第一章(塩尻峠の戦い)‐三
信繁率いる別働隊は、夜半密かに大井森の陣から塩尻方面に発向した。
敵は諏方湖畔を一望できる峠に着陣している。松明を焚いて軍を動かせば動きは敵方から一目瞭然となるであろう。したがって暗夜に足を取られながら月明かりを頼っての行軍であった。
別働隊はそのような暗夜の中を、大井森から塩尻峠まで一気に踏破した。諏方往還の比較的整備された街道を行くとはいえ、一夜にして踏破しようと思えば相当な距離である。鍛え抜かれた軍役衆でなければ到底為し得ない強行軍であり、諸衆は息を切らせつ峠を駆け上がりながら、何故晴信が士分のみを以て隊を編成したのかを理解したのであった。
朝靄の残る十九日払暁、典厩信繁率いる別働隊は唐突に鬨の声を発して小笠原の陣所を衝いた。小笠原勢の大半は寝込みを襲われ、具足を身に着ける暇もなく次々と甲軍の鑓の錆となっていった。油断しきっていた小笠原衆は、手練の甲軍を前に加速度的に犠牲者を増やしていった。
早朝、俄に陣中が立ち騒ぐのを聞いた長時は即座にこの騒ぎが小者同士の喧嘩などではないことに気付いた。即ち甲軍の朝駆けと直感したのである。このあたりはなるほど、長時も一廉の将であった。
だが個人の武勇を重んじる長時と、技を以て人を使う晴信との将器の差であろう。長時は諸衆に防戦の指示を飛ばすより先に、自ら鑓を取って陣所を飛び出すことを選択し、ために陣中の混乱を治める者がいなくなってしまったのである。
長時が手ずから鑓を持って表に躍り出ると、そこには馬を駆り鑓を振るって次々と小笠原衆を手にかける甲軍と、殆ど裸に近い姿で逃げ惑う小笠原衆が入り乱れて極度の混乱を来していた。長時は逃げようとする味方の兵の首根っこを掴んで督戦するとともに、自ら何人かの敵兵を討ち取ったが焼け石に水であった。
凱旋どころか敗戦によって国中の笑いものになることを恥じた長時は斬死を覚悟して暴れ回ったが、やがて自らの馬廻衆に半ば強引に引っ立てられながら戦域を離脱した。甲軍は残余の敵衆を撃砕して、ここに圧倒的な勝利を得たのであった。
世にこれを、塩尻峠の戦いと称する。
晴信は先遣の典厩別働隊が小笠原勢を撃砕したとの報を得て一気に軍を前進させた。そして別働隊と合流し、長時が逃げ帰った林城直下まで肉迫し、二里ばかり南東の村井に付城を築いて長時の喉元に匕首を突きつけた。長時はこの敗戦以降ついに退勢を覆すことが出来ず、二年後には林城を失陥して累代の敵であった村上氏を頼り、その支配域へと落ちていくこととなる。
一方の晴信にとっては会心の勝利であると同時に、今後の課題を浮き彫りにする戦いでもあった。
鍛え抜かれた士分のみを以て戦をしたということは、他の諸衆の練度が晴信の求める度合に達していないということが明白であるということでもあった。
晴信は勝ち鬨の儀を執り行いながら、もし軍役諸衆が自分の求める練度に達した暁には、これら諸衆を率いて沿道の諸侯を打ち倒し、一気に上洛することも夢ではない、などとぼんやり考えていた。その考えは本当にぼんやりとしたものにとどまっており、確信を得たものとは言いがたかった。
彼の脳裡に、帝都は未だ遠かったのである。