夕日に染まる少女
「え、えっと。その、だ、大丈夫ですか?」
俺は緊張なあまり噛みまっくった……。恥ずかしい。濃いブラウンの澄んだ瞳が夕日の残滓を映してきらりと瞬く。さっきは俺とおんなじ色だと思ったけど彼女のほうがずっと綺麗だ。ふわりと花のようないい香りがする。
「ええ。私は大丈夫ですよ。その……とりあえず離して下さらない?」
「え、あ、す、すみません。」
彼女の桃色のつややかな唇が震え、こちらを見上げていた瞳が伏せられる。頬はほんのり赤くと染まっている。俺は彼女を抱きしめてしまっていることを思い出し、パッと手を放した。俺の顔はきっと夕日に負けないほど真っ赤に染まっているだろう。
「で、でもじ、自殺とかはダメ絶対ですよっ!?」
「え?」
何を言っているのだろう俺は。ダメ絶対とか薬物防止キャンペーンかよ。案の定彼女はいぶかしげにこちらを見ている。
「じ、自殺!? 私はただ、夕日を見ていただけですけれども。……貴方は?」
「お、俺!? 俺はえーっと、その……」
夕日を見ていただけ? 未成年がたった一人でこんな場所で? 疑問に思ったが言いにくそうに続けられた次の一言で俺は完全に固まった。あなたが綺麗で見惚れていましたとか気持ち悪いよな。というか幽霊を探しに来ていたんだった。正直に異世界転移するための極意を聞くために、幽霊を探しに来ましたとか言ったらきっと引かれてしまうだろう。今までの経験からすると引かれ率120%だ。
俺が言いよどんでいるとあたりは暗く、風も強くなってきた。彼女は心配そうにこちらをうかがっている。なんて答えようか。
「あの、ひとまず座りませんか? 危ないし」
俺は駅側にあるさびれたベンチを指さした。汚れているかなと思ったが、以外にも手入れされているようだ。彼女は首肯するとベンチの隅のほうにちょこんと腰かけた。俺も反対側の隅に座る。自治体にはベンチを設置する前に崖に策を付けてほしいと切実に思った。
「で、どうしてそんな軽装でここにいるのですか? もしかして近所の方?」
彼女はベンチに手をつき乗り出すようにして聞いてきた。黄昏時の光に彼女の肌が一層白く見える。真摯な声音に嘘はつきたくないと思った。
「近所じゃなくて、えーっと。俺はただ異世界に行きたくてここまで来たんです!」
「異世界? ……やっぱり貴方、死んじゃう気なんじゃないですか!」
何も取り繕わず言ったら盛大に勘違いされた。やっぱり小さなカバンで来たのがいけなかったかな。持ち物がスマホと財布とメモ帳って確かに自殺志願者みたいだ。早く誤解を解かないと。
「そういう天国的な異世界じゃなくて。こう、魔法が使えたり、ドラゴンがいるようなところです。大体、中世ヨーロッパみたいな町並みで」
「……? ここからその異世界に行けるんですか?」
すっかり暗くなったベンチの周りが蛍光灯の白い光で照らされた。彼女の瞳がキラキラと輝きだす。海の色はほとんど黒くてなんだか不気味だった。
「ここから行けるっていうか……行くためのヒントを探しに来たんです。俺、ずっと異世界に行きたくて……」
彼女にひかれたくない一心でなるべく当たり障りのない言葉を選んでいる俺とは反対に、いつのまにか彼女の沈鬱な雰囲気はぱたりと消えなんだか楽しそうだ。正直言ってかわいい。彼女はぐいっとさらに身を近づけると、きらきら光る瞳でこちらをのぞき込むように言った。
「そこにはラバンディエーダとかトランテスタって国はありますの?」
「はい??」
く、国!? 突然の国指定に戸惑いが隠せない。異世界ってそもそも何個あるんだろう。きっとラバンなんとかとトランステスタもどこかにはあるのか? 考え込む俺をよそに彼女は続ける。
「はい! 私、実はラバンディエーダ出身なのです。魔法もありますし、ドラゴンだっていますのよ! なのできっとそうだと思いまして……」
「い、異世界の方でしたか……! すごい! 凄くうれしいです!!」
俺は思わず立ち上がり天を仰ぎながら一周回った。そして彼女のもとに跪きその白魚のような手を取った。中学の時に暗記した呪文、高校の時に描いた魔法陣が走馬灯のようによみがえる。全部失敗したけれど、俺は今、異世界人と話している。あの時の自分に言ってやりたい、あきらめなくてよかったなって。
「……信じてくださるんですの?」
「へ?」
彼女は俺の手をきゅっと握ってうつむいた。長い銀の髪がさらさらと彼女の表情を覆い隠す。そっか、嘘って可能性もあるのか。俺の希望的観測が入ってるかもしれないけれど、彼女が嘘をついているようには思えない。
「だって、なんの証拠もないのですよ。あるのは私の記憶だけなの……」
「俺、異世界に行きたくてずっと挑戦し続けてきたんです。でもそれって、誰も異世界があるって言ってくれないんですよ。だから異世界の存在を信じてくれる人がいるっていうのはそれだけで嬉しいんです」
彼女はおずおずとこちらを見上げふんわりと、恥ずかしそうに微笑んだ。辺りはすっかり夜の帳に包まれて星々が輝き始めている。
「ありがとうございます。私もおんなじです。だれも、前世の記憶があるなんて信じてくれませんでしたから」
「えっ、前世?」
連続で襲ってくる衝撃の新事実に俺は打ち勝つことが出来るのだろうか。つまり彼女は前世が異世界人でラバンディエーダに住んでいた。それから地球で新たな生を受けたってことなのだろう。
「はい。前世です。今とは別の名前で全然違う暮らしをしておりました」
「そっか、あの、もしよかったら前世の暮らしとか教えてください! やっぱり詠唱とかするんですか?」
聞いてしまった。ドキドキする。握ったままだった手がやんわりと解かれる。気分を害してしまっただろうか。今までの興奮がさっと不安にかき消される。彼女はその手を口元に当てると、こらえきれないというように肩を震わせた。
「ふふっ すみません、笑ったりして。貴方があんまりにも一生懸命だから」
「全然大丈夫ですよ。こっちこそすいません」
彼女の笑顔にこっちが恥ずかしくなる。まったく腹が立たないのは彼女の笑みが純粋で嫌味を感じさせないからだろう。でも、おかげで少し冷静に成れた。日が完全に暮れてしまったけれど大丈夫なのかな。
「夕日沈んじゃいましたね。あ、夕日を見ていたんですよね」
「ええ、そうです。夕日は私にとって特別なの……もうすっかり暗くなってしまいましたね。そろそろ宿に戻らないと」
彼女は夕日が沈んでいった水面に視線を移し、ささやくように言った。名残惜しそうにしているのは夕日だけだろうか。
「あの、もしよかったらこのアプリ交換しませんか? 私も前世のこともっと話したいんです。それに異世界に行く方法も聞いてみたいです」
彼女がスマホを見せて指さしたのは大手メッセージアプリで俺も入れていた。断る理由はない。むしろとっても嬉しい。
「勿論! QRコードでいいですか? 俺出しますね」
「はい。ええっと、山田さん? 」
「はい! 山田悠久です。ゆうきゅうって書いてはるひさって読みます。えっと、野中さん?」
「私は藤平のなかです。ふふっ、自己紹介もまだでしたね。あとずっと思っていたのですけど、敬語じゃなくてかまいませんよ?」
彼女のアプリ内の名前はのなかでアイコンは夕焼けの写真だった。野中さんじゃなかったのか。謀らずしも下の名前で呼んでしまった。立ち上がり町のほうへ目を向けると、ぽつぽつとした光がすぐそこにあった。
「帰ろっか。俺が引き留めたからすっかり暗くなっちゃたよね。せめて家まで送るよ。あ、急に馴れ馴れしくしてごめん。藤平さんも敬語外して大丈夫だから」
「今日は家族旅行でここまで来ているんですよ。あと、私のほうが年下ですよね? なので敬語のままがいいです」
「家族旅行!? 学校は?」
「ふふっ、今日は日曜日ですよ。明日は国民の祝日で三連休じゃないですか」
俺たちはたわいのない会話をしながら町の明かりのほうへ向かっていった。触れそうで触れない俺たちの距離が、町の点々とした光と夜空の星の距離にひどく似ていた。