第二章(鉄炮と老将)‐二
「お待ちあれ横田備中殿」
若い侍が背後から何度か呼びかけたが、不機嫌の極みにあった横田は立ち止まることなく館の門外へ達した。歴戦の武士の歩みは小走りに追う若侍の追随を容易に許さなかったが、追い縋ってついに横田備中の前に立ち塞がり
「どうか、どうかお待ちあれ。鉄炮がお気に召さなんだか」
と息を切らせて問うた。
横田は
「気に入るわけがない」
相変わらず憮然としてこたえた。
「それがしは斯くの如く身の丈五尺(役一五〇センチメートル)に満たない小男にございます。日々鍛錬に努めておりますが、膂力は他に劣り武勇のほど甚だ心許ない者でございます」
そう聞いた横田備中は、改めてこの若い侍を爪先から頭のてっぺんまでまじまじと眺めた。横田備中にとってこの若侍は、上座に座する晴信の傍に近侍して太刀持ちを務めている姿こそ見慣れていたがこうやって相対してみるとなるほど小柄である。
この小男が鑓や刀を構えて自分に挑んできたとしても、鎧袖一触屠り去ることができるであろうと横田備中は考えた。他を圧する威迫とは無縁のように思われた。
「それで、鉄炮か」
「そう考えました。弓を引くにも膂力、鑓を振るうにも膂力。しかし鉄炮であれば力は関係がありません。これだ、と思いました」
「ではせいぜい鉄炮の業に励まれるが良い」
横田備中はそういうと、馬に跨がり自邸に向け館を発った。
横田が振り返ると、先ほどの若侍が
「お待ちあれ、話はまだ終わっておりません」
等と呼ばわりながら徒歩でその後を追従してくる。横田はためしに速歩に駆けはじめた。後ろを振り返ると、元々小柄な若侍の姿が見る見る小さくなってゆく。いよいよその姿が見えなくなり、並足に歩みを遅めしばらく進んだ横田備中が少し気になって再度振り返ると、若侍は猛然と走って何ごとか叫びながら横田を追ってきた。
横田は馬上から
「館へ返せ。勤めに障るぞ!」
と大声を発したが若侍はその足を止めようとしなかった。若侍がこちらに駆け寄ってくる姿を見ているうちに、不思議と横田備中の心中からこの若い侍に対する嫌悪感が失せ、馬鹿みたいに懸命に走り寄せてくるこの若侍の話を立ち止まって聞いてやろうという心根が芽生えたのであった。
ようやくにして横田の元に行き着いた若侍は肩で息を吐きながら
「どうか、お待ちあれ」
というと、横田は
「このとおり、先ほどから待っておる」
あしらうふうにそう言ったが、もとより馬を下りた横田に若侍をあしらって帰すつもりはない。若侍は息も絶え絶えに
「それがし、飯冨兵部が舎弟、源四郎昌景と申す者」
「心得ておる」
飯冨源四郎といえば、譜代家老衆の一、飯冨兵部少輔虎昌の弟にして、近年晴信に取り立てられた近習として家中で知らぬ者はなかった。
源四郎がそういった自分の立場を鼻にかけることなく改めて名乗ったことは、横田備中に好感を抱かせた。しかし老将はその心中秘かに抱いた好感を、直截に面には出さない。
「それがし近く初陣を控えております。横田殿は鉄炮の業に励まれよと仰いましたが、あれは数が揃うのに今しばらく時間がかかります。それがしの初陣には間に合いますまい」
「なにが聞きたいのかな」
「初陣で手柄を立てとうございます」
「その小身でか」
横田備中は思わず馬鹿にしたような声を上げてしまった。源四郎はむしろ相手のこういった反応を待っていたかのように
「左様思われるのは至極当然。それがしが戦場において手柄を上げようと思えば、まず敵に討たれないことには話になりません。戦場における心構え、駆け引きの妙をご教示下さい」
と問うたのであった。




