自分が映っている。その沼にいる自分こそが本物なんだと。なのに自分は今その世界を垣間見ただけで吐き気を催したのだ。
胃液で汚れた口の周りを手の甲で拭うとアキは立ち上がった。
「大丈夫か?」
振り向くと、少女を抱えた朋也が立っていた。
その子は半目を開き、口からよだれを垂らしながら、時々小刻みに震えた。まだ若い。
「バスタオルを床に敷いてくれるか?」
アキは頷き洗面台の横に山積みにされていたタオルを2枚とって床に敷いた。
朋也はその少女をゆっくりとその上に寝かした。そしてバスタブに湯を張りに行く。
アキはゆっくり丁寧にその子の服を脱がし始めた。大き目のスウェットだったためあまり苦労せず裸にするとそのままバスタオルで包んだ。
タオルからはみ出した腕の内側には、案の定注射痕があった。その腕を包み入れ抱き上げ朋也の待つバスタブに運んだ。
温めの湯につけると身体がびくっと跳ねた。
「大丈夫」優しく声を掛けながら朋也はタオルの上から少女の肩をゆっくりと撫でた。
朋也の頬を涙が伝う。
「理不尽だ」
そうつぶやくとシャワーを外した。
二人は黙って少女を洗い始めた。
右側のコンテナには床にマットレスが引き詰められていて、新しいスウェットだけが用意されていた。脱がした時も下着は付けていなかった。服を着せ、朋也は次の子を連れに行った。
皆を洗い終え、コンテナを掃除する。掃除道具もバスルームの一角にあった。
朋也は掃除しながらコンテナ内を隈なくチェックした。
カメラが付いていないことを確認すると一番奥に行き、トレーナーを脱ぐとおもむろに自分の腕の付け根の内側を、隠し持っていたカッターの刃で刺した。朋也の腕に血が滴る。
アキが驚いて駆け寄った。
「いきなり何を!」
朋也が指に挟んだ小さいチップを見せる。
アキは息をのんだ。
「これが必要になると思って、昨日カッターの刃を折っといたんだよ」
そう言いながらTシャツの裾を割いて傷の上に巻き付けると、トレーナーを着直した。そして何事もなかったように掃除を続ける。
汚物を片付け、洗い流すと悪臭もだいぶ和らいだ。
「鼻がバカになってなければ、だいぶましになったな」
「うん」
二人は部屋の片隅のゴミをまとめた所に掃除道具も投げ捨てると、入り口にしゃがみ込んだ。
時計がどこにもないので、自分たちが何時間働いていたのか、今何時なのかまったく分からなかった。喉の渇きだけは洗面台の蛇口から水を飲んでしのいだが、昨日から何も口にしていない。二人の腹は作業中もずっと音を立てていた。腹に力も入らず、ただ疲れだけが二人の身体を包み込んでいた。
1ミリも動けずそのまま固まってかなりの時間が過ぎた頃、ようやくあの男が現れた。
「お疲れ、部屋に戻ろうか」
男の張り付いたような薄ら笑いを横目で見ながら、朋也は何とか立ち上がった。アキもゆっくりと身体を起こして、男の後をついて部屋を出た。




