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翠三葉(あおいみつは) は 翠朋也(あおいともや) で出来ている  作者: 椛こま


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翠三葉は翠朋也で出来ている 


 待ち合わせの時間にはまだ早かった。

 凜は腕時計で正確な時間を確認して携帯を取り出した。メッセージを送ろうと画面を点けるが手を止める。待っていれば来るのだ、先に店に入っていれば済むことだった。

 「入口どこだったかしら?」

 この前、翠夫妻と一緒に来たばかりだったがいつも戸惑ってしまう。凜は辺りを見渡した。一本路地を間違えたのか見知ったものが目に留まらない。大通りまで戻ろうと方角を変えた時だった。

 路地の行き止まりに当たる建物のドアから男が二人出てきた。

 遠目だったが先に出てきた男が今から行こうとしているバーのマスターだと分かった。

 凜は、やはり道を一本間違えていた、あそこが店の裏口だったんだと納得した。

 裏口が分かったからといってそこから入れてもらうわけにもいかない。改めて来た道を戻ろうとした時、マスターが話をしているもう一人の男の顔が目に入った。

 「…!」

 一瞬息が止まった。

 「兄さん」

 口から零れ落ちる。

 大人になっている。

 でも、間違いない。

 記憶の中のあのすさんだ痩せたこけた顔とは全く違う精悍で優しい面差し、でもあの瞳の下の涙ぼくろ、一時だって忘れたことはなかった。

 駆け寄ろうと逸る心にやっと身体が反応して、足を一歩踏み出したその時、

 「いったい、何をやってるんだ」

 マスターの罵声が路地に響いた。

 凜は踏み出した足を戻し、そのまま横の建物の物陰に隠れる。

 「竜さんには関係ない」

 「関係ある、いいからやめろ」

 「何を?何もしてない」

 「何でもいいから止めろ」

 「だから、何にもしてないんだよ」

 竜と呼ばれたマスターが目の前の兄の襟首を掴み捩じ上げる。

 「何でだ?いつも一線を守っていただろう?いいか、今井あいつはヤバイ。俺が知っている奴の中で一番得体の知れない男だ」

 捩じり上げる手を押さえながらも兄はじっと動かず、竜を見つめている。

 「ちゃんと解ってる」

 「ちゃんと、わかっている、だと」

 「うん。ちゃんとわかっている」

 苦し気な声でもう一度一語一語をはっきりと兄は口にした。

 顔を歪めたまま竜は襟首を放した。

 「勝手にしろ」

 ドンと兄を突き放し竜は裏口から中に消えた。

 兄は竜が消えたドアをしばらく眺めていた。

 吹っ切るように踵を返すと凜が隠れている方角に向かって歩いてくる。凜はさらに身体を物陰の奥に隠し、息を殺し、存在を消す。

 とても久しぶりにそれをしている。だが、呼吸をするように自然に出来る。

 凜の脇を兄は通り過ぎて行く。

 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10。

 ゆっくり数字を数える。

 凜は物陰から出ると、そのまま兄の後を追った。


 『ごめん、急用が出来た、今日は行けない』

 ラインの音声メッセージから聞こえた言葉はそれだけだった。

 環は携帯を見つめ、眉をひそめる。

 急に予定が入りデートが潰れることは、もちろん初めてではない。

 圧倒的に環から予定変更になることが多いが、凜からももちろんある。

 だけど、携帯を見つめ環はもう一度音声メッセージを再生する。

 音声メッセージのせいだろうか?

 環は胸がざわつくのをじっとこらえる。

 音声メッセージを残す。

 凜がそれをするのは声で伝えたい事がある時だけだった。

 「ありがとう」「愛してる」

 仕事が忙しくどうしても会えない時、文字だけでは伝えられない思いを凜は声で残した。

 付き合ってから一度もケンカをしたことがなかった。お互いにお互いの仕事を最大限尊重して、ストレスがあるといつも話し合った。

 女同士だからだろうか、言葉にし合う事は簡単で話せばどんな時も楽になれた。

 「ごめん」

 デートがダメになったのだ、当り前の言葉だ。でもと、環は記憶を思い起こす。

 自分はよく使う。

 だが、凜の口からこの言葉を聞いたのはいつ以来だろうか?

 ここ数年、凜がクリニックを開業して時間にゆとりが出来てからは、なかった。

 予定を変更するのはいつも自分だからだ。

 ざわざわと、胸騒ぎが大きくなる。

 凜の番号を出し、通話を押す。呼び出しコールの後に聞こえてきたのは、電源が入っていないというアナウンスだった。

 

 兄の後をついて行く。

 尾行なのだから、慎重に、でも見失わない様に。凜は神経を信じられないほど張りつめていた。ゾーン、そういう言葉が最近当たり前につかわれているが、実感したことはなかった。

 だが、自分は確かに今ゾーンに入ったと、凜は思った。

 幸い、兄は徒歩で目的地まで達したようだ。

 大通りを歩き、多くの飲食店がある通りのカフェに入って行く。

 躊躇したが、凜はそのままその店に入った。仕事帰りに一人で座っている女性も多くいたのが見て取れたからだ。

 兄がどこに座ったかは分からなかった。凜は出入口が見える席に座った。

 先払いで飲み物を頼むシステムの店だったのも都合がいい、支払でもたついて尾行が途切れてしまう心配だけはないということだ。

 甘いカフェモカを口にするとやっと一息ついた。やったこともない尾行に思っている以上に身体も神経も疲れていたらしい。糖分が体中に行き渡る心地よさを感じる。

 ゆっくりと呼吸を整えていると、ドアが開く。

 「!」

 凜は入って来た男を見て、息を飲んだ。

 心臓が大きく音を立てた。

 ドアから入って来た男は朋也だった。

 化粧で顔が変わっているが、朋也だ。

 凜は下を向き顔を隠す。朋也はためらう様子もなく奥に進んで行く。

 待ち合わせをしている、と凜は確信した。

 ジリジリとした30分が過ぎた。

 凜の勘は外れなかった、朋也と兄は一緒に連れ立って店の奥から出てきた。

 その様子から昨日今日の知り合いではないことが窺えた。

 二人が店を出たのを確認してから凜は席を立った。

 ドアを出て通りを見る。通りの先に二人がまだ見える。

 また後をつけようか迷う。

 付き合いが長い、朋也が商社マンではなく警察官だという事を凜も知っていた。

 警察の仕事のために長く家を空けている、その仕事内容が何かは知らない。

 でも、化粧は変装だろう。凜は人一倍人の顔の作りに敏感なのだ、だからこそ目の前の男が朋也だと判断できた。朋也は身元を隠して仕事をしているということになる。

 マスターとのやり取りから想像しても、今の兄が危険なそして違法な行為に従事していることがわかる。

 朋也が警察という身分を隠して兄に接触しているのだったら、これ以上後をつけるのは得策ではない。でも、今やめたら二度と兄との接点がなくなってしまう。

 どんなに難しくてもその選択肢はなかった。

 凜は覚悟を決めて、人込みの先にある後ろ姿を追いかけた。



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