第三章(果てなき問答)‐二
「義信。もはや多くは語らぬ。於松と離縁せよ」
「離縁? それがしを於松と離縁させて、父上は何となさいます」
義信は一層、瞳の中に怒りの炎を燃やして信玄に問いかけた。
「知れたことで、汝の考えているとおりだ。それが成ったあかつきには・・・・・・」
「お断り申す。於松には何の越度もございません。何の咎あって離縁などと仰せか」
義信が吼えるように言ったので、努めて冷静に話を進めてきた信玄が遂に声を荒げた。
「まだ分からんか義信。兵部は命懸けで汝を救おうとしたのだぞ。八幡原の折には、汝を救わんがために数多の将兵を失った。そして今また、汝を救おうと兵部は自ら腹を切ったのだぞ。そのことが何故分からんか」
信玄はそうまで言ってはっとした。八幡原の話を持ち出してしまったからだ。
「八幡原の話ならそれがしにも言いたいことは山ほどございます。それがしは政虎本陣に肉迫しておりました。父上が一気呵成に前進の采配を振るっておれば今頃は政虎を討ち取って・・・・・・」
義信は信玄が八幡原の話を持ち出したことを弁解する暇も与えず、烈しく詰り始めた。
「そうなっておれば、今ごろは甲信を足がかりにして北陸道を一挙に西進し上洛も夢ではございませなんだものを。こうなったのは全て、父上が政虎に臆したからではございませぬか。父上は己が志の潰えた腹立ち紛れに、氏真公を攻め滅ぼそうとお考えか」
「腹立ち紛れなどではない」
「それがしにはそうとしか思えませぬ」
「違う!」
信玄は声を荒げた後、自らを落ち着かせるためにしばし言葉を発しなかった。そして、少しの沈黙を置いて
「確かに八幡原において政虎を討ち漏らし、そのために越後攻略の時機を逸したのは余の力不足であった」
と、自らの非を認める発言をした。
「しかしな義信。我等が越後を巡ってもたついている間に、駿河の屋台骨がぐらつき始めたのだ。氏真は余の申出を断り、義元公仇討ちの軍兵を動かすことなく無為に日を過ごした。今や駿遠の国衆で今川に忠節を尽くそうという者はないと聞く。このまま放置すれば駿河は遠からず徳川家康に掠め獲られるであろう。そうなれば、結局武田は駿河を巡って徳川と干戈を交えることになるのだ」
信玄は冷静さを取り戻しつつあった。東海地方における現状認識を共有することさえ出来れば、義信も翻意するのではないかと考えたのだ。
だが義信は頑なであった。
「父上が政虎を討ち漏らした責任を、どうして氏真公が背負わねばならんのです。徳川など氏真公と合力して当たればものの数ではございませぬ」
義信は飽くまで今川と浮沈を共にしようという姿勢を崩さなかった。そして
「それとも父上は、政虎だけではなく三河の徳川にも臆しておいでか」
と義信が言い放ったひと言は、落ち着きを取り戻した信玄を再度激昂させるに十分であった。
「おのれ義信! 言わせておけば」
その時、廊下に待機していた警固衆が義信居室に雪崩れ込んできた。果てなき問答を終わらせるため、両者を引き離そうと雪崩れ込んできたものであった。両者は警固衆によって物理的に引き離されたのであった。
躑躅ヶ崎館への帰路、信玄は馬上において義信との関係がこうまでこじれてしまった原因を想わざるを得なかった。
義信が言ったとおり、八幡原の戦いにおいて政虎を討ち果たしておれば、武田は北陸道を西に驀進し、その勢力範囲は今ごろ越前にまで達しているはずであった。それが成らなかったのは、ひとえに上杉政虎という当代随一の天才に行く手を阻まれたからに他ならない。
信玄は馬上に揺られながら白昼夢を見ていた。
それは、八幡原において単身武田本陣に斬り込んできた僧形の政虎が、信玄相手に白刃を振り下ろしたあの時の光景であった。
あの時、政虎が振り下ろした小豆長光の白刃は、信玄の北陸道西進の野望だけではなく、信玄と義信の父子の紐帯までをも断ち切ってしまったのだ。
信玄はそう思い至ると、己が唇を血が滲むほど強くかみしめたのであった。