The first step is always the hardest.
最初の一歩がいつだって一番難しい。
本来あるはずの初心者に向けたチュートリアルの類も見つからず、途方に暮れた俺たちが最初に始めたのは、あろうことか町から出るということであった。というのも、拓馬がそれを強く推した。曰く、
「習うより慣れろ」
とのことであった。当の本人は草原に立ち、手で額に庇を作り、少しでも遠くを見ようと目を細めながら周囲を見渡していた。
そんな拓馬の様子に半ば呆れながら、俺は内心溜め息をついていた。
習うより慣れろ。確かにそれに間違いはないが、かと言ってそれが全てであるわけでもない。慣れるも何も、右も左も分からない状況なのだ。本来その言葉はある程度基礎を知ったうえで使われるべき言葉であった。
「よし、発見。さくっと魔獣を倒しに行こうか」
拓馬が初期装備のこん棒を担いで威勢よく言う。
このゲームは一般のRPGとは一風変わっていた。というのも、すべての能力値がマスクデータとなっているのである。公式には筋力やら魅力やらといった能力値が設定されているとなっているが、いずれもプレイヤーが詳細に数値として確認することができないのだ。確認できたとしても、NPCなどからの評価という形でしか確認できないという。「ワシの奥義を伝授するにはまだ筋力が足りない」などといった具合に。
さらに言えば、ネットの攻略情報によると、同じ行動を行っても能力値の上がり方は種族差や微々たるものであるが個人差まであるらしい。
そんなことを簡単に拓馬に伝えてはみたが、返って来た答えはひどくあっさりしたものであった。
「とりあえずやってからだろ」
こんな奴だっただろうか。そんな俺の疑問を余所に、敵を見つけたのか、当の本人は嬉々として駆けだした。見ると拓馬の向かう先50メートルほど先に、黒くて小さい毛むくじゃらの生き物がいた。
「お先ぃ!」
そう言いながら駆け足でそいつに近づくと、拓馬は振り上げたこん棒を勢いよく振り下ろした。その仕草に躊躇は感じられなかった。
バコッともボコッとも似つかない鈍い音とともに、その黒い毛むくじゃらの生き物が啼いた。
「グェッ」
アヒルみたいな鳴き声だなと思った。
場違いな感想を抱いた俺とは裏腹に、なぜか拓馬は黒い毛むくじゃらの生き物を人叩きした後、一息つく間もなく、必死の形相で何度もこん棒を振り下ろし始めた。
繰り返し、繰り返し。その仕草に躊躇はなかったが、同時に洗練さという言葉ともかけ離れていた。拓馬はただこん棒を振り上げては、全力で振り下ろしているようであった。
そのうち、アヒルみたいな鳴き声は聞こえなくなった。それでも拓馬は、その黒い毛むくじゃらの生き物が電子データとしてのその存在を消すまで、こん棒を止めることはなかった。
そんな拓馬の背中に俺は声を掛けられずにいた。
やがて、この戦いの戦果であるドロップ品を手にして、ようやく拓馬の動きが止まった。
はあ、はあと肩を揺らしながら息を整える友人に俺は気を使って声を掛けた。
「大丈夫か」
返事はなかった。代わりに、こちらに背を向けていた拓馬がゆっくりとこちらを振り向いた。一方的にタコ殴りにしていたせいか本人に怪我はないようであったが、酷く疲れた顔をしていた。
「何か怖かったわ」
何がとは問わなかった。むっつりスケベ野郎にも人並みの恐怖心はあったんだなと思って、そう言えば恐怖心があるから女性とはロクに話すこともできないのだろうかなどと場違いなことを考えていた。それでも、興奮しているのか、聞いてもいないことを拓馬はまくし立てた。
「最初は良かったんだ。あいつに向かって走りながら、まずは一叩きして、相手が攻撃する素振りを見せたら少し下がって様子を見ればいいなんて考えていた。ヒットアンドアウェイを繰り返していれば負けることはないだろうなんてことを考える余裕もあった。でも、一回攻撃を加えて、あいつに睨まれた途端、頭の中が真っ白になった。死の恐怖とかそんなことを言うつもりはないけど、敵から攻撃を受けると考えた途端、そんなことをさせちゃいけないって・・・。だから、ひたすら、無我夢中で、気が付いたらこん棒を振っていた」
そう言って一通りまくし立てた後、拓馬はその場に尻餅をついた。そして、ゆっくりと息を吐き出すように、心底疲れたような声色で呟いた。
「しんど・・・」
そんな拓馬の様子を見ながら、俺も同じようになるんだろうかと、益体のないことを考えていた。
いや、同じようにできるのだろうかと、そんなことを考えていた。
果たして、俺は自らに危険が迫った時にそれに向かっていくことができるだろうかと。別に今回のような事だけではない、この世界でも現実でも窮地に陥った時、俺は果たしてそれに立ち向かえるのだろうか、それだけの勇気があるだろうか。
そんなことを考えて、途中で思考を放棄した。そんなことを考えることが無駄だと思ったからかもしれないし、その答えが酷く醜いものであったからかもしれない。とにかく、俺は思考を放棄して憔悴している友人をからかう方向に思考をシフトした。
「さっきまでの威勢の良さはどこいったんだろうな」
腕を組んで拓馬を見下ろしながら、馬鹿にしたような笑みを浮かべて言う。すると、拓馬は目を細めてこっちを睨んだ。
「シュンもやってみろよ、俺だけってのは不公平だろ?」
「嫌だね。俺はチュートリアル推奨派だからな、やるならチュートリアルからだ」
「そうかい」
からかう気力もないのか、それともそんな気分じゃないのか。
拓馬は言葉少なに立ち上がると、大きく伸びをした。そして、俺の方を向くと、まるで最初からそうすることを決めていたかのように言った。
「それじゃあ、チュートリアルを探しにいこうか」
そう言う拓馬の姿が、ほんの10分前より、何故か少しだけ大人びて見えて、それが不思議と腹立たしかった。
☁
Thank you!