第一章(勘助仕官)‐一
(書生の空論)
家督相続後、晴信が国内を流れる釜無川、御勅使川の治水を言い出したとき、板垣駿河守信方の脳裡にそんな言葉が浮かんだ。おおかた唐国の故事、禹の治水事業に倣ってのことであろうと容易に想像できた。
(好きにやらせておけば良い)
信方にとって、国内の治水事業はいずれ遠からず主家に取って代わるという己が野望に害とならないものであった。晴信の目が内治に向くという意味では寧ろ、信方にとって好都合であった。その間に主家の兵を借りて信濃を切り取る算段が打てるというものである。
信方にとって気懸かりだったのは多分に理想主義的な治水事業のことなどではなかった。晴信が家中に布礼た人材登用のことである。
晴信は家中の刷新を図ると称し、身分の上下を問わず有能とあればこれを登用すると宣言したのである。そして自らその陣頭に立ち、例えば先代信虎の勘気を被り国外に逃亡した工藤祐昌、祐長兄弟を甲斐に呼び戻したり、石和の百姓にして有徳人である春日大隅の子息源五郎を近習として登用するなど、まさに身分の上下や過去のしがらみに囚われない人材登用を行ったのであった。そして譜代家老衆に対しても、その子息に有能な者があれば近習として登用する旨広く家中に布告し人材を募ったのである。
こうした晴信の行動は信方にとって脅威と映った。頭の軽い御輿だとばかり考えていた晴信が、自分の意志を持って自らの閨閥を家中に築こうとしているのだ。晴信が着手した藩屛の構築が進み、一大勢力ともなれば信方の野心を阻むものとなるに違いなかった。
一方で信方には自信があった。過去に家中で打ち立ててきた嚇々《かくかく》たる武勲である。そして、これからも信州経略の過程で得られるであろう武名であった。
如何に晴信が自らの藩屛を築こうが、武威で自分に並ぶ者が武田家中にあろうとは信方には思われなかった。
したがって彼は内心
(閨閥を築こうなどとは小癪なり晴信)
と胸に一物抱きながらも
(それらが束になって掛かってこようとも、力によって蹴散らしてみせるわ)
という自信を秘かに抱いていたのであった。
そのような野心を信方が抱いていることに晴信は気付いているのかいないのか、当の信方本人に向かって
「板垣も、家中に良い人材があるならば推挙せよ」
と声を掛けたのである。
信方は少し考えるふうを示した。
武辺一辺倒の信方家中衆には、主に似て武勇に優れた諸侍が数多あった。自身の嫡男信憲がそうであったし、草履取りから取り立てて士分となった曲淵勝左衛門などもそうであった。いずれも手放して晴信にくれてやる気など微塵もない。
しばし沈思した後、信方は
「一人、心当たりがございます」
と開けたように言い、更に
「この者は三河国牛窪の生まれ、武者修行と称して国内外を遍歴し、諸国の兵法、城取の妙、術策を極めた者でございます」
と言った。