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翠三葉は翠朋也で出来ている


 三葉は大きく深呼吸した。

 三か月ぶり、正確には93日と15時間ぶりに朋也に会える。

 「朋也さん」

 名前を口にするだけで胸が高鳴る。

 胸に手を置きもう一度深呼吸する。

 呼吸を整えた三葉の耳に、車のエンジン音とガシャンという鉄筋の音が聞こえた。

 二人の愛の巣であるこのマンションは都心の中心部からは離れているが、交通の便が良く、三葉は電車を乗り換えることなく仕事場へ行くことが出来、幹線道路も近いため車でも便利な立地だった。

 都心から離れていることでマンション周りには広くオープンスペースが取られていて、洒落た公園があり、すぐ横に立体駐車場がある。マンション入り口から駐車場までの道はその公園の雰囲気と合わせレンガが敷き詰められているのだが、駐車場の入り口に差し掛かると軽い段差の境目を通る。その時にガシャンと鉄筋の音が響くのだ。

 三葉は耳を澄ましながら、時計を見る。

 「車を止めて・・・、エレベーターに乗る」

 ソファの上でじっと外の音を伺う。

 閉じていた三葉の目がカッと見開かれた。

 「力に満ちたしっかりとした足取り」

 バネ仕掛けの人形のように立ち上がると、慌ててレギンスを脱ぐ。丸まったレギンスを洗濯機の中へ放り込むと、姿見の前で全身をチェックする。

 三葉は一目を引く美人ではないが自分ではそう悪くもないと思っているし、160cm43キロとスリムだが胸はそこそこあるので、スタイルは良いと思っている。カジュアル過ぎない白い膝上のワンピースからスラリと伸びた生足を確認する。鏡の前でくるっと回るとスカートの丈が際どい位置まで上がる。

 「見えそうで、見えないことが大事」

 呟くと、もう一度全身を確認する。

 「疲れてないから、甘えても大丈夫」

 三葉はうれしそうに鏡にウィンクした。

 普段は人に自分がどう映っているかなどまったく気にもしないが、朋也にどう映るか考えない日はなかった。朋也と再会したその日から朋也にとって可愛い女の子でいるために、ありとあらゆるリサーチをして、その上での研究も怠っていない。

 「ナチュラルメイクに清潔感のある甘すぎない洋服」

 前屈みになるとちょっと胸元が覗く。自分の容姿で唯一自慢できる形の良い胸の膨らみが見える。

 「チラッと見えるのが良し」

 完璧ね、と鏡の中の自分にグーと親指を突き出す。

 足音が玄関の前で止まる。

 ピンポン。

 ベルが鳴る。朋也は必ずドアフォンを鳴らした。

 「おかえりなさい」

 三葉は思い切りドアを開けた。

 ドアの前で朋也は顔をしかめる。

 「いつも言っているよね。誰か確認してから開けなさい」

 「はーい」

 しかめっ面でも叱られても嬉しい。

 三葉はそのまま抱きついた。自然に胸を押し付ける事は忘れない。

 抱き留めてくれた手が背中にまわり、抱きしめ返してくれる。朋也の心音と体温が上がったのを心地よく感じとると、三葉は離れた。

 「先にシャワーだね。ご飯の仕上げするね」

 ちょっとバタバタとキッチンへ向かう。スカートが計算通りに揺れる。

 朋也の部屋は入り口に一番近く、すぐに自分の部屋へ入ってしまったが、三葉はチラリと自分の足に放たれた視線をしっかり感じとった。  

 朋也は部屋に入ると、仕事机の前のハイバックチェアに上着をかけて座った。

 くるりと椅子を回しながら、キッチンの方向に視線を送る。

 「どんどん、鋭くなる」

 机に向き直り、顎を組んだ手に乗せる。


 初めて三葉を見た時、三葉はまだ10歳だった。

 それは警察学校を出て、初めて任された仕事だった。

 仕事内容は、アメリカの特殊機関がずっと行方を捜していた神服(はっとり)一馬博士の滞在していたという場所を確認に行くことだった。配属したての新人に充てられた簡単な仕事だった。

 そこで三葉に会った。

 神服一馬という医者は、異端の天才だった。

 日本、アメリカで医学を修め、脳の専門家として多くの研究論文を発表した。アメリカの研究機関へ入り、その研究は脳だけでなく多岐に及んだという。ある時その研究機関で火災事故が起こった。そしてその事故の後、神服一馬は忽然と消えてしまったのだ。

 研究内容からかアメリカでは必死の捜索がなされたが、行方はまったくわからず、インターポールで指名手配されることになる。

 日本への入国記録はないものの、祖国である日本に潜伏している可能性が高いことから、日本でも地道に捜査が行われていたのだ。

 神服一馬と一緒にいた子供。

 この子供の存在は日本の捜査官にはまったく知らされていなかった。

 保護したのが朋也だったからか、三葉は保護され、警視庁に連れていかれてからも朋也としか話をしなかった。

 環境の変化に緊張しているようには見えたが、三葉は10歳とは思えない落ち着きで、朋也の質問に答えた。


 博士と四葉(よつば)と三歳の時に日本に来た事。

 始めはどこだかわからない山奥の一軒家に住んでいたこと。

 5歳の時に東京に引っ越したこと。四葉は一緒にはこなかったこと。

 6歳の時に一人前と認められ一人暮らしを始めたこと。

 三葉は一人前だけれど、一般的には子供だから一人暮らしをしていることを他人に気づかれてはいけないと言われたこと。

 気づかれたら、保護されること。

 保護してくれた人に尋ねられたことには何でもちゃんと答えなさいと言われたこと。

 博士と呼んでいたので名前は知らなかったこと。

 別れてから四葉とは一度も連絡を取っていないこと。

 三葉はどの質問にも素直にしっかりとした口調で応えた。


 その後、三葉の話以外に捜査でわかったこともあった。

 一馬が三葉に残した預金通帳には、一般的に一人の人間が20歳まで生きていくのに十分な金額が入金されていた。三葉はそれを実に計画的にしっかり使っていた。

 学校に不審に思われないために、親の存在が必要な時はその役割を演じてくれる人間を雇っていた。それも、一馬に指示された一つだった。

 その他必要な手続きはすべて三葉本人が行っていた。

 この事実に捜査に参加にしていた誰もが驚いた。

 そして、一馬の研究の一つの成果が、この女の子なのだろうと誰もが考えた。

 だが、その結果を知るのはずっと後になってからの事だった。

 三葉はアメリカからやってきた、物腰の優しい、丁寧だがどこか人形のような、一馬と一緒に研究をしていたという男に連れていかれてしまった。

 アメリカに行く前日、朋也とお別れが出来ないのならどこにも行かないと訴えた三葉の願いが聞き入られ、入り口に図体のデカいSPの立つホテルの一室で話をした。

 三葉は「見つかったのが朋也さんで良かった。優しくしてくれてありがとう」と言った。

 そして、

 「ちゃんとした大人になって、私が朋也さんを探し出せたら、結婚してくれる?」

 そう言った。

 これから三葉が置かれるだろう過酷な環境が容易に想像できた、だから「うん」と頷いた。

 「見つけられたら、結婚しよう」と。


 三葉がアメリカに行って三年ぐらい経った時に、その時の捜査の指揮を執っていた捜査官に偶然別の事件で会った。

 「みどりだっけ?変わった名前だから憶えてるよ。時が止まったように変わってないな」

 「あおいです」

 その捜査官、沢口は笑った。

 「あの女の子、クローバーちゃん、覚えてる?」

 忘れるはずがなかった。

 「はい」

 「だよな。俺も忘れられねーもん。俺さ、あの後あの子がどうなったか気になって、コネをフルに使ってさ、しつこくあのアメリカの機関に問い合わせしたんだよ」

 朋也はその言葉にひどく驚いた。

 ずっと気になっていたが、三葉のその後を確かめようと思ったことはなかった。そんなことが出来ると考えもしなかった。

 「それで?」

 「いつも、元気に過ごしてますっていう一言だったよ。俺もそう何度もは連絡できたわけじゃないけど、ちょうど一年経ったぐらいの時に、これが最後だと思ってもう一度連絡したんだ。そしたら、もういないって言われてさ」

 「それって」

 自然と身体が乗り出す。

 「ああ、俺も思ったよ。死んじまったんじゃないかって。検査とか言って色々やられてさ。だから食らいついたんだよ、そしたら向こうの人間もこっちの心配が分かったみたいで、『ここは人道的なちゃんとした研究機関です。三葉は検査、経過観察をして一般人とほぼ変わらないと判断されここを出されました』と言われたよ」

 「じゃ、」

 沢口は実に感が良かった。

 「そう、日本に帰って来てたよ。神服三葉で入国記録があった。あの家に戻って来てる」

 全身から力が抜けたのを今でも覚えている。

 その後自分でも確認しに三葉の家を見に行った。

 三葉は確かにそこに住んでいた。

 それ以後、そこに行くことはなかった。

 そして三葉のことを考えるのを止めた。

 だが、三葉は自分を見つけたのだった。

 すっかり女性になった三葉が自分の前に現れたあの日の驚きは忘れない。

 三葉は18歳になっていた。

 一年かわし続け、一年付き合い結婚した。

 再会してからも三葉は変わらず素直だった。アメリカに居た時のことも聞けば何でも話してくれた。

 一馬の研究内容は分からないが、自分が実験体だったことは確かで特殊な能力を持ち、それを開発されていたようだと。能力として最も優れているのが完全映像記憶だという事だった。後はIQはそこそこ、耳も鼻も一般的な平均よりは優れているらしい。でも、それ以上ということはなく、連れていかれた機関ではわざわざ研究する必要がないと判断されたようだと笑って話した。

 

 でも、朋也はそれが間違いだったのではないかと感じていた。

 結婚して6年。

 ちょうど結婚した歳に特殊な部署に配属されてしまったため、今のように家を空ける時間が増え、実質一緒にいる時間は短い二人だったが、それでも朋也はそれが間違いだったと確信する出来事を何度も体験していた。

 そして、それがどんどん鋭くなっているように感じるのだった。


 「朋也さん、考え事は一旦やめてお風呂に入ってきて」

 三葉の声で我に返る。

 そう、こういうことだ。

 三葉は離れた所にいても朋也が何をしているか、見ているように振舞う。結婚しているのだから予想がつく、勘がいいだけでは納得出来ない事が多いいのが事実だった。

 「まあ、別にいいんだけど」

 頭の中をすべて覗かれる訳ではない、人より洞察力が優れるというだけだ。そう、シャーロック・ホームズと暮らしていると思えばいい、自分はワトソンだ。

 そして、私のシャーロックは実に魅力的なのだから、まったく問題がない。

 朋也は久しぶりに感じた胸の感触と綺麗に伸びた美しい足を思い出し、高鳴る胸を深呼吸で沈めた。





 

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