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翠三葉(あおいみつは) は 翠朋也(あおいともや) で出来ている


 「三葉(みつは)、君はもう何でも自分で出来るようになった。一人前だ」

 博士はそう言って頭を撫でてくれた。

 一人前の人間にする行為ではないと思ったが、嬉しかったから三葉は笑った。

 「でも三葉、世間では成人の年齢に達していない人間は子供とみなされる。だから、三葉、一人で暮らしていると他人に悟られてはいけないよ」

 そう言って博士はまた頭を撫でてくれた。

 三葉が大きく頷くと、

 「じゃ、私は行くね。もう会うことはないけど、幸せになるんだよ、三葉」

 「はい。博士」

 博士は微笑んだ。三葉は初めて見るその笑顔を驚きをもって見つめた。

 「バイバイ、三葉」


 

 「(あおい)先生がお休みを取るなんて、珍しいですね」

 高部美子(みこ)は同僚の看護師、鈴木聡里(さとり)に尋ねた。

 美子はこの病院に移ってきてまだ日が浅かった。以前は大学病院に勤めていたのだが、救急の看護師としての腕を買われ、この病院「小川記念病院」に引き抜かれて来たのだ。

 もともと、情報収集が得意でその取得した情報を使って、生き馬の目を抜く大学病院の中でうまくやってきた自負がある。156cm、55キロと日本人女性の平均といえる体形で、少しぽっちゃりしたその体形に見事にマッチした小動物を思わせるちんまりとした顔が、老若男女に好意的に取られることが自分の武器だと思っていた。

 美子はくりっとした黒目勝ちな瞳で先輩看護師をもう一度見つめた。

 この病院に早く馴染むためにも情報収集は絶対だ。

 聡里はカルテを打ち込む手を止めずに、チラリと美子を見る。

 「珍しくはないのよ」

 「でも、私がここに来てからは初めてですよ」

 指を軽く折って、日付を確認する。

 「私が来て二か月ぐらいですけど、まともに休んでるのを見たことないです」

 PCの画面を見たまま聡里は答える。

 「ミコちゃんが来てもう二か月も経つの?いや、早いわ」

 美子は自分の名前の漢字が嫌いで、正式な書類以外はすべてカタカナ表記にしている。もちろんネームプレートもカタカナで高部ミコ。同僚の呼ぶミコもカタカナだと思っていれば、軽く可愛い名前だと思える。

 「経ちましたね。本当に年々早く感じますよね」

 話を合わせる。欲しがっていると思われては元も子もない。

 「ほんとよね」聡里はしみじみ呟く。

 きつめの美人といえる聡里は救急の主任看護師だった。年齢は35才だと聞いている。

 月日の流れがあっという間に感じられる、この話題は親しくない年上の同僚と話す話題としては鉄板と言えた。

 「患者さんのこと以外の日常のことがどんどんわからなくなっちゃうんですよ」

 「そうなんだよね、仕事のことは辛うじて覚えてる」 

 「ここ、ちゃんとお休み取れるから有難いですけど、でも先生方はわりとハードですよね。まあ、総合病院の医者はどこもそうかもですけど」

 美子は話の軌道を戻す。

 「まあ、翠先生はちょっと勤務体制が特殊なのよね。普段詰め詰めで働いてまとめて休みを取るのよ」

 「えっ、そんなこと出来ます?」

 翠三葉という医者はインターンを終えたばかりの若い外科医だったが、院長の信頼が厚く仕事も出来るので、相当にこの病院に必要とされている印象だった。

 「急患とか、急ぎの手術とかはどうするんですか?」

 「よっぽどの時は来るわよ。でも、まあ先生は他にもいるし、普段鬼のように働いてるからみんな文句言い難いしね」

 「まとめて休みを取って海外にでも行かれてるんですか?」

 「ううん。どっちかというと反対、旦那さんが海外から帰ってくるのよ」

 「えっ」

 ますます規格外だ。

 「普段ほとんど家に居ないんだって。だから、戻ってくると一週間ぐらい休むのよ」

 「すごい、旦那さんが大好きなんですね」

 初めて聡里の顔がこちらを向く。

 「院長曰く、翠三葉は翠朋也で出来ているんですって」

 「何ですか、それ?」

 「マザーグースの詩、知らない?」

 美子は素直に首を振った。

 「男の子って何で出来てる?カエルとカタツムリ、それと子犬のしっぽ。そういうものでできてるよ。女の子って何で出来てる?砂糖とスパイス、それと素敵な何か。そういうものでできてるよ。みたいな詩があるのよ」

 ああ、と美子は頷いた。

 「翠先生は旦那さんで構成されている、つまり旦那さんがすべてだと」

 「まあ、そんなとこ。医者はどれも多少変わり者だけど、翠先生はここではピカイチね」

 聡里は立ち上がって伸びをした。

 「さあ、仕事よ仕事。ミコちゃんも脂売ってないで、働きなさい」

 『はーい』

 美子の明るい声にハモるようにハスキーな声が重なった。

 美子は反射的に声のした方に顔を向けた。

 「は~い」

 そこには笑顔で手を振る、小川(たまき)が立っていた。

 「院長」

 ここ小川記念病院の院長、小川環は背が高く中性的な外見を持つ、女性だ。経営不振で総合病院としては成り立たなくなっていた、この病院を数年で見事に立て直した立役者だ。医者というより経営者の顔のほうが強いが、外科医としての腕も悪くはない。

 「何、脂売ってたの?」

 はい、と環はカルテを差し出した。聡里はそれを受け取るとさっき空にした『未入力』と書いた箱に入れた。すでに院内全てが電子カルテとなっているが、なぜか環は自分の患者のカルテだけは手書きのままだった。

 「高部さんが、翠先生のお休みが初めてだって話していたんです」

 「ああ。ミコちゃんが来て二か月か」

 勤務日数をちゃんと把握している、こういう所、油断ならないわ。美子は気持ちを引き締める。

 「三葉の休みは三か月ぶりなんだよ。朋也くんは今回も長い出張だったね」

 「えっ、三か月ぶっ通しって、さすがにダメですよね?」

 驚いて出た本音の語尾を何とか小声にした。

 「それはダメよ。ちゃんと勤務表上は休んでるしね」

 環はウィンクをつけて答えた。

 「そうですよね」

 余計なことは言わないで、美子はただ微笑んだ。

 「旦那がいないなら家に帰る必要ないって、三葉が言うから仕方なく勤務に入ってもらっているのよ。勉強になるし。医者は毎日が修行、知識と経験はなんぼあっても無駄にはならないからね」

 「既定の勤務時間も大事ですよ」

 さらっと聡里が付け加える。

 「もちろん。あくまでも、三葉がどうしてもって言うから、仕方なくやってるんだからね」

 いいと、美子に念を押す。

 「それにしても、そんなに好きな旦那さんと三か月振りに会って、翠先生、今頃何してるんでしょうね」

 自分の彼の顔を思い出し、知らず知らずに口元が綻んでいく。

 「SEXでしょう」

 環の一言で彼の顔がはじけ飛んだ。

 「セクハラとパワハラです」

 聡里が冷静にダメ出しを入れる。

 変な職場に来てしまった・・・美子は改めて気を引き締め直した。



 

 

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