第三章(義信廃嫡)‐二
「東光寺へ?」
そのようなことを告げられるとは思ってもみなかったのであろう。信玄の言葉に、三条の方は喜びに満ち、輝きに溢れた顔を上げた。
あの、痩せ衰えて見えた正室の顔が、東光寺へ花見に行こうというたったひと言により一瞬にして見違えるほど輝いたことに、信玄は驚き慌てた。三条の方は信玄が義信を赦免するものと早合点したに違いなかったからだ。だが信玄の思惑は真逆なのである。
信玄は夫婦揃って東光寺へ行き、正室に義信の廃人同然の姿を見せ、改めて正式に義信廃嫡を切り出すつもりでいた。そうしたならば三条の方の喜びに満ちた顔は、より一層深い哀しみに沈むに違いない。
信玄は当初の思惑を曲げて花見などと軽々に切り出した自分を呪った。だが二度までも言を翻すことは許されない。
「左様。東光寺へ、だ」
信玄は真意に反して念を押すように力強く言った。その言葉に、三条の方の喜色は爆発寸前のように見えた。
「東光寺には義信殿がおわします。義信殿も御一緒に?」
「無論、親子三人での花見だ」
三条の方は飛び上がらんばかりに喜び起った。
「そういうことでしたら人払いなどせずともようございましたのに。花見など何と久方ぶりでございましょう。それも、義信殿と一緒とは」
三条の方はそういうと、早速侍女達を部屋に呼び返して慌ただしくあれやこれやと花見の準備を命じ始めた。
信玄はその喧噪を背中に聞きながら、逃げるように三条の方居室をあとにしたのであった。
「義信殿! 義信殿! 母が参りましたよ」
三条の方は、東光寺に幽閉されている義信に対し、その居室の外から必死になって呼びかけていた。
この度の花見に先立ち東光寺に予め通知されていたことはいうまでもないし、義信の耳にも寺僧を通じてその話は入っているはずであった。だが義信は居室を出るどころか障子を開ける素振りすらない。
「義信殿! 御屋形様もお越しなのです。出てきなさい、義信殿!」
三条の方が義信の名を連呼しながらあまりに取り乱すので、遂に侍女達は障子に取りすがるように叫ぶ三条の方を廊下へと引き摺り出したのであった。
三条の方は侍女達を振り払い、涙に暮れた目で信玄に詰め寄った。
「此度の花見の話、義信殿には知らせておいでだったのですか」
「無論だ。僧を通じて義信には通知しておった」
「では、義信殿は何故居室から出てこられないのです」
信玄は今にも崩れ落ちそうな三条の方の身体を支えながら、義信が居室の障子を開けて出てきてくれることに期待した。義信がそうでもしてくれない限り、三条の方の取り乱した哀れな姿を目にし続けなければならないからであった。だが義信が姿を現すことはなかった。
「室よ。落ち着いて聞け」
信玄はしゃくり上げる三条の方に向かって語りかけた。
「もはや義信は廃人同然となった。足腰も立たず、我等とまともに会話することもままならん」
「では、何故花見などと仰せ出されたのです」
「そなたは未だ、義信の家督継承を諦めてはいなかったであろう」
「当然でございます」
「他の者ならばいざ知らず、そなたにだけは知っておいて貰わねばならなかったのだ。もはや義信は我等が知る義信ではない。見よ」
信玄はそういうと、寺に上がり込み居室の障子を無遠慮に開いて見せた。
新春の麗らかな陽射しに慣れた三条の方の目には、暗い居室内が無人のように感じられた。
なので三条の方は、よたよたと覚束ない足取りで寺に上がり、居室内で目を凝らすと、事件発覚後初めて我が子の姿を目にしたのであった。
豊かだった頬は痩け、眼窩は落ち窪み、綺麗に剃り上げられていた月代は髪が伸び放題になっていた。
無精髭に覆われた口許からは、時折かちかちと歯を打ち鳴らして何事か聞き取れぬ言葉が発せられるのみである。
「このような有様だ。身辺に刃物を置くと自害しようとするので髪や髭を剃ることもままならん」
だが三条の方は今や全く様変わりした義信ににじり寄ると、すっかり痩けたその頬を、それでも愛おしそうに撫でながら
「如何に様変わりなさろうとも、妾の子に違いございません。武田の嫡男にして幕府准三管領、太郎義信殿にございます」
というと、その場にわっと泣き伏してしまったのであった。義信は、実母の取り乱した様子にも遂に目立った反応を示すことがなかった。
目の前に繰り広げられている光景は信玄にとって地獄そのものであった。嫡子の変わり果てた姿と、これにすがって涙に暮れる正室。妻子を悲嘆から救い出す何ら有効な手立ても持たず、寧ろ自らがその悲嘆の根源であることを否応なく自覚させられ、ただただ呆然とその場に立ち尽くすより外ないのである。
(幼きころより衣食に欠くことなく、文武の研鑽に励んだ結果がこれか。国家だの分国だの、背負うものがなければこのような憂き目を見ることもなかったであろうに・・・・・・)
信玄は、呆気にとられて呆然と控える侍女共に三条の方を支えて連れ出すように命じた。三条の方は歩行もままならず、引き摺られるように東光寺をあとにした。
寺庭には歌詠みの短冊や酒盃だけが、一切手をつけられることなく、虚しく取り残されたのであった。




