第一章(上田原の戦い)‐四
年来胸の裡に秘めて、嫡子信憲など限られた家中衆にしか告げることがなかった野望を指摘され最初は慌てた信方であったが、村上を破り旗揚げすることを既に心に決めていたので幸綱の言に深く頷いた。
幸綱は
「ささ、信方様。この場にて首実検の儀を執り行われよ。そして麾下の将兵に対し、新たに信州の大名となられたことを宣するのです」
と信方に囁いた。
首実検は配下の将兵が討ち取った敵頸を大将が判定し、知行宛行の判断材料とするために執り行う儀式である。この場合、甲軍において首実検の儀を執り行う権限のある者は晴信ただひとりであった。その晴信の権利をこの場にて履行することを勧められた信方は
「このわしが大名か」
にわかに顔面を紅潮させた。甲斐武田の譜代として永年仕え、先代のころには心ならずも川田の屋敷を引き払い、甲府へ転じる苦い経験もした。統制を強める信虎に密かに反発して、同僚と謀って晴信を擁しこれを追放した。新しい国守のもと、身命を賭して他国に連戦したのも実にこのときのためだったのである。ようやくにして永年の苦労が報われるのだ。
一種の感慨に支配され、信方は言った。
「これより首実検の儀を執り行う」
大地を揺るがすような足音、鬨の声、軍馬の嘶きを聞いたのはその時であった。信方の愉悦の時間は瞬時に、そして唐突に破られた。
「村上勢、突出!」
俄に陣中が騒がしくなった。幸綱はその声を聞くや
「それがしが蹴散らして参ります」
と騎馬に跨がり駆けはじめた。信方供廻りもこれに続いて防戦に出ようとしたが、信方は晴れがましい首実検の儀をこの場、この時分に執り行うことに拘泥して
「無用だ。源太左衛門に任せておけば足りる」
と余裕の表情を崩さず、いつもは晴信が執り行う首実検の儀を見よう見まねで開始したのであった。
そのころ、「蹴散らして参る」と陣を飛び出した幸綱は防戦に努めるどころか自分の陣営に帰って、自らの身内のみを急ぎとりまとめ、晴信本陣を目指して一目散に逃げ始めた。
幸綱はこの戦役に先立ち、勘助と会談してその意を受けていた。信方は我意に任せて押し進むであろうから、頃合を見計らってこれを押し止め、逆転に転じた村上の一隊を以て信方を討ち取らせるという算段であった。武田家中に転じたばかりで力学に疎い幸綱は最初、勘助の言葉に驚いたが、勘助は熱心にこれを口説いた。これは御屋形様の意向であり、村上に敗れ一時的に弱体化したとしても、この功績が成った暁には旧領回復はもちろん、東信、北信における勢力拡大は真田殿の切り取り次第との言葉を信じ、信方の油断を誘い首実検の儀式を執行するように進言したのである。信方は村上勢の弱体であることに油断して、また蹴散らして参るという幸綱の言葉に安心して首実検の儀をまさに執り行っている最中であろう。油断しきった信方の一隊が、士気の高揚する村上勢に呑まれ壊滅することは疑いがなかった。
幸綱はその激流の中を生き延びなければならなかった。晴信本陣に事態急変を報せるためだ。なので幸綱は必死に馬を駆け走らせ、遂に晴信陣中に達し
「村上勢、逆襲に転じあり!」
と自ら注進した。それを聞くや晴信は
「板垣の様子は如何であったか」
と問うと、幸綱は
「御自ら首実検の儀を執行しております」
と続けた。
それを聞いた途端、晴信のこめかみに癇筋が浮き上がった。今まで謀叛の確たる証拠を掴むことが出来ず信方の専横に任せてはいたが、やはり謀叛の企てが現実のものだったと分かると、改めて怒りが沸騰したのであった。晴信は声を潜めて
「板垣は死んだか」
と幸綱に問うと、幸綱は口籠もりながら
「見届けてはおりません」
と正直に申し立てた。
晴信は初めて前進を命じた。自軍を以て信方の退路を塞ぎ、村上勢によってこれを討たせようという思惑からであった。
その間も晴信本陣に
「甘利備前守殿討死」
「初鹿野伝右衛門殿討死」
「才間河内守殿討死」
と先陣諸衆戦死の報が届けられ始めた。どうやら甲軍前衛が壊滅したらしい。だが晴信は前進を止めなかった。
そのころ自らの陣中にあって首実検を執行していた信方は、産川において飛来した矢とは比較にならないほど激しい弓勢にさらされていた。まるで自分を避けるかのようにして飛んできた先刻の矢とは勢いが違った。敵の矢は続々と飛んできて、狙いも過たず信方供廻りの者を撃ち倒していった。
ことここに至りようやく身の危険を感じた信方はそれまで腰掛けていた床几を立って
「源太左衛門は何をやっておるのか! 小癪なり義清、馬を曳け!」
自ら騎乗し打って出ようとしたところ、やにわに
「安中一藤太見参!」
と名乗る敵の侍を筆頭に、数人の敵兵が陣中に乱入してきた。安中は鑓を突き出して信方騎馬の尻を突くと、馬は逆立って主を振り落とさんばかりに狂奔した。だが信方も手綱を引き、その首にしがみついて必死に取りすがる。安中は危険を顧みず奔馬の脇から信方に近付き、右の袖と草摺を引っ掴んで信方を馬から引きずり下ろすと、信方は村上勢の多数の鑓をその一身に受けた。信方は何ごとか言葉にならぬ絶叫を口にして、馬乗りに組み敷かれ敢えなくその頸を敵兵に授けたのであった。
こうして国守の地位を超越し、首実検執行の栄誉に浴した信方は、その余韻に浸る暇もなく、寸刻の後には枯れた万骨のうちの一つに身をやつすことになってしまったのであった。