序章(三)
「御屋形様、家督相続の件は」
普段政務について口を出すこともなく、夫信虎から何ごとをも知らされることのない妻は、不安げな表情を隠さずに問いかけた。褥には薄明るい灯火が点るだけである。信虎は妻を顧みようともせずに言った。
「晴信は今日も、遠乗りにでかけておったそうだな」
如何にも憮然とした口調であった。
「汝が心配する必要はない。家督の件についてはもう決めておる」
大井の方は、夫信虎が次男信繁を偏愛し、これに家督を譲る気でいる、という家中の噂を知っていた。信繁も大井の方の実子であるから、兄弟いずれが家督を相続するかによって夫人自身の地位に変動があるわけではない。しかし、である。
「晴信は嫡男でございます。家督を譲るは嫡男にしかず、と・・・・・・」
彼女にとって晴信は特別であった。
夫信虎は毎年のように連戦し、家庭を顧みることがなかった。夫同様の武辺ではあるが、凡そ教養とは無縁の猪武者にしか見えない晴信の傅役板垣信方。いずれにも子の教育を任せられないことを、彼女は知っていた。
家督を相続しようがしまいが、この世に武家として生を享けた以上、息子は戦陣に生涯の殆どの時間を過ごすに違いなかった。そんな息子に対し、その役務を課される前に出来るだけ水準の高い教育を受けさせたい、というのが彼女の願いであった。はるばる尾張瑞泉寺より岐秀元伯和尚に甲斐下向を願ったのも、それがためであった。
晴信はよく母の期待に応えた。連歌、漢詩の類いにも才気を示した。弟信繁も岐秀和尚の薫陶を受け、晴信に迫ったが、やはり兄晴信に一日の長があるように思われた。
妻の諫言にも似た詰問に、
「分かっておる」
信虎は不機嫌そうにこたえると、もぞもぞと布団に潜り込んでしまった。
「分かっておる、では分かりませぬ。家督は晴信に譲る、ということでよろしいのですね」
夫人はなおも夫を追及したが、信虎は
「明朝は早いのだ」
とだけ言うと、早々と高いびきを上げて眠りについてしまったのだった。
二十年前。
積翠寺城へと続く急な山道を、身重だった大井の方は供廻りの力も借りて懸命に歩み登った。冬も近いというのに額から汗が滴り落ちた。
「御屋形様が、きっと福島正成一党を打ち破ってくれます。ご安心召され」
侍女は大井の方の背を押し、励ました。
すっかり早くなった日没を迎え、見下ろすと荒川を挟んで西側の川岸に平野を埋め尽くさんばかりのかがり火が焚かれている。その対岸にあるかがり火や旌旗は味方のそれである。数の上では互角に見える。
しかし大井の方は知っていた。我が方は極めて劣勢であった。荻原常陸介の献策により多勢を装ってはいるが、急な召集に応じた軍役諸衆は二千人ほどである。有力な甲斐国人領主は、
いずれに利ありや
と拱手傍観して日和見を決め込んでいた。劣勢覆うべくもない。
見かけよりもずっと貧弱な自陣が破られたが最後、福島一党に捕らえられ、腹の子共々処断されるに違いなかった。自分や、腹の子が無事に城を出て居館に帰るためには、寡兵の信虎が福島正成を撃破する僥倖に任せるより他ないのである。
十月十六日払暁、信虎は飯田河原で福島一党を力押しに押しまくり、勝山城まで後退させることに成功した。しかし龍地に陣取る福島本陣は依然健在であり、勝山に籠もった部隊と共に甲府を挟撃できる絶好の位置に逼塞したわけである。勝山城に退却した城兵は、飯田河原より逐われたとはいえ明らかに信虎率いる武田勢より優勢を保っていた。つまり勝山城を攻め囲む選択肢はない。出血を覚悟で龍地の敵本陣に突撃を仕掛けるより他に、この危機を脱する方途はなかった。飯田河原において敵に決定的な打撃を与えられず、勝山城への退却を許したことによって状況はより一層悪化したとさえいえた。
出産の兆候は、味方が両睨みの対陣を強いられている最中におとずれた。
「御正室に出産の兆しあり」
「お方様もお子も、命懸けで戦っておられる」
との報は、味方の陣中にも刻々届けられていた。
飯田河原での一戦から二十日を経た十一月三日、大井の方は男児を出産した。甲斐源氏武田氏嫡男の誕生である。男児誕生の報が届けられた武田陣営に、波濤のような歓声が沸き起こった。その声は、積翠寺城で身体を横たえ休める大井の方の耳にも届いていた。
「お方様、お味方の歓声にございます。嫡子ご出産の報を聞き及び陣中沸き立っておりまする」
嫡男誕生から二十日後、意気揚がる武田勢は劣勢ながら龍地の福島正成本陣に決死の攻勢を仕掛けた。鬨の声は産後の床に就く大井の方の耳にも届いた。喚声は二刻(四時間)にも亙って響き渡った。
「鬼美濃殿が、福島正成の首級を挙げた由にございます」
鬨の声が止んでまもなく、捷報が積翠寺城にも伝えられた。
これで生まれたばかりの子共々、無事に館に帰ることが出来る。
これまで気丈を保ってきた夫人が、籠城以来初めて涙した瞬間であった。
信虎は帰還するなり、ところどころにほつれを生じ、泥や埃に汚れた大鎧の紐も解かぬまま、妻子が帰った館に躍り込んだ。
「よう耐えてくれた」
労いの言葉をきくと、夫人の目からまたしても涙がこぼれ落ちた。夫人は胸に抱く我が子を信虎に抱かせた。
「この度の戦、一番手柄は汝、二番はこの子。鬼美濃は三番手だな」
信虎は愛おしそうに我が子を抱きながら相好を崩したのであった。
父子が協力して国難を切り抜けたその一戦から、二十年の歳月が経過していた。父子の間はいつの頃からか冷え切っていた。家督相続の目がないことを察したのか、最近の晴信は遠乗りや連歌にかまけてすっかり阿呆に堕してしまっていた。
夫人が、よかれと考え息子に与えた教養が夫の不興を買い、子は子で幼少の頃からの教育が報われないことに苛立って、自暴自棄に陥ってしまっていたのである。大井の方はそのことについて責任を感じていた。だからこそ嫡男晴信への家督相続を内外に明らかにしておかなくてはならなかった。だが夫信虎は妻の焦慮を知らない。
妻は夫の寝顔を見た。
かつて真っ黒く日焼けしていた顔貌は、近年ようやく白みが増してきて、それに比例するかのように頬や額に深い皺が幾筋も刻まれるようになった。国内統一戦争が落ち着き、外征においても主導権を握って自らが好む機会に出陣時期を選択できるようになった余裕が、信虎の顔貌に微妙な変化をもたらしていた。
昨年は諏方頼重の許に嫁いだ娘禰々を訪ね、明日からは今川義元室となった娘の許を訪れる予定である。同盟国領主との面談を目的とする外交政策の一環ではあるが、少なくとも合戦は伴わず血なまぐさいものでもない。出来ればゆっくりと骨を休めて貰いたかった。
家督相続について明確なこたえを得られなかったことを不満に感じながらも、晩年に近づき領国経営に余裕が生まれてきた夫を、大井の方はそれ以上問い詰めようとはしなかった。
夫人は、燭台の灯火をふっ、と吹き消したのであった。