翠三葉は翠朋也で出来ている
「見ました?」
美子は小声で聡里に話しかけた。
「見たって?何を?」
聡里はカートを押すスピードをまったく緩めず、顔だけ美子の方に向けた。
「夜な夜な現れては消える人形ですよ」
美子は追いつこうと早足になる。
「見てないよ。目から血の涙を流してるんだっけ?」
「違いますよ。廊下に寝そべる血まみれ男性像ですよ」
「そうだっけ?」
「そうですよ。すごくいい身体をした男性がなぜかパンツ一枚で血だらけで寝ているらしいです」
「やけに細かいね。」
「錯綜している情報をまとめました。得意なので」
もう一度振り返った聡里の瞳は冷たい。
「そんな目で見ないで下さいよ」
美子は手を前に突き出して、視線を遮断した。
「主任みたいに、ホラー要素の尾ひれの方が今や主体になってまして、本気で怖がる看護師も出て来てるんですよ。夜勤が怖いって子もいて。これ問題じゃないですかね?」
「吉野さんだけでしょう、幽霊話しで怖がるの」
さすが、病棟を把握していた。
「まあ、そうなんですけどね」
「それに、本当に仕事に支障をきたすような話なら、院長が黙ってないでしょうよ」
返す言葉がないので、美子は口を噤んだ。
病院に怪談はつきもので、実際に説明のつかない出来事が起こったりするのはよくあることだ。そして、看護師はだいたいがメンタルが強く幽霊ごときにビクつく人間は少ない。
吉野看護師は今年の新人のとても肝の小さい男の子で、怪奇現象でなくても、突然の物音でも跳ね上がって驚く。そんな初々しさをだいたいの先輩看護師たちは微笑ましく見守っているのだが、管理側の聡里は厳しめの対応をしていた。
「いつまでも学生気分であの子は本当に困るわね。幽霊より人間の方がよっほど怖いのに。ちょっとしたことでキャーキャー言って、男のくせに」
「まあまあ」
美子はなだめる。
「男の子だって怖い物は怖いでしょうよ。幽霊戦えませんからね。力は勝っていようとも」
普段からコンプライアンスにうるさい聡里が男女差を愚痴るのは珍しいことだった。それほど、腹に据えかねているのと、付き合いも一年経ち、自分に気兼ねしなくなった証拠だと美子はうれしく思っている。
この吉野真は今年救急に配属された三人の看護師の中では唯一の男性で、185という高身長、高校から始めたラグビーを大学時代も趣味で続けていたとかで、とても恵まれた身体を持っていた。
その身体でちょっとしたことでも飛び上がるので、どうしても目立ってしまうのだ。美子はそこに同情の余地があると思っている。
「山下さんも、坂田さんも怖いって言ってましたよ」
聡里が疑わしいという目でこちらを見る。
「本当ですって。だから、情報集めたんですから。本当のことが分かれば怖くなくなると思って」
「そんな噂に・・・」
突然割って入って来た声に二人は振り返る。
「翠先生」
「そんな看護師さんたちを震え上がらせる怪談になっているとは・・・」
三葉は顎に手を置き真剣に考え込んでいる。
「翠先生、何か知っているんですか?というよりその反応、噂の根源ですか?」
三葉は美子の問いには答えず、二人を手招きした。
二人が連れてこられたのは宿直室だった。
次のアクションを待っている二人の前に三葉はスーツケースを広げた。替えの衣服と洗顔などの日用品の間に20センチぐらいの色々な形の人形たちがいる。
「これは?」
美子にはその人形が誰なのか分かった。
「そう、朋也さん人形です」
にっこりと三葉は一体を突き出して笑った。
跪いて手を伸ばしている朋也が美子の目の前に差し出された。
「なぜにパンイチなんですか?」
リアルな男の裸を美子も聡里も食い入るように見つめる。
「服を着てたら朋也さんの魅力のみの字ぐらいしか表現できないから」
「それにしてもリアルなフィギュアですね。旦那さん素晴らしい肉体を持っているんですね」
聡里は人形にさらに顔を近づけた。
近づいた分人形が離れる。
「この素晴らしい肉体を見てもらいたい気持ちはあるけど、そこまで近づかれるとちょっと嫌な気分だわ」
「あら、すいません筋肉フェチなんで、つい」
「え、主任、筋肉フェチ何ですか?」
美子が食いつく。
「いや、ミコちゃんそこに食いつかなくていいから」
そうですか?と、渋々美子は話題を戻す。
「それにしても何人いるんですか?この跪き朋也は」
「跪きって、これは『プロポーズの思い出』」
「えっ?」っと顔を上げた二人を無視して、三葉は別の朋也を持ち上げる。
「これは『初おいで』」
両手を広げて立っている朋也だ。また別の朋也を出す。
「これは『初めてのお姫様抱っこ』」
次の説明を始める前に美子が三葉の手を止めた。
「それぞれに深い物語があるのはよくわかりました。しかし、何度も言いますがパンイチなのでその情報が頭に入ってきません。でも、本当に凄く良く出来てますよね、手作りですか?翠先生ならやりそうだけど」
「そこの情報何だか深く掘らないほうがいいような気がするわ」
察しのいい聡里が美子の発言をやんわり取り消す。ああ、とやはり察しのいい美子も話題を変える。
「朋也さんの出張今回も随分長いですね」
「そうなんだよね、さみしいのよね」
寝仏のような形の朋也を優しくなでながら三葉は答えた。
「それで、これが何で怪談に?」
しんみりとした空気を聡里が壊す。
「深夜の夜食を食べる際にこのように」
そう言いながら三葉は机の上に五体の朋也を並べた。
「朋也さんに見守ってもらいながら食べるんだけど」
「素直に引きますね」と美子
「あらステキ」と聡里。
「いつだか、ホットドックにケチャップを掛ける際に朋也さんまで飛び跳ねてしまって、それを洗い流そうと給湯室まで運んだ時に一体落としたのに気づかずにいて。まず他を洗って、戻ったら薄暗い廊下にこの『初めての膝枕』が寝そべっていたことがあったんだよね」
「血の海に浮かぶ人形ですね。それが寝仏朋也だったんですね」
美子のたとえに眉を顰めた三葉だったが、そのまま言葉を繋ぐ。
「そんなことが何回かあったことは確かよ」
「そんなことが何回も?」
今度は二人の感想は同じだった。
「ということなので、皆の誤解を解いてあげて。怪奇現象など全く起こっていないと安心させてあげて下さい」
二人は顔を見合わせた。
「誤解を解いても別の意味で怖いような話ではありますが、みなさん恋バナは大好物ですから、噂を払拭できそうですね」
「そうね」と頷き合う。
「そう、よかった。これで皆が通常通りに働けるわね」
嬉しそうに朋也を仕舞う三葉を複雑な顔で二人は見つめた。




