Don't count your chickens before they hatch.
孵らぬヒヨコの皮算用。
「で、チュートリアルがなかったから外に出たわけだが?」
街の外から中に移動した後、傍にあったベンチに腰を落ち着けた拓馬が少し高飛車な感じで言った。現実とのこいつの性格の違いに違和感を覚えるが、それはそれとして、その仕草に少し苛立ちを覚えた俺は少し投げやりになって答えた。
「誰かに聞けばいい」
そう言って大仰な仕草で周囲を指し示す。周囲にはゲームを始めたばかりであろうルーキー然とした人物から、既にゲームの世界観に紛れ込んでいる者、あるいは武骨な鎧甲冑に身を包んだいかにもな者など、種々の人々が行き交っていた。
これだけ人がいるのだ。誰かしら知っていても可笑しくはない。
しかし、傍から興味がないのか、拓馬は一つ欠伸をするとつまらなそうに肩を竦めた。
「じゃあ、頼んだ」
「おい、お前も動けよ」
「チュートリアルを受けようと言ったのはお前だろ?」
唇だけで器用に笑みを浮かべながら拓馬が言う。やはり、拓馬は傍からチュートリアルを探す気などなかったのだ。たぶん説明書を読む前に何となくの感覚で物事をやろうとする側の人間なのだろう。読書好きのくせに。
拓馬の性格における新たな発見は、俺に拓馬を動かすことを諦めさせるのに十分であった。
ベンチに座る拓馬から離れると、俺は一人チュートリアルを探し始めた。
といっても、やることは簡単だ。知っていそうな人に聞けばいい。それで知っていれば教えてもらい、知らなければ次を探せばいい。もっと言えば、健全な男子大学生としては聞く相手は女性が良い。そんなことを考えて、これでは拓馬と同じじゃないかと自嘲した。それでも、現実世界よりビジュアル面で優れている今ならば、自身を持って女性に声を掛けられそうなそんな気がした。
声を掛けるにあたって俺が重視したのは3点であった。
まず、初心者然としていないこと。初心者はそもそもチュートリアルを知らない可能性がある。わざわざ無駄玉を打つ必要もあるまい。
次に、女性であること。これについては、言うまでもないだろう。
最後に、相手が二人以上であること。なお、二人に近ければ近いほどいい。というのも、一人でいる女性に声はかけやすいが、男を待っている可能性がある。チュートリアルを聞くだけであればいいかもしれないとも思うが、万が一聞いている間に男が戻ってくれば副次的な効果を得辛くなる。しかし、二人以上であれば男を待っている可能性は減るだろう。ダブルデートを行おうとしている可能性も否定はできないが、しかし、そんなことを言い出せば、そも声を掛けられなくなってしまう。その少ない可能性のために選択肢を狭めてしまっては本末転倒だろう。だからこそ、二人以上は必要だ。しかし、多ければいいというわけでもない。人数の増加に比例して、俺の心理的な負担も増加してしまう。
もっと言えば、二人という人数は拓馬を連れて二対二という環境を作り出すことにも繋がる可能性がある。そうなれば友達になれるという副次的効果も信憑性が増すというものだろう。
そんなことを考えながら街の中をあちらでもない、こちらでもないと練り歩いていると、適当な二人組が見つかった。
一人は獣人族なのか、丸みを帯びた耳を頭に乗せ、銀色の髪の毛を肩口くらいで切りそろえている女の子であった。装備は皮鎧に小手とすね当てというシンプルなもので、一見すれば初心者にも見えなくはなかったが、手に持ったハルバードが異質な存在感を放っており、到底初心者が入手できるとも思えない代物であった。
もう一人は種族までは分からなかった。プレートアーマーで全身を固めており、種族を判別するうえでの一つの指標となる耳も兜によって隠されている。辛うじて、兜からはみ出た髪の毛が腰まで届くほどに長い黒髪であることと、プレートアーマーの胸部が膨らんで作られていることから中身が女性であるのだろうと判断できた。
他にもいないだろうかともう少し探してみたが、目ぼしい相手はいなかった。そうこうしている内に拓馬を待たせていることにも気づき、いよいよ先の女性二人組に声をかけるしかなくなった。
他を探している最中でも、念のために女性二人組を観察していたが、どうやら誰かを待っているというわけでもなさそうであった。周囲を気にする素振りも見せなければ、待たせられているなら多少苛立ちを示しても良さそうであるがそれもない。二人の仕草や様子から少なくとも誰かを待っているとは思えなかった。まあ、あくまで「素人目には」という注釈はつくが。
俺は二人とは少し離れた距離に位置取り、周囲を窺った。人が少なくなったタイミングで行こう。そう心に決めて機会を図る。
すぐにその機会は訪れた。まるで俺を祝福するかのように、目の前の人波がパタリと止んだのだ。今だと内心で叫び、意を決して俺は二人に話しかけた。俺の意に反して、擦れたような声が口から漏れた。
「す、すいません――」
やもすれば気持ち悪いともとられかねない声だなと思いながら、その声に驚いたように振り返る二人に半ば気持ちを折られながら、それでもと俺は言葉を繋げた。
「自分、このゲーム始めたばかりの初心者で、チュートリアルをやろうとしたんですけど、見つからなくて・・・」
相手の反応を待っている余裕はなかった。自分の言っている言葉がちゃんと日本語になっているのかも怪しかった。この容姿ならと調子に乗っていた俺を殴りたくもなった。何より、結局変わんねえじゃん俺と思って、俺自身への失望がまた一つ積み上がった。
俺の言葉に二人は互いの顔を見合わせたあと、プレートアーマーを装備して顔の見えない方が口を開いた。有体かもしれないが、硬質な見た目に反して涼やかで、鈴の鳴る様な綺麗な声であった。
「チュートリアルなら、噴水広場にある組合事務所で受けられますよ」
組合事務所が何かは分からなかったが、それを聞けば恥を上塗りすることになるんじゃないかと思った。入り方で失敗した以上、これ以上張る見栄はないというのに、俺は今の言葉ですべてを理解したと言わんばかりに頭を下げた。
「ありがとうございます!」
感謝の言葉だけはすんなりと出た。むしろ大きすぎるくらいの声量であった。
俺は顔を上げると、ロクに相手の顔を見ることもなく逃げる様にその場を後にした。後になってそれが酷く失礼な行為であることに気付いて、なおさら俺は俺が嫌いになった。
☂
Gracias!