第三章(兵部変心)‐三
虎昌は、義信がどのようにして信玄を除くつもりなのか、具体的方法については何一つ知らなかったし、知ろうともしなかった。なぜならば、自分が義信の企てに同心さえしなければ、義信はそのための方法を立案さえできない事を知っていたからである。それに虎昌は、義信の行動が信玄目付に露見していないとも考えてはいなかった。
そのため虎昌は、何度目かの義信の来訪を受けた際、
「かかる軽率な行動は必ずや御屋形様の目付に露見することとなりましょう」
と諫言したが義信は世嗣として育て上げられた生来のおおらかさ故か、
「夜半だ。大事ない」
と言ってまじめに取り合おうとはしなかった。義信は明らかに信玄目付の動きを軽視していたのである。
虎昌は、義信を勇敢に、正しく育て上げることに注力するあまり、この時代に好むと好まざるとに関わらず必要とされる表裏の理を教えてこなかったことを、思わぬ形で後悔させられることになった。
自らの利に敏い侍衆を束ね、箝口令を敷くのは容易ではない。
謀叛の企ては言うに及ばず、噂程度の話であっても主の耳に入ればろくな取調べもなしに一族郎党残らず誅される世上であった。若き日の晴信はその企てを成功させ、先代信虎を駿河へ追放したのである。夜半に板垣駿河守信方の邸宅に赴いて、謀叛の密議を凝らすなどという稚拙な行動は決して取らなかった。
この事例ひとつ取ってみても、信玄と義信の将器の差は歴然であった。
虎昌は自身が同心しない限り、やがて義信の企ては霧消するだろうと考えていた。
だが、事態は虎昌の望まぬ方向に動いた。
ある夜半、いつものように義信が虎昌の邸宅を訪れた。その日がいつもと違ったのは、義信が血判状を携えてきたことであった。
義信は虎昌の眼前にこれを示して言った。
「見よ、兵部」
義信の表情は自信に満ち溢れていた。
その書面には、
曾根周防守
長坂源五郎
など、国内の諸侍が血判と共に名を連ねていたのである。
虎昌は驚愕した。義信はいよいよ本気なのだと。そして血判状に並ぶこれら義信の同心衆に対し、心の底で
(表裏の理を弁えぬ軽輩どもめ!)
と雑言を浴びせかけていた。
この書面に名を連ねている面々は、隠密裡にことを進められるような頭の構造を有しているとは到底思われない連中ばかりであった。
虎昌は血判状を示す義信の表情をちらりと見上げた。それは
(どうだ兵部。これだけの同心衆を集めて見せたぞ)
とでも言いたげな、自信に満ち溢れたものであった。虎昌はその表情を見て
(御曹司はわしが同心してもしなくても、この軽輩共を頼みとしていずれ遠からず謀叛に及ばれるであろう)
と確信した。
義信の、父信玄に対する感情的な反発の言葉だけでは想像も出来なかった甲軍同士の抗争する様が、血判状を目の前にしてありありと浮かんだ。
(これら軽輩の同心衆は御屋形様に苦もなく揉み潰されるであろう。だが御曹司だけはなんとしてもお守りせねば・・・・・・)
虎昌は血判状を目の前にして、しばし沈思し、そして
「少し時間を下され」
そう言ってこれまでと違い、意のある返事をした。
その夜、飯冨兵部の同心を得られたものと欣喜雀躍しながら虎昌邸をあとにした義信を見送りながら、虎昌は自身の生命があと幾許も残されてはいないだろうこと、そしてその生命が謀叛人として奪われるであろうことを想い、暗澹たる心持ちに沈んだのであった。